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藤山一郎 - 長崎の鐘 - 1949

藤山一郎さん、好きです💛 
朗々としたバリトン、堂々と、威風堂々とした歌い方、
正統派とも言える歌唱スタイル、して、声が素敵~ 

とにかく品があるんですよね。

ジェントルマンって感じで、なんか貴族的な雰囲気もある。
それでいて、武士のたたずまいを感じさせる面もあったりするし…小柄な方ですけど、存在感がありました。

声楽家として本格的な楽曲から、
流行歌手として歌謡曲・演歌まで歌いこなす器用さ。
そして、やっぱ日本の歌手なんだなあ…って言うような、
日本語の正確さ。

言葉がね、ちゃんと聞き取れる。
耳にスッーと入ってくるのよねっっ

もう既にお亡くなりになってしまいましたが…
(明治生まれだし)、日本がもっと世に誇っていい、
素晴らしい歌手のお一人でしたよ。

伝説のオペラ歌手、三浦環さんの後輩にあたります
大学でもクラシックの世界でも
でも、20歳は年齢が違うのかっっ

ご実家は日本橋で問屋を営み…いわゆるお江戸日本橋は下町の出身。経済的に恵まれてたことから、教育にお金を惜しまない両親のもとに育ち、幼少期からピアノやバイオリンを習い、親戚に作曲家であり、日本音楽学校を創立した山田源一郎さんがいたことから、音楽教育を受ける土壌に育ったとのこと。

やがて童謡歌手となり、慶応義塾を経て、東京音楽学校声楽部(東京藝術大学音楽部)に進むことになったわけです。

でもって、意外なことにスポーツも得意で、音楽を学ぶ一方で、ラグビー部に所属し、全国中等学校蹴球大会に出たりしてたとのこと(ちなみに楽器もピアノとバイオリン以外に、トランペット、ドラム、アコーディオンもされるというマルチ)

※短気で喧嘩っ早くって、それでいて編み物も得意だったのですってっっ

「慶應義塾大学応援歌/若き血/三色旗の下に」

こちら指揮者も務められて、歌唱指導もされたとのことですが、ものすごく厳しかったみたいで、先輩から反発くらってしまったとかっっww

とは言うものの、順風満帆かと思われた人生ですが、進学後まもなく世界恐慌の影響で家業が傾き、借金を抱えて倒産。
アルバイトを始めるものの、それでは足りず…
レコードの吹き込みの仕事を始めるようになります。

けれども学校は、郊外での演奏と歌唱を禁止している。

苦肉の策で変名(芸名)を用いることに…
その変名は、増永丈夫と言う名前なのでした。

「酒は泪か溜息か」1931

実質的なデビューシングル?って感じでしょうか…
古賀メロディーの代表作ですね。
100万枚を超えるミリオンセラー。
なおかつ日本だけでなく、大陸、台湾や朝鮮(韓国)を含む地域でヒットし、記録的というか、狂乱的な大ヒット!

古賀政男さん

美空ひばりさんも競作で歌われたので、
そちらで親しんでいる方もいるかもですが。

私はやっぱ藤山さんですね~ お嬢もいいけど。
でも、この二人の差、違いは、男女の差だけではないので、比べられないかなー

「丘を越えて」1931

そして、この曲も大ヒット。

しかし、そのヒットしたことが仇を成し、学校に密告されて
しまったことから、歌手活動がバレることに…

でもって、退学の危機に陥るのですが。

藤山さんの実力を、高く評価していた先生方や音楽家など、
味方してくれる人たちが擁護してくれた結果、
一時停学だけの処分で済んだそうです。

「影を慕いて」1932

ギターがアントニオ古賀さんです。

お若い時の写真す

そして…学校に戻った後、舞台上演された学校オペラにて、主役やソリストを務めます。

「Lohengrin / ローエングリン」1932

いやもうサイコー! YouTube万歳です! 藤山さんのローエングリンが、今のこの時代に聞けるなんて!!

ローエングリンと言ったら、ワーグナー。そして思い出すのが、バイエルン王(狂王もしくはメルヘン王)ルートヴィヒ2世とノイシュヴァンシュタイン城。して、バイロイト音楽祭だなあ…
※ちな、ワーグナーの奥さんは超絶技巧曲ばっかり作る(「カンパネラ」でおなじみ)フランツ・リストの娘でコジマというのでした。コジマ電気とも小島よしおさんとも、何も関係がないでゴンス。

で、当然ながら主席で卒業。
優秀な成績から声楽家になる道を期待されましたが、実家の借金を返すためには、レコード歌手として専属歌手になる方が良いと、クラシックと大衆音楽の両立が出来そうな、ビクターに入社します。

ビクターと言えば、この犬でしょ

「燃える御神火」1933

「ダニー・ボーイ」1935

「東京ラプソディー」1936

この曲のヒットにより、ご実家の借金を全額完済となったそうです。めでたい!

で、ヒットにより映画も作られました。

映画「東京ラプソディー」1936

主演もされましたー 若い頃の藤山さんは、小堺一樹さんに似ているような気がする。

「沙漠の進軍」1937

「夜明けの唄」1936

「懐かしのボレロ」1939

そして…激動の戦争中、
危険極まりない南方戦線を戦地慰問をして乗り越え、
戦後の歌手活動をスタートさせます。

「銀座セレナーデ」1946

「恋はやさし 野辺の花よ」

ボッカチオでしたっけ? 
浅草オペラ(大正時代から続く)の名曲。
うーん いい声だっっ

でもって、藤山さんと言えば…

「青い山脈」1949

これですねー こちらはソロバージョンになりますが、
本来は奈良光枝さんとのデュエット。

とにかく声の伸び、メリハリ利いてて、
マジ気持ちいいですよね~

明るくてパワーに満ちてて、元気をもらえる感じ。
いつも笑顔で安定している歌唱テクニックと声…
モノホンのプロだなあって思います。

勉強して勉強して、あらゆるテクニックをものにして、
トレーニングを一日も欠かさず続けてて、
喉を鍛えて、メンテし続けている人の声。

自ら運命を切り開いて積極的に生きてきた人の、
たゆまない努力と、そのことで得てきたものに対する、
確実な自信が、声から読み取ることが出来る…

いやホント稀有な歌手でした。こんな人が日本にいたんだよって、声を大にして言いたいなあ。

映画「青い山脈」1949

原さん、とてもお美しい女優さんでした。引退してからは、鎌倉の親戚の家にお住まいでしたね。私の友人の家の近所で生前に何度か散歩されているところをお見掛けしたそうです。

(ちなみに友人宅のお隣は、中原中也と所縁のあった小林秀雄さん家で生前はお隣のお爺さんということでお菓子をもらったこともあり、お葬式にも出られたとか。今はもう他人の家になってます。その友人の友人の家は映画「それから」にも使われた広大なお屋敷でした。あの界隈はすごいぜ)

そして藤山さんはジャズも歌われてるわけだけど…

戦前のシンフォニック・ジャズ「星呼ぶ丘」

ヴギとスウィングジャズを歌う/あわきあこがれ

ゆらりろの唄・スウィング・ジャズ

んな感じでアップされてたー 嬉しい💛
クラシック、オペラはほとんどUPされてないし、
そこが残念だー

スジャータのCMも忘れられませんなー

そして…一番最後のトリということで、
長崎の日たる8/9にふさわしい曲と言いますと…

「長崎の鐘」1949

やっぱこれですよね。

歌と映画の元になった、随筆「長崎の鐘」に関しては、高校の修学旅行が北九州だったので、原爆祈念館に行く途中に立ち寄り、バスガイドさんが説明して下さったことを思い出します。

ちなみに「長崎の鐘」とは、廃墟となった浦上天主堂の煉瓦の中から、壊れずに掘り出された鐘のことです。

新妻聖子さん

二階堂ふみさん

由紀さおり・安田祥子姉妹

ボニー・ジャックス

映画の映像入りで

広島と比べると、語れらるに少ない長崎のこと。
どうぞ映像で振り替えって見て下さい。


F2blogに書いてあるものを、訂正・加筆・リンク修正の上、こちらに再度マガジンとしてまとめてUPしています。

「My Favorites〜音楽のある風景」
 2021/10/14 掲載記事より転載

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