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キャロル - ファンキー・モンキー・ベイビー - 1973

キャロルです。懐かしいです。とは言うものの、私はさほど聞いてないですw 知ってると言う程度になるのかなあ…友人がめちゃくちゃ好きでしたけど<えーちゃん命 
彼女のカーステでよく聞かされた思い出がっっ

活動時期はとても短くて、結成が1972年で75年には解散しちゃってるんです。あっという間だったなあ。

そして意外なことに、当初はビートルズのコピーバンドでした。キャロルのトレードマークとも言える、革ジャン・リーゼント・ロックンロールですが、ハンブルグ時代のビートルズを真似ているので、そういうスタイルになるわけです。

でも最初、えーちゃんはマッシュルームカットにしていたそうですよ。いやさ似合わないというか~なんか笑ってまうっっ 見たかったなあ、マッシュルームになっているえーちゃん…

バンドの結成も、えーちゃんが楽器屋さんに「バンドメンバー求ム」と張り紙で募集掛けたのは有名な話ですよねっっwwして、京急川崎駅というのは、ゆずの伊勢佐木町みたいなもんか…

キャロルってのは女性名ですけど、そちらからではなく、クリスマス・キャロルからというのもなんか面白いです。

「ルイジアンナ」1972

こちらデビュー曲です。懐かし~い!確かに初期ビートルズテイスト。けど、タイトルは「ルイジアナ・ママ」を彷彿とさせるのであった。

Gene Pitney「Louisiana Mama」1963

最初、内田裕也さんに声を掛けられていたのだけど、ミッキー・カーティスさんのレーベルからデビューすることになったりして。でも色々あって、ミッキーさんとこから離れることになりましたのでした。

内田裕也政見放送「完全版」

Micky Curtis & The Samurais「太陽のパタヤ」1968

初めてのライブコンサートのゲストは、和田アキ子さんだったりするのもビックリな話です。

歌は上手い人なんだけどねぇ

「ヘイ・タクシー」1973

「やりきれない気持ち」1973

「レディ・セブンティーン」1973

「憎いあの娘」1973

「Slow Down~涙のテディー・ボーイ」1974

メディアに出ることなく、あっという間にスターダムに乗った彼ら。時代の寵児と言うか社会現象になりました。

コンサートのチケットは常にソールドアウトで、今の時代では考えられないことです。その意味でも伝説のバンドでありました。日本のロック史上の神話と言っていいほどかなあ…

ジョニー大倉さんがちょっと病んでたり(ビーチボーイズのブライアン並み)、ドラッグ依存が酷くなっての失踪事件とかあれやこれやとか…不祥事によるメンバー解雇、チェンジとか色々とありましたけれども。

「ファンキー・モンキー・ベイビー」1973

キャロルと言うと、私の中ではこの曲かも~一番印象に残っている曲です。他の曲は、友人のカーステから流れてくるのを聞き流していて、タイトルを覚えてないよって、そんなのが多かったりww

キャロル 1973年 2度目のリブヤング

なので、私の中ではソロになってからの彼らの活動の方が印象深いです。えーちゃんは矢沢永吉として、ジョニーさんは俳優としてのジョニー大倉として、その他のメンバーは・・・ごめんなさいっっ

クセのある存在感が持ち味のいい俳優さんでした。映画「チンピラ」の演技が私には思い出深いです。色々と裁判とか確執とかあったのに、えーちゃんの曲を歌っているのがシュールですっっ 何ていうのかな~ えーちゃんのこと好きだったんだと思います<片想い?ジェラシー?

けど、まあ 依存症のある人って甘えが強いから、えーちゃんからしたら持て余してしまう人だったのでしょうね。

人間的なバランスの悪さが、ジョニーさんの俳優としての魅力だったのかもなあ…

映画予告「チンピラ」1984


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「My Favorites〜音楽のある風景」
 2021/06/21 掲載記事より転載


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