見出し画像

Case Study - 番外編「発達障害とカルマの考察」

一つの事例の背景について書くと、
そのようなケースのすべての背景や原因が、
さも、そうした理由から派生している・・・
というような誤解を生んでしまうこともあるので、
このような話を他者に伝えるにはとても難しいといつも痛感する。

当方としては断定はせず、あくまでも
このようなケースではこうした傾向があるようだ、と
一つの見解を指し示しているだけのつもりなのだけど。

それでも他人に情報を伝え、印象を与えるという意味では、
文章にして、誰しもが読めるところに公開する行為は、
本当に責任の重いことだ。

画像1

文章に書き起こして開示するのは、
それが誰かの(その人が物事を解するのに)役に立つという、
信念のなせるわざではあるが・・・。

もし、そうであっても、
いたずらに周囲や他者に先入観ばかり植え付けて、
題材となる人々の尊厳を傷つけ、人権を無視した、
罪深い行為であるならば、その罪は潔く背負って行こう。

数百年も前、中世よりも前の頃であったか、
私は欧州のある国で男性だったとき、学者であり、
天文学者たる占星学者であり、
医師の真似事のようなことをしていた人生があった。

とても閉鎖的で非社交的な人間で、
およそ親切心とは無縁の人間であった。

他人を信じず、他人の意見や学説に懐疑的で、
自らの発見した法則や発見に固執し、
自分とは異なる意見にはとことん批判的。
弟子は取らず、長年の臨床と研究の成果を他者や後進に伝え、
他者と分かち合おうなぞと考えることは皆無で、
一言でいうならば知識の出し惜しみ、ケチを絵に描いたような
偏屈でイヤなコチコチの石頭の学者で、
醜い、醜い、醜悪な老人だった。

画像2

その時の教訓、反省から、
今生では、他人に持っている「知識」を分け与え、
知っていること、前任者の知識を伝え残すことを、
おのが使命であると、それがカルマのレッスンでもあると、
後任者を育てることがライフワークなのであるが・・・

とはいえ、臨床の場には患者たるクライアントが存在する。

疾患名や臨床データという数値だけならいざ知らず、
私が扱うのは、「人」そのものの人生である。
その人の人となりであり、生きてきた道程であり、
魂の足跡たる過去であり現在のことである。
実名や個人を特定する情報は無くとも、
極めて個人的な情報であり問題について文章に起こすこととなる。

また、科学ではなく、非科学的な眉唾的なことではあるものの、
言葉にして、記録のように残すことには責任がある。
人に伝えること、情報を発信するということはそういうことだ。
その重みを常にこの身に刻みつつ、
臨床例として書かせていただく、当事者への感謝と畏敬の念、
その人という存在、人生への尊重を忘れることなきよう、
真摯に綴っていくことを改めて決心し、襟を正したいと思う。

ここから先は

3,978字 / 8画像
この記事のみ ¥ 100

もし、こちらの記事を読んで頂いて、面白かった、参考になった…とそう思って下さったり、サポート下さいましたならば、心から嬉しく思います💛