トラウマ治療:ソマティック・エクスペリエンシング(SE)体験⑨ 話を止められる

SEのセラピーではよくあることなのですが、トラウマ的な体験を話しているときに、その話が“佳境に入ってきた”というようなところで、突然、「はい、ちょっと話すのをやめて、今あなたの身体はどうなっていますか?」とセラピストから問いかけられます。話を止めるタイミングやその頻度は、セラピストによって異なりますが、これは通常のカウンセリングではあり得ないことなので、最初は驚いたし、正直、戸惑いました。

クライアントが虐待の細部を話そうとした場合は、途中で話を遮ることもあります。話をしすぎることは、回復の助けにならないどころか、急激にトラウマの蓋を開けてしまうことになりかねず、かえって有害だからです。

藤原ちえこ『本気でトラウマを解消したいあなたへ』(p.102)

セラピーを受ける日の状態によって、私はどうしても話したい、という時もあったし、それほど話さなくてもいいかな、という時もあって、また話したい気持ちが強い時期と、そうでない時期というのもありました。その時どきにあったセラピストを選ぶのは、難しく感じることもありますが、自分がどの程度話したいか、ということは、セラピストに伝えるようにしていました。(それを伝えると、一人だけ、逆切れするセラピストがいましたが、その方は心理職の経験のないセラピストでした)

もしセラピストの言動に不満があった場合は、それを伝えることが非常に大切です。伝えた時のセラピストの対応で、そのセラピストの力量や姿勢も分かるからです。

藤原ちえこ『本気でトラウマを解消したいあなたへ』(p.102)

ある人は「話すこと」が選択肢のひとつではあっても、必須事項ではないと知れば安心するでしょう。しかし一方で、確かに「何が起こったのか」を伝えたいと強く望んでいる場合ももちろんあります。神経生理学の知識をもとに取り組むセラピストは、個人の話をもちろん聴きますが、伝統的なモデルのやり方とは異なります。例えば、力動的精神療法(精神分析的心理療法)では、セラピストは受け身で話を聞き、たとえ恐ろしい細部でも止めたりはしないでしょう。本人が活性化し、「それは私のせいだ」というような「自滅的な結末」を作り出しても、決して中断しません。
このような静かな目撃者のスタンスは、時系列で詳細に伝えられた話によって、再び危険にさらされているかのようなトラウマ関連の反応や潜在記憶を誘発する可能性が高まります

ジェニーナ・フィッシャー『トラウマによる解離からの回復: 断片化された「わたしたち」を癒す』(p.61)

あるセラピスト&カウンセラーから、「あなたの場合は、言葉がリソースになっている」と言われました。確かに、私自身、子供の頃から、本を読んだり、日記を書いてきたので、言葉にすることが私自身のリソース(安心・安全を感じられること)だと思います。ですので、トラウマ的な体験を「言葉にするかしないか」「話すか話さないか」「どこまで話して、どこから話さないか」というのは、人によって異なるし、とても微妙な判断が必要だと感じます。

癒しのある時点では、必ず、誰かに話を聞いてもらうというプロセスも必要になります。
性的虐待の癒しは、
・話したくない時は、絶対に話さなくてもいい
・でも話したい時は、話を分かち合うことも非常に大切
・ただし、話しすぎるのも逆効果
という、非常に微妙なパラドックスに満ちているからです。

藤原ちえこ『本気でトラウマを解消したいあなたへ』(p.105)

トラウマによる傷は、こころと身体、魂の痛みであり、無邪気さ、信頼をも損なうものです。
過去を思い出すことが助けになることがあるとすれば、傷をまたこじ開けることではなく、過去を再び生きるということをしないためです。
要するに思い出すことは、さらに大きな目的が伴うべきだと私は考えます。
「今ここ」を生きるためにパーツたちの物語の結末が変容するためです。わたしたちの過去のストーリーは「心と魂が何も損なわれず」生き残れた証であり、生き延びるのを助けてくれたすべてのパーツたちへの感謝と、今の安心と健全さを享受するためにあるのです。

ジェニーナ・フィッシャー『トラウマによる解離からの回復: 断片化された「わたしたち」を癒す』(p.77-78)

15年ほど前にお世話になったカウンセリングは、当時ソマティックの考え方や手法が、ほとんど日本に広まっていなかったのもあったのでしょうが、「とにかく吐き出すように」とカウンセラーに指示されるまま、長い時間とお金をかけてカウンセリングに通い続けて、トラウマ的な体験を話し続けた、あの時間とお金が無駄だった、と今でも感じることがあって、皆さんに同じ轍を踏んでほしくなくて、このブログを書いている気持ちもあります。ですので私も、延々にトラウマ的な出来事を話し続けるだけでは、トラウマ的な症状は解決しない、と身をもって感じています。

(あるクライアントは)トラウマ的出来事を繰り返し想起し、再体験することをセラピストの指示通りにやっていました。その結果、セラピー中もその後も、フラッシュバックに悩まされるようになりました。
本人に記憶の詳細や時系列毎に起こったことを語らせることは、潜在的な記憶を活性化させ、神経系を調整不全にし、再トラウマ化をもたらします

ジェニーナ・フィッシャー『トラウマによる解離からの回復: 断片化された「わたしたち」を癒す』(p.59)

もしセラピーを受けてもなんの改善もみられず、何年にも渡って内なる葛藤が繰り広げられていたとしたら、ひとつ身体のひとりの人間という見方を変える必要があります。伝統的な対話形式のセラピー(神経生物学的な方法でないセラピー)は、断片化やトラウマの度合いが軽度の場合にはうまくいくでしょう。しかし、自己を疎外し、拒絶するのが習慣化している人には行き詰まるのです。

ジェニーナ・フィッシャー『トラウマによる解離からの回復: 断片化された「わたしたち」を癒す』(p.77)

ただ思うのは、人間の歴史は、無数の小さな犠牲があって発展してきたのだろうし、誰かが何かに苦労したり苦しんだりして、「もっとこうであればいいな」という無数の思いから、人間の社会の様々な進歩が生まれたのだと思います。だから、私以外にも多くの人が、話すだけのカウンセリングを受けてきて、結局、最大の問題(トラウマ症状)は未解決のまま生きてきた、という人がいて(もちろん米国にもいて)ソマティックのような画期的な治療法ができて、それが日本にも入ってきたのでしょう。人間の進化の歴史は、無数の小さな犠牲によって生まれるのだ、と思うのです。それはもう仕方のないことだし、少しでもその進化に貢献できたらと思って、自分を慰めています。

ジェニーナ・フィッシャーのHPより
It's never too late to be who you were meant to be. (George Eliot)
本来の自分自身になるのに、遅すぎるということはない。(ジョージ・エリオット)