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書き方よりも、書いていくこと。

カラダについて、伝える時に悩ましい気分になり、躊躇してしまうことがあります。

身体のことを学び、健康運動指導に携わっていますが、その中でどうしても、解剖学的なことやらなんやら、何をしたらこうなるなど、どんな視点から掘り下げるのか、専門的なこともあり、言い難いな、書くのが難しいな、とブロックがかかっていたところがあります。

とくに、書くことに関しては、その場に私がいて、細やかなニュアンスが説明できないもどかしさもあり、躊躇していました。
日記のようなつぶやきや、体験したことは書けるのに、なぜ書きたくないのか?と、自分に問いかけてみて発見したことがあります。

身体のこと、運動指導に携わることに関して、一部の知識や技術だけで、身体のお悩みを解決するなどと言ってしまうと、全ての人にぴったりその解決方法が当てはまることはない、ということが理由のひとつです。
(効率が良くないこともあれば、全く見当違いな事もあるし、適当なこともあるので。)
また、知識を書くことも、知ってもらうだけでなく、効率よく活用してもらうために伝えることが仕事のため、書くことの必要性をあまり感じていなかったというのが、正直なところです。

そこに書くことが全てではないということ。
全て書けるわけもないということ。
そして、書いたものを読んでいただいても、実践しないと結果はでないものについて書くことを煩わしいと思ってみたり(笑、何様でしょう~私)、
どこまでも書けないしと区切りのつかない言い訳がでる。(区切りがつければよかっただけですが)   等々、

とにかく、もやもやして書けなかったのです。

けれど、そういうもやもやして書きにくいと思うことが、身体のことに限らず、あるものかもしれないなぁと、noteを書き始めて感じています。

当たり前だけど、書き方よりも書いてみること。

noteを書いていく中で発見したのは、学びを深め、知識や技術をもとに、それを効率よくor 効果的に活用いただけるよう伝えることが私の仕事ですが、書くということで伝えることには慣れていないということ。

なんとも残念なのですが、専門分野について、書く習慣が出来ていなかったということ。

書くということは、緻密な作業だと感じて、それゆえに、お仕事で書いてお伝え出来ることが、まだまだ確立出来ていないと思っています。
ですが、細かなことは書いてみないと修正も出来ないことにも書き始めると気づきます。

緻密な作業であると思い込んでしまったことでも、書くことに躊躇してしまったのですね。

こうすればよかったと思うのは、もっと早く始めていればよかったということ。
始めたので、今はもうよいのですが、早めに始めていたら、今頃習慣になっていたかもしれないなと、ちょっと残念なことをしたなあとも思うのです。

今年は、noteに書き始めることが出来てほんとうに良かった!

書いてみると、整理がつくし、こんなチャレンジもしてみようかな?となって嬉しいので、今は、やはり書き続けていくことが大切で楽しい。

今はそんな感じです。

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