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社会は自ら生み出した仕組みやシステムに閉じ込められているのかもしれない

先日こんなツイートをしました。
 
 
「障害の有無に関わらず、一見普通に暮らしている人も何かしらの生きづらさを感じてる事が多い。子育ても暮らしも仕事も、寛容さやおおらかさを失いすぎてるんだろうな。もしかしたら、今必要なのは素晴らしい仕組みやシステムを作ることじゃなくて、窮屈な仕組みやシステムをなくす事なのかもしれない。」
 
 
 
僕自身、今いろんな活動をしている中で、アップデートすることやないものを生み出す、つまり0→1みたいなことがすごく重要だと思っていました。
もちろんそれ自体は今も必要だと思っています。だけどそこにばかり意識の比重を傾けていくことが必ずしもいいわけじゃないんだろうな、とも感じた、という話です。
 
 
 
今の時代はなんだかんだ言ってものすごく成熟した世の中なんだろうな、と思うんです。
全てにおいてそうじゃないと思っていますが、全体的に見た時には、物質的にも機能的にも多くのことが充足していて、普通に暮らすぶんにはあまり困ることがないくらいには世の中の大枠のことはきちんと回るように出来ています。
 
 
いいか悪いかは別として、ある程度人が生まれてから死ぬまでの何となくのフローチャートは出来上がっていて、正直その上に乗って生きていくことさえできていれば本当に大きな苦労なく人生を全うすることさえできるんじゃないかとさえ思えるくらいです。
 
 
あくまでぼんやりと俯瞰して見ればですが。
 
 
比較の対象にするのも馬鹿げた話かもしれませんが、大昔狩猟をして獲物が取れなければその日のご飯にも有り付けなかった時代からすればなんて進歩なんだ、と思います。
多くの人が自分の命の危険をそんなに日常的に感じる負担もなく、日々を暮らすことができます。
 
 
 
でも不思議です。
 
 
 
なのに、生きづらさを感じている人が山ほどいるんです。
 
 
 
僕は障害福祉の仕事をしているので、マジョリティに合わせて作られている社会の中ではなかなか生きづらい方の支援をさせていただいているので、もちろん日々自分の分野と実際の社会との関係性についていつも考えることは当たり前になっているので、もちろん今の社会が「生きやすい」とは思っていないのですが、一見するとごくごく普通に世の中を生きていると思える人でさえも生きづらさを感じている場面を目にしたり耳にしたりすることが非常に多いんです。
 
 
 
仕事の中でプレッシャーやストレスから「うつ」のような状態になる人。
普通に暮らしてはいるけど未来に不安を抱えている人。
ある意味敷かれたレールの上を外れることなく走らないといけないストレスに晒されてる人。
周りの目を気にして、変なやつだと思われないようにしなきゃいけないプレッシャーを感じている人。
小さな文化風土の中で「同調圧力」に苛まれている人。

 
僕の偏見や主観も大いに混じっているとは思うのですが、いろんな理由から生きづらさを感じながら生きなきゃいけないのが現代なんだろうか、とさえ思えてきます。

 
 
あくまで僕の肌感覚なので、根拠も何もない戯言なんですが。
 
 
今の社会って、人が生きていくために不足しているものを物質的にも機能的にも仕組み的にもどんどん加えていきながら整えてきた産物なんだろうと思っています。
何というか時代ごとに生まれるリスクを潰して潰してきた感じと言えばいいのかな。
 
 
もちろんその都度人の暮らしは便利になったり豊かになったり楽になったりはしてきてきたんだと思います。
多分これからもより機能的により仕組み化して、何というかリスクの少ない世の中に向かっていこうとしているのかなぁ、という体感です。
 
 
でもそれは裏を返すと実はどんどんいろんなことが画一化されて、一本化されて、「これが正しい生き方だよ」みたいなカタチを変に強化することでもあるのかもしれないな、と思うんです。
 
 
 
子どもの頃は保育園や幼稚園という制度や仕組みが作られたものの中に生きます。それが終わったら学校教育という制度や仕組みの中で生きます。今や高校や大学もカタチ上義務教育ではないけれど世の中的に行くことが当たり前みたいな風潮です。
そしてそれが終わったら就職して会社という制度や仕組みの中で生きます。そして年を重ねた先には介護保険制度という制度や仕組みの中で生きていきます。
 
 
ずーっと何かの仕組みや制度の中で生きていくんですよね。
 
 
でもその仕組みやシステムが洗練されればされるほどイレギュラーには不寛容で、機械的、と言ってしまうと語弊があるのでしょうが、どんどんガチガチになっていく中で窮屈さを生じてしまっているような気がします。
そしてどんなに仕組みや制度やシステムを磨いても、別にそれは人の人生を何か保障してくれるものではありません。
 
 
 
なんか、そんなにもかっちりしていなきゃいけないんでしょうか。
 
 
仕組みを正常に運転することが目的じゃないし、システムを円滑に回すことが目的でもなくて、本来はそれらのものって人が生きていきやすくする為のものなはずなんですが、肌感覚的にはそれらの仕組みやシステムが人を生きづらくさせている側面も増えてきているんじゃないかなぁ、と感じることがあります。
 
 
 
 
本当にそれらは全て今の時代に必要不可欠な仕組みやシステムや制度なんでしょうか?
加えて加えて作り込んできたものの全てが本当に全て必要で欠かせないものなんでしょうか?
 
 
僕が疑問を感じたのはこんな想いからです。
偏見も主観もたっぷりの自分の肌感覚なんですけどね。
 
 
 
今色んな活動を行いながら、ついつい新しいものを創ろうとばかり考えてしまうんですが、もしかしたら加えて加えていくことではなくて本当に必要なものは何なのかっていうことにもう少し目線を向けて、いろんなものを少しずつスリムにしていくこともきっとこれから必要なんだろうな、という事を感じています。
 
 
そんな話でした。

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