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怒りの感情との向き合い方、手放し方

相手の内から湧き上がる怒りのエネルギーに画面越しでも影響を受けた。怒りのエネルギーに力を吸い取られてしまい、消耗。思い通りにいかない状況の責任を全て私に課すかのような口調で詰問され、私自身の言葉で情況を語るスペースを奪われた。いったん距離を置かないと自分を保てない。それなのに、その後、気をそらそうとしても、自然と意識がそちらに引き寄せられるように向いてしまう。

以前、上司に「フィードバックは、半分あなたを、半分フィードバックをくれた相手を反映している」と言われたことがある。だから、何を受け止めるか見極めて、半分にして聴くのが良い、という。ぶつけられた直球をそのまま受け取らずともよい、と言われると、自分を立て直す心のゆとりができ、自分なりのフィードバックの消化の仕方を探ることができる。

数日置いて、相手の言動から怒りの感情を濾過して、言われたことを注意深く省みる。いったい相手は何を望んでいたのだろう。私に何を求めていたのだろう。強烈な言葉を浴びた時には、完全に拒絶されたように感じていた。だが、彼女の言葉は、思い通りにいかない状況を何とかしたい、という方向を向いている。想いの強さが、行き場を失って、怒りのエネルギーという曲折した形で表出している。そう思うと、受け止め難い言葉を発する相手にも、寛容になる余地があるように感じられた。

深い他者理解は、自己理解に繋がる。相手の言動は、彼女の眼を通してみた私自身の言動を映し出している。その中で私自身の盲点も浮かび上がる。私自身が拒絶されたと感じると立ちすくんでしまうが、想いの方向性が一致するのであれば、何かやり方があるのではないか。相手や自分を含む情況全体を新しい観点で眺められた時、対立や行き詰まりを打開する可能性も立ち現れてくる。

「対立の炎にとどまる」(アーノルド・ミンデル著)の冒頭部分を読み、怒りを向ける直接の対象を超えて 自分の憎しみの感情の起源を探ること、自分の固定化した価値観を問い直すこ との痛みに思い至った。それは、文中に描かれているように、ギロチンで頭を切り落とすくらい衝撃が強く、生まれ変わるくらい大きな方向転換なのだろう。人間関係の荒波は、凄まじい。怒りの感情は、強烈であるからこそ、一方でそのエネルギーの渦中に人を捉えてしまうが、他方大きな変容をもたらす可能性も秘める。それは、怒りの感情への向き合い方次第だ。

昨年、コロナ後初めて〇〇さんと対面で会食した。冒頭に、3 年前の出来事に触れて、申 し訳ないと思っていた、と言われる。言われてみれば、そんなこともあった。だが、詳しいことは思い起こせない。実際に起きた出来事の記憶は時と共に薄れ、ぼんやりと当時感じていた感情だけが残る。○○さんもあの時の場の雰囲気を感じ、私に申し訳ないという気持ちを抱えてきたが、詳細は記憶から消えているようだった。 過去を水に流すとは、古びた怒りの感情にとらわれていた自分自身の解放かも しれない。

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