見出し画像

柔らかい「見殺し」

今日はちょっとただの僕の思いを書かせていただきます。
思うまま書いているのであまり整った文章にはなっていないかも知れませんが勘弁してください。
 
 
 
ずっと支援の現場で働いてきて感じたことの中に、「ここまではうちがする事じゃない」とか「制度的にこれはできないことになっている」とか「ここまでは手が回らない」というような制限、というか制約というようなものにしょっちゅうぶち当たってきた、という記憶があります。
 
 
その都度「じゃあこの問題はどうしたらいい?」という問いに返答を返してもらったことはなく、何となくどこか違う機関に依頼する、とか下手をしたら放置する、というような事も多々ありました。
そしてその都度ものすごく苦い気持ちになっていたことを今も覚えています。
 
 
確かに今現実的に手が回らない、という状況が生まれることはあります。そしてたちまちは自分達の普段の役割とは違うことについても制度のルール的にやってはいけないことがあることも理解はできます。会社や事業所で担うべき責務があってそれ以外のことを容易に責任を持てないことがある、ということも分かります。
 
 
ただ目の前で問題が起こってそれをどうしたらいいか分からなくて困っている人は現実として居ます。
 
 
こういう時にどうしていれば良かったのでしょう。
僕らがすることは「◯◯という事情でそれは手伝うことはできないんだよ」ということを伝えることだけだったんでしょうか。
 
 
 
事業運営をしているとどうしてもいろんな問題にぶち当たります。
収益上の問題に人事の問題、突然起こるアクシデントなどしばしば色んな判断を要求される場面に出くわします。
 
 
「それは稟議書をあげて・・・」「それについてはまた考えよう」「会議を開いて・・・」「うちの方針は」など、特に前例や対応する仕組みがない時には特に問題解決に至るまでにそこそこの時間協議をしたり場合によっては「来月話そう」と言ってそれっきりになったり、ということがしばしば起こります。
これもその都度苦い気持ちになっていたことを思い出します。
 
 
会社という組織なので即断即決というのが状況によってはしにくいことは知っています。経営課題に優先順位があり、より緊急でより重要な案件から打ち手を講じないといけないことがある、ということも理解しています。誰かだけの意見で物事が決定するのはフェアじゃないから、みんなの合意形成を図らないといけないことがある、というのも分かります。会社の方針やビジョンなどがあってやる事とやらない事がどうしたって生まれる、ということも。
 
 
ただ目の前の現場や組織、チームの中で課題として浮上してその対処を一刻も早くしなきゃいけない状況、というのは現実としてあります。
 
 
こういう時にどうすればいいんでしょう。
僕らがするのは書類をすぐに作る事だったり会議を開くことだったりなんでしょうか。
 
 
 
大体何かしら問題やトラブルが発生しているときって、その横に困っている人がいます。
 
 
そしてルールだの枠組みだの手続きだのといった事情ですぐに解決を図れない、ならいざ知らず結果的に何も具体的な対処ができない、として放置されたり「そのうちなんとか」みたいなお茶濁しで見殺しのような状態が起きたりします。
 
 
 
僕は、「現状」で制約があることも、手を出すことができない事情があることも、踏まなければならない手順があることも、場合によってはすぐに対処ができない事があることもそれ自体を批判する気はありません。
 
 
 
ただ、最終的に「現状どうしようもできない」という説明をして、まるでそれが一つの解決かのように判断されて結果そこで困っている人をやんわりと見殺しにすることって、それは一体誰のための検討をしたの?と憤ってしまいます。
 
 
 
今の現状で解消できない事があるのであればどんな状況であれば出来るのか、その状況をどうやったら作れるのか、を議論や検討をして解決のために動く、なら分かります。
自分達に解決能力がないんであれば、その機能を果たせるところに繋いで、解決するところまで見届けるなり一緒に介入する、ならそれも分かります。
必要な手順を踏まないといけない、だからいついつまで待ってくれ、必ず解消する、というのなら分かります。
当人が求めるベストな解決が図れないのであれば代案を出して妥協点を探っていく、ということでも分かります。
 
 
でも、結果としてなんの手も打たずにできない理由だけを綺麗に並べて「できない」という事の納得を相手に求める、というのは一見丁寧なように見えるけれど、ただ姿勢が柔らかいだけの見殺しです。
 
 
しょうがない事情がある事ももちろんあるでしょう。
万策図っても解決できない事もあると思います。
 
 
でも、感情論は抜きにしても、支援者としてであろうが経営者、管理者であろうと、友人であろうとなんであろうとですが、結果「できない」をしょっちゅう投げ返されていると、「あぁ、頼っても無駄だからやめよう」というマインドになるに決まっています。
 
 
 
物事の焦点は制約でも手順でも枠組みでもなく「今目の前の問題を解決できるかどうか」です。解決に歩み出してもらえないことが分かれば人間誰でも頼らなくなります。
そして解決の目処に一緒に向き合ってくれるところに行くだけです。
 
 
もっと言えばそんな問題が起きるより先に未然に見越して打ち手を考えておく事とか、手が打てなくなる前に介入する、とかその問題が起きることを踏まえて仕組みやルールをカスタマイズしておく、等できる事自体はいくらでもあります。
 
 
今まで何度もそんな「柔らかい見殺し」を見てきました。
「優しい無関心」みたいなものも見てきました。
 
 
僕はそれだけはしたくない、と思います。
そのために打ち手や引き出しはたくさん持とうとしています。それが嫌だから勉強したり、解決策を自分だけで持てない領域は、その領域を持っている人や機関とつながっておいて手が打てるようにしています。
 
 
優しい無関心、柔らかな見殺し。
 
 
僕らは見つめるものと向き合うものを見誤ってはいけないんです。
少なくとも支援であれ運営であれ人がそこに携わって居るんです。
 
 
気がついたら柔らかな見殺しをしていないだろうか。
よくよく振り返っておくほうがいいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?