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アガサ・クリスティー

今、アガサ・クリスティーの『ナイルに死す(新訳版)』を読んでいる。

こちらは本屋でたまたま平積みされているのを見かけて、あらすじを読んだ上で面白そうだと思ったので購入した。アガサ・クリスティーは以前にも『ABC殺人事件』や『オリエント急行殺人事件』などを読んできた。後者は映画でも見るほど好きな作品だ。



アガサ・クリスティー作品の中でも、私にとって一番印象深いのは『そして誰もいなくなった』だ。

無人島に集められた登場人物たちが次々と殺されていき、最後に残った人物も拳銃自殺を遂げるという壮絶なストーリーだが、私がアガサ・クリスティーという作家と、この作品と初めて出会ったのは大学生の頃だった。

私が大学時代に取っていた科目で、教授が(おそらくは)自分の好きな推理小説をひたすら紹介するという一風変わったものがあった。元々読書は好きな方で、推理小説もシャーロック・ホームズ程度ならかじっていた身だったので、毎週の受講を楽しみにしていた。

そうしてある程度講義が進んできたある日、教授が紹介したのがアガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』だった。

その時教授がどんな紹介の仕方をしたのか、実はよく覚えていない。なにせ私が学生だった時代は遠い昔の話である。もうその講義をしてくれた教授の名前すら覚えていない。しかし、教授が発言した中で今でも覚えていることがある。

「この作品の結末は、自分の目で確かめるべきだ」と。

「私の講義では、結末までは教えない。それは自分で作品を読んで確かめるんだ」と。

教授はそんなことを、言っていた。あの時の言葉がどうしても引っかかって、私はのちに『そして誰もいなくなった』を自分で購入し、読むことになる訳だが。

最後の最後のどんでん返し、私は今でもあの結末を読んだ時の驚きを覚えている。ここではその結末は書くまいが、「そうだったのか…!」と改めて小説の部分部分を読み返したほどに、完成された作品だった。

後で知ったことだが、翻訳家によってはとある部分の訳を作者が本来意図した文言とは別の意味の文章にしてしまい、結果物語そのものが破綻してしまうということがあったという。どれほど緻密に計算された小説なんだろうか。

この作品を教えてくれた教授にこの驚きと感動を伝えたかったが、私が『そして誰もいなくなった』を読了した時にはすでに年次も変わり、教授に声をかけるタイミングを逃してしまっていた。

もっと早く、あの作品を読んでいたら。

そう思ったこともあるが、なによりも私はこの作品を読んでからアガサ・クリスティーという作家の小説を読むようになった。今でもあの大学での一幕は良い思い出だ。



本との出会いというのは突然降ってくるものだ。今後はあの時のような出会い方はないにせよ、まだ見ぬ新しい小説と出会えることが、私は嬉しくてたまらない。

『ナイルに死す』はもうすぐ読み終わる。この結末を見届けたのち、私はまた新たな本との旅に出ようと考えている。

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