介護をしている全てのひとへ(番外編・母と息子のエピソード#1)

 母と二人の息子の闘病記を綴っていくうえで、元気だったころの母のことも書き残していきたいと思います。印象深い(今でも笑えるエピソード)を時々紹介します。

2006年1月27日(私の日記)

 来年、編集部を外れて販売部(システム担当)に行くように内示をうけた。ホームページ制作の心得が少しあるだけで、販管システムや在庫管理システムの更新を担当せよとは乱暴すぎると文句を言ってみたが、ほかに人がいないとのこと。ヒットから遠ざかっている戦力外編集マンのつらいところ。
 販売部には〇〇がいるから行きたくないが、システム担当ならそんなに話をすることもないか… 

 帰宅すると母がソファーでぐったりしていた。わけを聞くと、看護学校の同窓会が3月にあるのでダイエットをはじめたらしい。
 コーヒーゼリーを夕食替わりに食べた後は、マンナンライフのコンニャク畑で口寂しさをしのいだと言っていた。何度も見た光景だ。
 コンビニの弁当は嫌なので、近所にある中華料理「夜来香」にラーメンを食べにいくことにした。
 着替えの後出かけようとすると、既に母が車のエンジンをかけて外で待機していた。
 母のダイエットは、また開始数時間で挫折するかに見えた。
 店ではチャーハンを注文、母は坦々麺を注文。
 チャーハンが先に出てきた。後れること数分、母の坦々麺がステンレスのお盆に乗って席まで運ばれてきた。
 おかみさんが、母の坦々麺をテーブルに置こうとしたとき、脂ぎったてよく滑るステンレスの盆の上を母の坦々麺が滑り出し床に落下した。
 器の壊れる音とおかみさんと母の悲鳴、それに少々気が荒そうなご主人の怒鳴り声で店内は騒然。
 長く店をやっていればこんなことは時々起こることなのか、おかみさんは、とっ散らかした担々麵を手早く片付け、ご主人はすぐに代わりを作り直してくれた。
 待つこと数分、おかみさんが母の坦々麺をやや緊張しながら運んできた。
 よほどお腹が空いていたのか、母は自ら、出来立て熱々の担々麺が満たされた器がのった盆に手をのばすと、「あつーい!」と悲鳴を上げてどんぶりをひっくり返した。
 器をひっくり返してしまった母は、虚ろな目をして少し前まで坦々麺だった床の散乱物を見つめていた。
 3杯めの坦々を母は注文することはなく、家に着くまで口をきく事もなかった。
 かくして、母のダイエット計画は一番苦しい1日目を乗り切った。


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