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ないものねだり

 大学進学を機に上京した。地方で生活を送る高校生は、いつも家を出たがっている。家から離れることが、何よりも「自由」だと感じるのだ。あるいは、自分はもう一人暮らしをできるくらいに大人になっていると行動で示したいのかもしれない。はたまた、東京のネオンに魅了されているだけかもしれない。いずれにせよ、都会への憧憬は強い。しかし、一人暮らしを始めた人なら誰にでもわかるように、ふと寂しい夜が訪れることがある。そんなとき、たいして仲良くもない人と飲みに出かけても解決に至らないことは明白である。

 私たちはいつもないものねだりだ。上京すれば実家に帰りたいと思うし、恋人ができれば浮気をする。私たちはいつも自分が持っていないものに強く惹かれる。当然のことである。だからこそ、「隣の芝生は青い」のだ。ということはつまるところ、政治家が「一億総中流社会」を謳うということは、一部の上流階級と、大多数の「中の下」で構成される格差社会が厳然としてあるということを意味する。そして、これを標榜する限りにおいて、実現はなされないというパラドックスである。

 また、現代は多くの人が「普通」でありたいという願望を密かに隠し持っている。しかし、我々が望む「普通」とは、統計上の平均値、あるいは中央値のことではない。特別嬉しいことがあるわけではないが、決して絶望しないで済む領域とでもいえばよいだろうか。おそらく、これは「普通」なのではなくて、「安定」と表現した方が適切であろう。すなわち、現代には「安定」が失われている道理である。


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