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サイキカル界での不思議な出会い

夢の話です。

さて、その前に前フリ。

夢というものは、四次元(心)の世界で経験していることであります。
このあたり、かなり前にも確か書いたはず。
タイトルは・・・記事たくさんあるので探すのメンドクサイので、
ヒマな人は探してみてください(不親切でごめんちゃい)。

感情の世界のことは、サイキカル体の世界ということで、サイキカル界といいます。心の身体はサイキカル体といいます。これが"こころ"そのものです。サイキカル体のことを幽体ともいいます。感情のエネルギーそのもので四次元に存在します。この身体が、喜怒哀楽を感じたり、好き嫌いの反応を示したり、何かを想ったりするなど、「想念」を創っています。

四次元は、想念の世界であり、その想念で作られたエレメンタルがたくさんたくさん存在していて、ミラクルワールドです。(ダリの絵画なんか、正に四次元を描いたものですね) この四次元に生まれたものが、時機を得たときに三次元に具現化するわけです。

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物質的な三次元と違って、四次元は何でもありです。過去に存在したもの、リアルに創られているもの、これから存在しうるもの・・・つまり未来はここにある。過去と現在と未来が同時にある場所です。

そして、総ての人が創った「想念」が全部あります。困ったことに物質と違って壊すことが出来ないので、何でもかんでもめちゃくちゃに混在・重複して存在しているわけです。
こんなものが欲しい、あんなものが欲しい…と想って創ったもの、家や街や自然的な景色から、想像上の恋人とか人や獣など、ファンタジー的なイキモノから、物欲から生まれた金銭やブランドもの、懐かしい故郷、想い出の品、妄想から生まれたもの、何でもござれ。

この世界(サイキカル界)を睡眠中に訪れて、様々に創られた妄想の産物など、思考や発明・発見、アイデアの宝庫だったりもします。この世界での他人の想念や思考を観たり体験した結果、そこから着想やヒントを得て、現実の世界に応用する人は多々。それは漫画や小説、映画などのフィクションだったり、絵画だったり、発明とか仕事のアイデアとか種々様々。

他人と同じものをサイキカル界で見たものの、自分より先に他人に具現化されることもあるし、自分が創った創造物(思考や想像)を他人に見られて、そのモチーフや考えを他人に使われてしまうこともある。
先に三次元に発表したほうがやったモンがちなので、盗作とか流用とかは言えないわけですが、そのようなことはマジメによくあること。

ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」とかも夢の世界の話だし、黒澤明監督も自分の見た夢を映画という映像で表現した人。サイキカル界での経験を現実社会に応用する人は実に多いのです。

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また、ここには人に創られたエレメンタル(事物や人)だけでなく、亡くなった人々・・・も住んでいたりする。自分が死んだことを理解できていない人々などなど。不成仏霊といえばそうだし、成仏して次の転生を待つ人も含む。ていうか、サイキカル界は49次元あるので、次元ごとによって、属するもの、人の状態は異なるので。

7つの学校があって、それぞれ7つの学年があると過程すると、下の二つの学校は初等教育に近く、一番下の学校は人外というか、地獄みたいなとこ。もう一つ上は保育園みたいな感じ。この辺に彷徨っているというか属しているのは、自分が死んだことに気付かない不成仏霊ってことでいいかな。

その上の学校も微妙なんですが。小学校という感じですかね。自分が死んだことに気付けている状態の人は、その上の上の学校でないとほとんどいない。それぞれの学校は、下の学校ほど酷いというか、めちゃくちゃで無軌道な、ごちゃごちゃした世界で、上の学校に行くほど、整頓された秩序ある世界となる・・・って感じ。

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さてさて、人は睡眠中、すなわち三次元に属する肉体が休息をとっているとき、意識が四次元の身体であるサイキカル体に移行するので、サイキカル界を「経験」することになる。

この世界では、想ったことがすべて同時に経験できる。
「行きたい」と考えて、その場所を思えば、すぐに行くことが出来る。
どこかに移動するのに乗り物なんて必要ない。
そして今までの自分が創ってきたすべての欲望と対面することになる。

自分が妄想したり想像してきた世界、執着してきたものすべて。または自分と似たような波動の欲望を持つ、他人が創りだした世界とも簡単に接触できる。

夢が矛盾だらけで、瞬間的に場面が変わり、脈絡のない展開である理由はとても簡単。それが想念の世界だから。自分の「こころ」の世界を経験しているだけだから。

そして、そればかりでなく、同じく睡眠中である、他の人・・・他人のサイキカル体と出会うこともたくさんあります。夢の中の出会い、です。

現実でご縁のある人、友達とか親とか同僚とか知人とか、そういう人と夢の中ででも会うことはあります。ちなみに霊的レベルが異なる"人"とは会えません。何故なら、行くサイキカル界が異なるから。その人に出会ったと想っていても、実のところ、生霊のように創られた、ときに自分が創った相手のエレメンタルに会っていることがほとんどです。

たまたま、現実では出会ったことがないのに、サイキカル界で先に会って、現実で後に会ったりすることも。そういうとき、「どこかであったような?」と、デジャビュや始めて逢うのに懐かしいというような感覚を抱くこともあります。

でも、時にそのサイキカル界で幽体離脱をしてきた人ではなく、死者・・・死んで肉体はなくサイキカル体とノエティカル体のみになり、次の転生待ちをしている(まず死んだことに気付いてない)人にも、会っちゃうことはあるのです。

とはいうものの、必ずしも「会いたい」人に会えるわけでなく、ですが。

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でもって、死んだ人は自分の霊的レベル(派動)に見合った、サイキカル界にのみ住むことになるんですが、生きている人(肉体を持った人)の場合、自分が属するサイキカル界以外にも、行けてしまったりします。
ただし、上に関してはせいぜい一つ上のクラス?(謎) 下に関しては際限なく堕ちることが出来ます。自分が今までいたサイキカル界(下の世界すべて)と、次に行くとこは見えます。

霊的でトレーニング(転生前は中間生においての学び)をしている人だと、
一つ上だけでなく、たまーにも少し上のクラスも覗けたりもします。
これは引率者(案内人)がいれば…に限ってになりますが。

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で、ようやく本題です。

今朝見た夢のこと。

とある下町っぽい、どこか懐かしい昭和な家が並ぶ、長屋みたいな、日本家屋の玄関を開けっ放しにしたとこに、ご老人が座っていたのです。(長屋と言うよりは御徒の家みたいな、武家屋敷まではいかない武士の住むタイプの家でした。町人が住む家の造りではなかったように思います)

その人曰く、人を見かけたのは久しぶりだ・・・と、人懐っこく、ぜひ話をしていきなされと、茶を勧められ、なんかまあ、おしゃべりをすることに。
でもね、周囲というか、その家の隣にも家々はあるのです。住宅街みたいなとこだし、決して家々の間隔は広くなく、人の気配がないわけではなかったので。むしろ、様子を伺っているような気配もあったし・・・

でもまあ、孤独な老人って感じなのかな、と思い、
世間話をしていたりなんかして。

するとね、まるでテレビのようなの何か・・・遠くの景色が映る空間のようなものがあって、それにね、とある有名人が映っていたんですよ。このあたり説明するのが難しいんですけど、テレビのようでテレビではないもの。形としては球体なの。球体というよりは楕円のレンズみたいなものでしたが。そうですね…よく水晶球に未来が映し出されるでしょ、あんなイメージ。

で、そのレンズに移る人たちって私も知ってる…姿だけで判る人でした。
歌舞伎の世界の人でテレビドラマにも出てる有名人だから。

「○○○○○さん?」と私がいうと、そのご老人は、「そう、息子」とニヤニヤされて、どこか自慢げかつ嬉しそう。

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「では、○○○○さんとか、○○○○○さんとかって?」
「うん孫・・・」とこれまた目を細めて嬉しそう。

ちなみに私、その方知らないんですよ。
歌舞伎は・・・見に行ったことはあるし、関心ないわけではないけど、その世界にはさっぱり詳しくはない。玉三郎ファンだし、雷蔵さんは大好き~💛だという位で、ちょっと知ってる程度。

で、その方のことはごめん、さっぱり知らなかった。

そんな風にファンでも、憧れてたわけでもないのに、
たまたま訪れたサイキカル界の街で、会ってしまった。

でも、話している途中で、ふいな来客である私を楽しませようとしてくれたのか、何か木刀?のようなものを持ち、歌舞伎のカタ? 観得をはろうとしたのかな?すると、途端にプルプルしはじめて、様子がヘンに・・・
発作のような・・・だ、大丈夫ですかっ?って、そんなこっちが慌ててしまうようなね。

大丈夫だ、と心配ない・・・というような仕草をして、奥に引っ込まれてしまい、いつまで待っても出てこなくなっちゃったから、そのまま失礼してしまったんですけどね。(その時に隣近所にも人が何人かいることに気付いた)

起きてから調べてみると、ペーチェット病というご病気で亡くなられたみたいで、あのとき、プルプルして痙攣?したように見えたのは、そのせいだったのかなあ…と。そういう発作が出る疾患なのか、そこは解りませんが。

いえもう肉体はないし、病の苦しみや痛みからはラクになったはず、と言いたいんですけど、あの様子だと、残念ながら死しても病に苦しまれている。

そんな風にね、死んだ瞬間は一瞬ラクになるものの、解放されたかと思いきや、死んだ後にも病気や怪我や肉体の損傷、痛みや症状に苦しまれている人は実に多いのです。それって、当人が選んでいるだけで、いつでもそこからラクになることは出来るんですが。はい。病気は肉体のものだけのものだから。でも、本人は病気だと思い込んでいるのね。そして、この状態から抜け出すには、段階があるから仕方ないんです。

なんてかね、死んでからの疾患(その症状)や怪我、肉体の破損は思い込みや気のせいっていうのかな、当人が創っちゃってるだけなのね。錯覚というか幻覚みたいなもので。本人が痛みたがっていて痛がっている、それだけのこと。

この方の場合、現世というか下界?(三次元)の息子さんや孫たちの様子を見守れてはいるから、亡くなったことは受け入れられているんでしょうけど、生前の肉体の痛みをまんま残しているということは、アレだなあ・・・ちょっと次の段階(転生)に行くには時間が掛かりそうだと・・・
うん・・・どうやら、生前のこの病は、当人が病気になることを招いた、ようだし・・・つまりはカルマとして表れたもので、自分に対する罪ね。
まだそこから自由になってないからこそ、死しても症状に苦しめられているというわけ。そのことに対する「気付き」がまだ無いんですよ。
三次元の世界の2015年9月8日、現時点まで。

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ふと迷い込んだ、サイキカル界のとある街の片隅で、たまたま出会って少しばかりお話した程度のご縁ですけれど、早く次の段階に進んで、病の痛みや症状から癒されて、1日も早く救われますように・・・と祈るばかりです。

縁もゆかりもなく、生前のご活躍を知らないのに、
偶然も偶然で会ってしまった。

でも、どーせだったら、雷蔵さんや萬屋錦之助に会いたかったなあっって、
想ってしまう私はなんていうかミーハー(お会いした某さんに失礼ですわね)
けど、あの街にはいないのかー 残念っっっ

また、あそこに行けるかどうかというと、サイキカル界を意識的かつ自由自在に探訪できるほどの霊格レベルには、私はまだまだ達してないので、今日はほんのたまたま…なのでした。

まぐれでまた同じところに行けて、再会できたらいいなあ。でも、空き家になってた方がいいんですけどね。うん。早く転生して欲しいですしね。
それとお一人暮らしでしたね。奥様とは一緒ではない。ええ、夫婦といえど、死してからいける場所は同じとは限らず、なので。それは致し方なし。もしくは奥さんのほうは先に転生されたのかも。そこは判らないですが。

そんなこんな、ちょっと面白い体験なのでした。

そうそう…
サイキカル界にいる自分のご先祖とか身内からは、マテリアルワールドというこの三次元にいる、子孫たる我々・・・私たちの様子は、マジに丸見えなのですよ、うふふふふ。視られてます、バッチリ。ははははは
お天道さんが観てるって、本当でしたっっ汗

もち低い次元にいる人の場合、観れない段階の人もいますけどね。

ああ、あと・・・
うちの生徒さんのご先祖様(幕末の偉人サンでエライ人)とサイキカル界でご一緒したことがあるんですが…(以前その人の記念館の銅像の前で説教されたことがありまして、その後に子孫であるその方がご縁というか、とある方の紹介で来訪されたりなんかして。はい、そういうことってわりとあります) 夢の中で、私は労働?させられて必死こいてるのに、その人は豪遊してるって、ハイ・・・笑
でも、子孫の方が言うにはその人って、そんな人だったらしい・・・ムム

いやさ、どんな夢か言うとアレなので、フェイク入れると、こきつかわれていた・・・ってなっちゃうな。でもな、夢でバックアップ?下僕化?してくれているなら、もっと私、実生活で金持ちになっていても、よくないですか? あっ・・・そんなこというから、怒られるんだわー(爆)

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