見出し画像

今いる世界に「私」を登場させ始めたら世界が変わった話


【注】結構長いので、お時間よろしい時にお目通しいただけると、山田恵里衣という人間をなんとなくわかっていただけるかなと思います…うん、長いです(笑)

私のバイプレーヤー年表

前回の自己紹介の記事で、次回はなぜ私が「自分贔屓」をはじめたのかをお話ししたいと書きました。そのためには私の「他人主義人生」をざっくりと振り返ろうと思います。

【幼少期】
◆保育園ではガッツリ登園拒否
→女子グループに入れられるのが本気で嫌。さらに集団行動が無理すぎて登園拒否。でも、めっちゃ目立つ子達のグループに所属し、「優しくてノリのいい恵里衣ちゃん」だった。

◆軽く登校拒否だった小学生時代
→ここでも気が強い、目立つ子たちが集まるグループになぜか収まり、つるんでいた。「しっかり者で優しくてノリのいいお姉さんタイプ」という位置付けだった。常に人に譲って、自分は残り物で大丈夫というスタンス。

◆家庭内では扱いにくい末っ子
→親から言わせると「扱いにくい子」という評価を受けていた。(実際、親に言われていた)優等生タイプの兄を妬みながら、決して自己主張しないポーカーフェイス。私はなんでもいいよ、がお決まりフレーズ。

【学生期】
◆中高は模範的な優等生
→地元中学に馴染めなすぎて、エスカレーター式の私立一貫校に転入。中2から高三の卒業するまで学級委員やら生徒代表やら、なにかと内申点上がるポジションにつく。結果、「優等生な恵里衣ちゃん」を確立させた。趣味は勉強。特技は人に譲ること、人の嫌がることをすること。部活をしたかったが、万が一、成績が落ちたら親に申し訳ないと思い断念。

◆大学は先生や親が望む都内の中堅私立大
→目的がないので大学に行くつもりはなかったが、都内の私大合格の実績を作ってくれと先生に言われて都内の私大を受けて合格。親も喜んでるからと進学。大学時代は勉強にバイト、ちょこっとサークルに顔出すなど平々凡々な大学時代を送る。この時から恋愛は「彼氏>自分」が当たり前だった。

【社会人期】
◆自分はサポート役だと思い込み、事務職に
→学級委員やらなんやら、細かい作業や人が嫌がることを引き受け続けてきた経験から、自分はサポート役しかできないと思い込んでいた。実際、新卒で事務職に就くが、不適合すぎて3ヶ月で辞める。その後も転職を繰り返す。一番長く続いたのは韓国系企業のネットショップ運営。でも、週6で毎日12時間くらい働いていたのでそれなりにブラックだった。

【結婚期】
◆元夫に「幸せにしてもらおう」と思っていた
→25歳で国際結婚。東京に住みながら、元夫の希望もあり専業主婦に。悠々自適に過ごしていたが、元夫に「幸せにしてもらおう」という、おんぶに抱っこ精神で生きていた。

◆ワンオペ育児&鬱で心身ともに◯んでいた
→育児は基本ワンオペ。次男が誕生した頃には体力的・精神的に不安定。でも、「いつも綺麗なママ」でいなければと虚勢を張っていた。この頃は美容・ファッション系のフリーWebライターとして活動していた。生活の中心は子供。元夫は多忙なためコミュニケーションは皆無。自分を追い込んで、大丈夫、できると外部に助けは求めなかった。

◆物質的な豊かさだけを求めていた
→常にお金に困っていた。生活の質を落としたくないという見栄から自転車操業状態に。心の豊かさではなく、「他人から見て」自分はどう見えるのかだけを考えていた。

◆いろいろあって離婚
→夫婦・家族関係が原因で子供2人を引き取り、離婚。鬱が酷く、1年ほど精神科に通院。しばらくは迷走期に入るが、とあることがきっかけで自分に向き合うようになり、自分の世界が変わっていった。

いかがでしょう、なかなかな「他人主義」ではないでしょうか(笑)
どこをとっても「私」が主語になっていません。自分の人生なのに、どこにも「私」という要素がないのです。

誰かに推薦されたから、誰かが望むから、誰かのために、他人になんとかしてもらおうという魂胆が見え見えでございます。

でも、こうした人は少なくないのではないかと思っています。よく言えば献身的で優しく、人の期待の応えたいのです。

自分が人生の「主役」になったきっかけ

では、そんな私が自分を主語にした人生作りに舵を切ったのか。それは本当に些細な、でも私にとっては「光」でした。

離婚して数年後、その時私には友達以上恋人未満のお相手がいました。(以下Aさん)ですが、それはそれは束縛の強い人で。私がどこで何をしているのか、とにかく知りたい、報告してほしいという困った君でした。連絡が遅れる、滞ると拗ねていじけて子供のようでした。

そのことを親しい男友達(以下B)に相談したところ、そういう奴は後々面倒だから早いとこ手を引け、やめとけとアドバイスをもらいました。(→冷静に考えればもっと早く手を引くべきだった)

その相談以降、Bとあれこれ連絡を取り合うようになり、会話の中で自分がやりたいことや挑戦したいことを話すようになっていました。
そして、彼は決してそれを否定することなく、やってみろ、挑戦する価値があると背中を押してくれました。

Bからは勇気をもらいました。これまで、幼い頃から私が何かしたいというと、親も先生も友人もみんなが否定したり笑ったりして、誰も肯定しなかった。でも、Bは否定せず、大丈夫だ、まずはやってみろと力強く言ってくれました。

さらに、私はこれまでAさんに振り回されて、自分の気持ちが疎かになっていたことにも気がついたんです。そして、Aさんに思い切って距離を置きたい旨を伝えると、返ってきた返事は…

「勝手にすれば」

…笑っちゃいました。なんだ、私だけが空回りしていたのか、バカだった、時間を無駄にしたと。そして何より、そんなことに心を痛めて悩んでいた私自身に申し訳ない。ごめんね、辛かったねと心から謝ったことを覚えています。

私はこのように、自分を大事にしない人間関係と、私を受け入れ肯定してくれた友人をきっかけに、自分に向き合い、大切にするということに関心を向けはじめたのです。

自分の人生を生きるようになって変わったこと

先述したように数十年続けた長い「他人主義」の人生に見切りをつけ、自分自身に重きを置くようなると、以下のような変化がありました。

▶️自分に向き合えるようになった

▶️自分に「大丈夫」って寄り添えるようになった

▶️頑張る方向を間違えなくなった

▶️他人に寛容になった

▶️本当の意味で「責任」を担う覚悟ができた

▶️子供との向き合い方が変わった

ざっくりいうとこんな変化なのですが、これらの項目についてはちゃんとお話ししたほうが良いかなと思うので、別途記事にして話したいなと思っています。

「主役」を張るには積み重ねが必要だった


今では自分を肯定してあげられるし、私ってダメだなって思っても立て直すことが容易になりました。でも、そうなるまでに私は2、3年かかっています。悩んで、失敗して、投げ出して、でもなんとかしようともがきました。

巷では「自愛」という言葉が飛び交っています。でも、それってこれまで自分を受け止められなかった人にとっては重く、難しく、崇高なものに感じられるんです。

でも、実際はそんなハードルは高くはない。でも、そう考えられるまでが難しいんです。だから、私は「上手くできないんだよ!」という人が少しでもスムーズに、楽しく自分を受け入れられるようになり、気持ちが軽くなるお手伝いをしたいと思っています。というか、一緒にやりたいなと思っています。

今回はこんな私でも心を立て直すことができたんだから、みんな大丈夫!ということをお伝えしたくて、長々と自分年表を書いてみました。需要があるかは…あったらいいな(笑)

次の記事では『自分に向き合うとは?』について書いてみたいと思います。
よろしければ覗きにきてくださいね。

お読みいただきありがとうございました♡






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?