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作品には魂(愛)または念(邪心)が宿る

昔、良く訪れていたギャラリーカフェがあるのですが、そこでは素人からプロまで様々な人の作品を、週単位あるいは月単位で飾っていて、それらと作品が織りなす空間を味わいながら、お茶や食事を楽しむことが出来ました。

必ずしも絵や写真といったものでなく、壁に飾ることが出来るものならばなんでも…といった感じ。

普段お客さんたる"人間"のエネルギーを読み取り、そうしたものから情報を得ている私ですが、そうした作品に関しては無機質に、それが好みか好みでないか、自分の感性に合うか合わないかだけで、敢えてアンテナは立てず広げず、単純に眺めて楽しませて頂いていたのです。

ある時ですかねー

とある書画の方の個展にて、入店して壁中に飾られた作品を見た瞬間…
(っていうか空間そのものがもう)

「え゛ー ナニコレー! 
 この人 一体どうしちゃったの??」

と、ぼやいてしまいました。

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その人の作品は前回の個展の時に見ていて、なかなかイイし、好きだなって思っていたのですが。

ものすごいイヤらしい欲望のエネルギーが、すべての作品からプンプン臭ってるんです。「オレはスゴイ すごいデショ どうよ ふふん」みたいな自己顕示欲というのかなー それと相まって「儲けたるでー金稼ぐでー!」という、お金に対する執着と欲望。

もうね、きしょい…一言それだけ。

いやさ、アーティストの人がお金のことを考えちゃダメってのは無いです。
自分の創り出した作品に、価値としての金額設定をするのは大切だし、それが悪いってことは無い。お商売として考えるのは当然だし、そういう現実的な感覚も必要です。

そのような気持ちを持ったから、こんなキショいエネルギーが出るというわけでもないです。

たぶん…自惚れとか言った、自分への過大評価とか、自意識過剰な自己顕示欲とかが加わってしまうこと。して、作品を生み出すときの純粋な楽しさとか創造性の悦びとか…そういうものがまったく微塵の欠片も見られない…って状態が、こんな歪んだものを生み出すのかなーと。

つまり、作品が邪心の塊になってるのです。

この方の場合、以前は良いものを創られていた方だけに残念でした。

ただ…お会いしたことはないんだけども、作品を通して知り得た情報の枠で言うならば、この人が購入者に対してメッセージを発する言葉を、書として現すことをしているのは、過去生から今生の生き方での償いの意味もあっての…そのための才能の発露だったから、主旨がズレたというか道を間違えちゃったねって、ホントに。

いつかスランプに陥ったときに、そのことに気が付いて、初心に戻って下さるとよいのだけども。

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あと、ある作家さんの個展のとき。やっぱり…うっひゃあ!! な、歪んだ空間になってたことがあります。

聴けばその作家さんは、エネルギーワークもされる方とのことでしたが… 作品を買い取られた方に善くないことが続いてるとのことっっ汗

そりゃ、そうでしょう…不幸を呼ぶ呪いのアイテムになってましたもの。

お話はしないまでも、お姿をお見かけしましたが。全体的にどす黒い霧(オーラというかエレメンタルですね)で覆われた方で、南国に行かれて一か月位
太陽に当たられて来られては…?とお勧めしたくなりました。

たぶん。おばあ様が同じ仕事していたというから、そのおばあ様がその仕事でとりこぼしたことを、負っちゃってるというのもあるのですよね。
で、それに気付けてなくて、自分の実力の限界を知らないこと(己を知らない)。それが故に、色々とスポンジのように負のエネルギーを吸っちゃってしまっていて、それが作品に入っちゃう方のよう。
(当人に聞かれたわけではないのでわざわざ言いませんけど)

それとは逆に、「わぁっー 素敵! ものすごく太陽の暖かいエナジーを感じるー」という作品に出合うこともあったりします。まさに幸運のアイテムみたいな、愛と光にあふれた作品。

これ玄関に飾っとくと光集まってきてキラキラしそうー♪
いい感じで魔除けになるー♪

そういう作品を創る作家さんもいて、見つけると嬉しくなります。

今の家は賃貸だから飾るとこもないし、購入とかしませんけど。(これ以上、モノを増やせないっっ)

そして眺めているうちに、作品からその作家さんがどんな人なのか、そういうのも解ったりするもんなんだなー…と今さらながら気が付いたりなんかして。(サイコメトラーのトレーニングかw)

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楽しみながら作品を創っているのか
自分を癒すために創っているのか
自分を誇示して表現するために発散しているのか
得られない世界や現実を作品の中に求めているのか

色んな想いをひとつの作品から感じ取ることが出来ます。同時に作家さんの作品からその人そのものや、人生とかカルマのレッスンとか背負っているものや、あれやこれやも読み取ったり、覗き見たりすることが出来て、そういうのも面白いなあ…と、改めてそのことを楽しんだりしています。

でもって、作品にはその人の魂が宿る…とはよく言ったもので、愛のある希望に満ちた、心地の良いエネルギーが宿ったものも、それなりにあるのだけども。哀しみや憂いに満ちたものとか、心の叫びとか孤独とか、そういう程度のものならまだ良いのですが。

邪心というのですかねー こればかりはホント頂けないですわ。魔的なアイテムになっているものは、呪いでも込めたんかー?っというような、場を悪くするエネルギーの発生源になってるから。

立体的なハンドクラフト作品もそうですが、とくに絵は二次元的なアートとして、色と線の織りなす図形として、一種の波動を生み出して引き寄せるのです。

そんな作品がたくさん飾ってあったり、生みの親たる方が出入りしていた日には、オーナーさんも体調悪くします。崩されて当然ですっっ お客さんも来ないですっていうかー 居心地悪い空間になっちゃなってますよって。

たかが絵、されど絵。

平面的なアート一枚でさえ、空間に及ぼす影響は侮れないのです。

素敵な作品を創り出す作家さんは、たとえシャイで人見知りだったとしても、おしゃべりで陽気な人だったとしても、謙虚で控え目で自分が好きなものや世界に対する、愛が溢れている人たちなんですよね。

そこには自分の作品に対する愛着はあっても、
自分の力量や作品に対する過大評価は存在しないの。

だから作家さんがどんな人かってのを知って、この人の作品を飾りたいなって、それで買うのもありだろーなあ。

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