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それでも、「あんたは大丈夫」って寄り添うこと


いじめっ子はすぐそばに…

何かことがうまく進まない時、トラブルになった時、「なんで私ってこうなんだろう」って思い詰めることがあります。
何が間違っていた?こうしたらよかったのかな?私のこういうところが悪いんだと、自分に原因があるんだと責めはじめます。

たとえトラブルの原因が自分ではなかったとしても、です。まるで、子供の集団で何かトラブルや失敗があった時、気の強い「リーダーになりたがる」タイプの子供が、気が弱い子供を責めて、お前のせいだと失敗や問題をなすりつけるかのように。

私自身、トラブルの原因が外部によるものでも、自分が原因であったことでも、まずは自分を責めていました。手っ取り早く近くにいて、気が弱く、何でも受け入れてしまう「私」は丁度良い存在なんです。

そう、いじめっ子は私自身だったんです。

どうして自分を責めちゃうんだろう

まずは自分を責めてしまう。私の見解なのですが、それって子供の頃からの刷り込みにあるんじゃないのかと思うんです。

例えば、友達を泣かせてしまった、調子に乗って騒ぎすぎて周りにジロジロ見られた。そんな時、親はこんな言い方しませんでしたか?


自分以外の人に優しくしなさい」
他の人の立場に立って考えなさい!」


はい、決まり文句のように出てきますね。親の構文です(笑)

すると子供はどう思うでしょうか。子供はとても素直です、意味をそのまま受け取ります。


「あ、自分中心で考えたらダメなんだ。『他の人』を優先しなくちゃ
「そうだ、『自分以外に』優しくしなくちゃ


そうしていくうちに、どんな出来事に対しても、特に悪い出来事に対しては自分に責任があって自分が悪いんだ、原因なんだ。自分のせいだ。という思考癖がついていくのではないかな、と。

ねぇ、それ誰基準よ?

私にもその考え方がこびりついていました。なんなら、他人基準で考えることが美徳かのように教え込まれていました。

さらに、私はそれと似た言葉を新卒時代にかけられ、10年以上呪縛になっていた経験があります。

私は会社生活に馴染めず、新卒3ヶ月にして退職し、数ヶ月後に転職しました。その会社では淡々と仕事をこなしましたが、ミスをする度に自分を責め、周りと比べられ、どんどん自信を失っていきました。

そこで当時、勤務歴の長いアルバイトの方にこんな言葉をかけられました。


「自分は100%間違っていると思った方が良い。必ず落ち度があるから。」


私はその言葉を聞いて、さらに自分を責めるようになりました。
その方は決して私を責めようというマイナスな意図ではなく、アドバイスとしてかけてくれた言葉だったんです。それは重々わかっていました。

それでも、思っている以上にインパクトが強かったその言葉によって、私は何をしても「間違っている私」を強化させ、それがデフォルトになっていったんです。

でも、自分を肯定してあげること、「自分贔屓」をすることを意識してからは、呪縛となった言葉や考え方に対してこんな風に考えられるようになりました。

「あ、はい。で、それ誰基準よ?」


それはあなたの考え、基準であって私の基準ではない。確かに社会に出れば一定ラインのスキルは求められるし、その基準は存在する。でも、それができないから自分は劣っているとか、できない奴と決めつけるのは違う。

ところ変われば、自分のスキルや性質は即戦力になるし、重宝される。つまり、どこに身を置くかが重要だと思うんです。


私は事務職(一般事務とか営業事務とか)は全滅、むーりー!営業職はそこそこ。でものんびりマイペースなとこがダメだと言われた。

でも、今の私はトレンドや読者ニーズを探って記事を書き、編集するライターとして、ある程度うまくやっている。事務処理が苦手なところを指摘されることももちろんある。でも、それに対して自分を責めることはしない。

だって苦手でできないんだもん。できる範囲ではやってるもん。だから、ごめんね、都度注意して?こんなスタンス。だから人に指摘されてもイラッとしない。だって教えてくれたんだもん。むしろ感謝。

人によっては私みたいな人、腹立ちますよね。でも、仕方ねぇなって許されちゃってる奴がここにいます。それって、あなた基準で許せないだけで、そうじゃない人もいるってことなんです。

ちなみに、私は細かい事務処理とか、細かく作業を体系化できる人を心から尊敬します。自分にはない、素晴らしい思考力をお持ちだと、見習わなくちゃと。まぁ、どんなに努力しても出来なかったから諦めたんだけどね。

「大丈夫」の魔法

いやいや、あんたみたいに神経図太くないから悩んでんのよ。と思われる人も多いでしょう。
今はこんな私でも、どんなに思考を切り替えようとしても落ち込む時ありましたよ(笑)

私が「自分贔屓」を始めた時、真っ先にしたことが「自分により沿ってみる」ということでした。

とにかく自分責めが酷かったので、いきなり肯定するとかハードルが高すぎたんですね。でも、自分の心の声を聞いて、否定しないであげる。大丈夫って言ってあげる。たった一言、「大丈夫」と言ってあげるだけで、少し強張った表情が和らぎ、溜息がつけるようになるんです。(息することすら忘れることあった)

思い切り自分を責めちゃっても、最後は「まぁ、あんたは大丈夫よ、だーいーじょうぶー!ね、大丈夫だよ!うんうん、大丈夫!」って架空の友達に言ってもらう感じです。

理屈なんかいらないんです。こうだから大丈夫とかいらない。無条件に私は大丈。だから好きなもの食べて、お風呂入って寝よ。これでOKだって、まるッと収めちゃう。

振り切れなかったら、落ち込みまくって大丈夫。もう、地面にめり込むまで落ち込む。そしたら、また自分に飽きるまで大丈夫って声かけてあげて?
大丈夫って言い忘れる、言い疲れる頃には、本当に大丈夫になってるからね。

今日あった嫌なことは自分のせいじゃない。自分が引き起こしたことでも、それはきっと何とかなる。謝らなきゃいけなかったら、心から謝って、同じことを繰り返さないように解決策を考えてみよう?
自分を責めるだけ責めて、傷つけて、突き放さないで?

誰かのNGは誰かのOK。だから、誰かの基準を自分の基準にする必要はない。

どうしようもなく落ち込んだら、不安でドキドキしたら、大丈夫って自分に言ってあげて?どうせ、大丈夫になるよ。

魔法の呪文「大丈夫」、使ってみてね。

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