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上々颱風 - 花祭りの朝 - 1991

好きでしたね~💛 一度でいいからライブ行きたかった!
機会を逃してしまっているうちに、残念ながら無期限活動休止になってしまいましたが…

紅龍さんの病気、一日も早く寛解されると良いのだけど。

「上々颱風のテーマ」1990

ザ・ジャパン!というより、アジアの音楽という無国籍な楽曲が好きでした。宗教ちゃんぽんで海外の文化をなんでも取り入れてミックスして、日本流にしてしまう日本人らしい音楽を追求したバンドって気がします。

紅龍さんの作るメロディも好きだったし、西川さんと白崎さんの女性二人のツインヴォーカルも素晴らしかった。心が洗われるような、伸び伸びとした可愛らしい西川さんの声。明るくて生き生きとした、元気いっぱいの白崎さんのパワフルな声(白崎さんの美しいお顔、とってもタイプです❤️)。

「愛があるから大丈夫」1993

日本の地回りの劇団とか、ああいう昔ながらのドサ回りとか芝居小屋っていうのかなあ。そういうの、古き良き日本の懐かしい風景を彷彿とさせるですよ。

うちのご先祖様がやってた雅楽ってのは、お貴族さまの気取った音楽ですけど、こういうのが庶民のための宴や祈りの場。生活に根ざした、人々を楽しませ癒した音楽のルーツなんだって思います。

して、今は倒産して無くなっちゃったけど、劇団「ふるさとキャラバン」を思い出す。

ふるきゃらミュージカル「天狗のかくれ里」

肩の力が入ってない、純粋に楽しめる素朴な音楽。"村の祭り"を思い起こさせる、観客と距離が近いライブ。
アットホームなんですよね…とってもあったかい気持ちにさせてくれるバンドとその音楽。

「仏の顔もIt's Alright」1990

決して気取ってなくて、日常の風景の中でみんなを元気付ける。田舎のおじいもおばあもよっといで、みんなで"宴"をしようよ! ハレの日を楽しもうよ、お祭りをしようよって。そんな気分にさせてくれる、そんな音楽で楽しいステージ。

誰のための音楽かっていったら、皆のため…皆を楽しませるために皆と心をつなぐため。

「踊りゃんせ」1990

ステージ上とステージ下といる場所は違うけど、一緒に楽しみましょう!…って、そんな距離感で楽しめる音楽。

音楽の原点だなあ…って思います。
そして、彼らこそホンモノの歌い人たちだと思ったりする。

「愛よりも青い海」1991

JALのCMに使われました。

JAL夏 沖縄キャンペーン 上々沖縄 1991

沖縄のバンドと誤解されがちですが、違いますっっ 
どちらかというと、東北ですww

「いつでも誰かが」1993

これは東北の震災の後のモノですね。がんばろう日本プロジェクト。

「花のように鳥のように」1992

「銀の琴の糸のように」1993

これはバラエティー番組のエンディングに使われてました。

「レット・イット・ビー」1991

ビートルズの曲がこうなっちゃったww

「流れのままに」1990

あの曲もこの曲もってなると、キリがないっっっww

てなわけで、一番好きな歌はこれですね。

「花祭りの朝」1991

これは新宿の花園神社でのライブ。ああ残念、ぜひ行きたかったっっっ

彼らほど、奉納音楽としてふさわしい音楽を作る、庶民的なバンドもいなかろうって思うのです。

老若男女、あらゆる人々が世代や人種を超えて、言葉を超えて聞くことのできる、誰もを優しく包むサウンドで、宴の謡(うたい)でしたから。

そして、この曲のこっちのバージョン。スルギトゥン(韓国の楽器)の人との共演がまた素敵なんですよ。

いやね…もう、生で聞けないと思うと、残念で残念でたまりません。

「アジアのこの街で」1994

この曲を聞くとね。バブルの頃の出稼ぎ外人さんたちを思い出したりします。

上野とか新宿とか池袋とか、すごいことになってたじゃないですかww あの頃。建設現場にも、たくさんたくさん、片言の人たちが働いてて、おっちゃんたちとの小さな外交が生まれてましたよねっっ

アジアだけでも仲良くできないものかなあ、なんていつも思っちゃいますが、中国と韓国という国とはまだまだ遠い道のりだあ。


他blogに書いてあるものを、訂正・加筆・リンク修正の上、こちらに再度マガジンとしてまとめてUPしています。

「My Favorites〜音楽のある風景」
 2020/11/16 掲載記事より転載


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