あれ?なんでもいいんじゃね?って思った話
ちょっと、というか「こいつ、いよいよだな」って話を連投します(笑)でも、もしかしたら理解できると共感してくださる方もいらっしゃるかもしれないので、日記として書き残そうと思います。
人ってどうしようもなく「考える」
数週間前まで、自分の頭の中の思考とか、あれこれ出てくる思考がうるさくて、一人で「あーーー、う・る・さ・い・な!」って言ってました。はい、この時点で「いよいよ臭」がします(笑)
そんな時でも、「お、こいつそろそろオーバーヒートしておかしくなったか?」と客観視している自分もいて、それをさらに観察する自分がいてと入れ子状態で無限ループ。
なんとか頭の中のおしゃべりを止めようと早く寝たのですが、翌朝になっても、やっぱり頭の中のお喋りというか、次から次へと出てくる思考にうんざりしていました。
いや、もうなんでもOK、自分も「側」も全部OK
これを数日繰り返すうち、1つ前の記事で書いたように、「お、地球人ゲームじゃん」っていきなりスイッチが切り替わりました。
この時に気づいたことは、まずみんな「地球人感覚ゲーム」をエンジョイしてる、そしてもう1つは自分の意識が自分の世界を作っているってこと。
ここで言う世界というのは、リアルな現実もあわせて、内面と外側の両方の世界を自分自身で作り上げているということです。
前は、何それ、どういうこと?と「こめんどくさく」考えて、知識をお話ししてるYouTube見たりしてました。でも、その時からストンと腑に落ちて、それがあたかも当たり前、世間の常識のように捉えるようになった。
さらに言うと、「自分贔屓」で自分をオールOKにしている私が作った世界ならそもそもOK、何が起こってもOK、私が受け入れてきた「側」のあれこれも全部OKとしてもいいんじゃないか?と。
ダメなものなんてない。全部大丈夫、OK!だから何が起こっても最善なんだって思えるようになった。
側から見たら最悪なことも、ムカつくだろうなってことに対して、不安になったり、イラっとしても、それすらも「起こるべくして起きた最善」と捉えています。
バカボンのパパ、でいいのだ
人ってどうしようもなく考えて、それがカッコよく見えたり、賢さの象徴のように捉えがち。確かにバカボンのパパは「これでいいのだ」ってのほほんとまとめちゃって、ギャグにしちゃってる。
でも、この「これでいいのだ」が実は軽く進んでいくための1つのアイデアであったりするのかも知れない。
何があっても「これでいいのだ」、どうしようもなく悲しいことがあっても、それを十分感じ切ったら「これでいいのだ」、不安で心臓バクバクでやばい!って時も、その不安を飽きるほど感じたら、やっぱりやることは「これでいいのだ」。
私はこれで全て乗り切っています、今のところ。
日々の生活で不安があったり、ザワザワしたり、ため息が出ることがあっても、それでいい、それが正解で最善、OK!これでいいのだ!ってする。
そう思えたら、ポイっとそれを思い切って捨てちゃって、あとはホッとする飲み物でも飲んで、寝ちゃいましょう!ダイエットなんか気にしないで甘々のココアとか飲んじゃえ!(寝る前のホイップクリームは控えめにね、胃もたれするかもよ。)
いらないものを握りしめていると、それ自体が自分になって、同化して飲み込まれちゃう。その前に「これでいいのだ」って捨てちゃって、忘れちゃって、幸せな夢見ちゃって。そしたら、いつの間にか上手いこと解決してすっきりできるんじゃないかな。
知らんけど。(←このノリでいきましょう♡)
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