トラウマ治療:ソマティック・エクスペリエンシング(SE)体験⑧ 道のりは遠く

セラピーで、とりとめなく、日常で気になった出来事や、悲しい気持ちになったこと、夜に見た夢とそれに対する自分の考えなどをひとしきり話すと、SEの先生は、やはり私が体について話したことに注目しました。

-足の震えが止まらない、おさまる時もあるが、毎日のように震えがおこる
-先生に話しながら、声が出なくなることがあった

震えはトラウマのエネルギー解放だからと、私は震えがあったときには、それが起これば起こるほど楽になると思って、震えをできるだけ止めないようにしていました。ですが先生は、「ずっと震えが続いているというのも、そこに壁があるという意味合いになるので」と言って、以前と同じように、「体の中で大丈夫なところはどこですか?」と聞かれて、私は「右腕」と思ったのでそう言うと、「右腕に意識を向けてみてください。そして、震えている足に手を当ててみて、そしてどんな感じがしますか?」と聞かれたので、そうしてみると、震えは止まって、今度はとても泣きたくなりました。そしてしばらく泣きました。

先生は、「もしかしたら、震えによって、泣くのを止めていたのかもしれませんね」と言われました。それは子供の頃、泣きたくても泣けなかった、もしくは泣いてしまったら、もっと危険な状態になったからかもしれない、と。そういわれて、本当にそうかもしれないな、と感じました。

震えについては、日常生活で何かすることがあれば、そのときに体を動かすので震えは止まります。でもそれは自然に止まるというのではなく、行動によって意図的に震えを止める、ということなので、先生によると、意図的に止めた場合は、また再度、震えが始まる、と言っていました。そしてセラピーでは、足に手を当てたりして、震えが自然に止まったので、自然に止まる方が良い、それが身体の統合化の方へ行くので、ということでした。

セラピーで話しながら声が出なくなる、というのは、前のセラピストでも起こったことなのですが、今回も同じことが起こって、それは何を話すとそうなるか、ということが毎回同じなので自分ではわかっているので、そのことを伝えました。私の場合、父も母も助けてくれなかった、と言うときに毎回声が出なくなるのです。そして、今回のセラピーではもうひとつ、私にとってつらい出来事を話すと声が出なくなる、ということに気付きました。昨年とても大切にしていた存在を失って、この先、それを一切捨ててしまおうと考えると声が出なくなる、私にとって、それはどうしても捨てられない大切なものなのだ、ということを感じました。

こんな体験記を書いて、誰かの役に立つのか、よく分からなくなってきたのですが、自分の備忘録として、もしかしたら誰かの役に立つかもしれないし、書いておくことにしました。

私のとりとめのない話を聞きながら、先生は、「一本の糸がからまっている、というよりも、何本もの糸がからまっている、という感じがする」と言っていて、自分でも本当にそう思います。「この先、時間がかかるかもしれませんが、少しずつほどいていきましょう」と言われて、SEのセラピーは、合計で40回を超えるのですが、まだ道のりは遠いのか…という気持ちになりました。

何のための人生なのか、何のために生きているのか、正直よくわかりません。これまでずっとトラウマをひきずって生きてきた人生で、今はトラウマ解消のために生きているのか、という気持ちになることもあります。

恋と革命のために生きるのだと本気で思っていた、でも日常はもっと平凡なものだと言われた、そうなのだろうと私も思います。それでもどうしようもなく動かされる気持ちがあって、それが魂なのだと思うし、得体の知れない人間の魂に、心理学や心理療法がどこまで食い込んでいけるのか、という人間の戦いなのかもしれないな、とトラウマ治療の動画を見ながら考えたりします。

トラウマに苦しむ人々が歳月を経て40、50、60代になると、その反応の代償は高価になるでしょう。なぜなら実際のトラウマ的出来事よりもずっと長い期間、身体と感情の記憶によって触発され続け、高鳴る心臓、襲ってくる恥の感覚、強張る筋肉、呼吸の苦しさ、麻痺、そして爆発する怒りは、今危険が迫っているからだと「信じ」続けてきたからです。

また、今やもう危険は過ぎ去っていると知ってからも、自分は不完全だという証拠を探したり、「フリをして」人生をやり過ごそうとしたり、孤独になったり、ひきこもったりします。または、健全な関係を早期に破壊的に終結させたり、不健全な関係から離れないこともあるでしょう。一見、社会で活躍しているように見えても、人生を満喫していないことがほとんどです。刺激を過度に制限したり、圧倒されたり活性化されるのを防ぐために破壊的行為をしたりします。

ジェニーナ・フィッシャー『トラウマによる解離からの回復: 断片化された「わたしたち」を癒す』(p.50)

悲しみというものはトラウマに対する重要な情動的な反応です。それは、トラウマ性記憶への取り組みの間だけではなく、クライエントがいろいろな行動を完了して達成感のより高いレベルに至るときにもまた出てきます。こうした悲しみは、喪失してしまったことに対して「あまりに惨めに過ぎたすべての年月」に対して顕著です。Van der Hartらは、「悲しみは、情動的な痛みの重要な部分であり、十分に取り組まなければなりません。時間とともに、悲しみのエピソードは次第に激しさと持続期間が増加していくのです」と述べています。サバイバーたちは喪失というのはトラウマの避けられない一部であって、そして最終的に、再体験される悲しみの満ち引きを落ち着きをもって同化していくことが、生涯にわたる課題であると理解し、受け入れるようになります。

パット・オグデン, ケクニ・ミントン, クレア・ペイン『トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際』(p.373)

トラウマを癒すのに遅すぎるということは決してない

藤原ちえこ『本気でトラウマを解消したいあなたへ』(p.153)


次回はジェニーナ・フィッシャーの短い動画をご紹介します。
ジェニーナ・フィッシャーは、『サバイバーとセラピストのためのトラウマ変容ワークブック』『トラウマによる解離からの回復: 断片化された「わたしたち」を癒す』の著者です。