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福祉経営の本当の難しさとお金の関係

主に自分の地元がフィールドにはなりますが、普段の仕事の他に個人の活動としてオンラインコミュニティを運営しています。
 
 
僕自身が、何というか少しだけ福祉という仕事に最初思い描いていた夢だったり希望みたいなものが、経験を積むごとにだんだん萎んでいってるような気がしていて、ちょっとだけつまんなくなってるなぁ、ということを感じてたりしていたんです。
 
 
制度や所属先の制約に縛られるんじゃなく、もっと面白い(というと語弊があるかもしれませんが)福祉のあり方を模索したっていいんじゃないか、夢を語り合ったり、カタチにすることを大真面目にやってみたっていいんじゃないか、という想いで立ち上げたコミュニティです。
 
 
福祉ってものの既存の枠組みを少し外したり、地域の中にある制度の余白に何かを生み出せるといいな、今よりももう少し福祉の世界を面白くしたいな、と思っている福祉人達の待ち合わせ場所になることを目指しています。
 
 
 
もうすぐ立ち上げて1年になります。
ぽつりぽつりではありますが、メンバーも増えてきました。
色々とやろうと手がけていることはあるんですが、最近では「婚活支援」というプロジェクトが動き出しました。
 
 
 
・・・とはいえ、普段はただのメルマガです。
 
 
時々宣伝しておかないと皆さんに知ってもらえないので、たまに過去記事をこうしてnoteに転載させていただいています。
面白いものかどうかは分かりませんが、もし読んでみて興味が湧くようであれば覗いてもらえたらいいな、と思っています。
 
 
 
というわけで、ちょっと長いんですが、どうぞ。

 
 
 
 
2020/8/27の記事
 
【お金と活動の関係】 
 
 
福祉の仕事って、一般的には「お金にならない仕事」とされています。実際に、直接利用者から支援のためのお金をいただく、ってことは難しいケースが多いのも事実です。
それが故に、助成金や補助金や寄付、福祉制度からの報酬が主な収入源になっている、というのが現状です。
 
 
介護や障がい福祉、児童福祉っていうのは、社会課題としても今やメジャーで必ず一定数支援が必要な方がいる分野なので、法整備もされて予算も付けられて、国の財政から僕たちは報酬を頂いています。
いわゆる社会起業家さんは、法整備もされていない分野に乗り出し、当然収入なんて保証されていない中に飛び込んで助成金を得たり補助金や寄付を得ながら活動を続けられています。
 
 
福祉や支援って、ボランティアであってもそうですが、そこに従事する人間だってもちろん生活も人生もかかっていて、現実問題として生活が立ち行かなくなった時点で継続はできなくなります。
そして、そもそも僕たちの活動自体もお金が尽きることが分かった時点で終了フラグも同時に立ちます。挑戦権を剥奪されるわけですね。
 
 
 
 
話は変わりますが、僕はもともといろんな事情で21歳になる歳に大学を除籍されました。その後いろんな家庭事情で家を飛び出しました。
幸い若かったことと、友人に恵まれていたことから、友人の家に上がり込ませてもらったりしながら1年近くホームレスかのような生活をしていました。職にはついていなくてフリーターだったので当時のあだ名は「住所不定無職」です笑
 
 
家庭のいろんな問題により金銭的にいつもシビアで、いろんなことを諦めてきたつもりです。 まぁ、そこそこ遊んではいましたが、その横にはいつも明日の生活ができなくなる、ってリスクと並走して生きていました。売れない芸人みたいな生活です。
実家とか一切頼るところがなかったので、手持ちの自分の資金が尽きたら終わり、家どころかマジで飯も食えずに野垂れ死ぬしかないギリギリでやってきてたんです。(#それなら妥協して就職しろよ)
 
 
個人的にはお金、というのは僕にとっては「トラブルと問題のタネ」であり、「自分の生活や人生を一度は止めようとした奴」なのでそんなに好きではありません。
でも、生きていくためにも自分の活動を続けていくためにも絶対に必要なものであることは骨身にしみて実感していて、だからでしょうか、社会人経験を積んでいく中で「経営論」とかには興味が強く、いわゆる【お金の流れや仕組み】にはものすごく関心がありました。
「儲け方」を知りたいわけではないんです。語弊がないように読み取ってほしいんですが、
 
 
自分達がやりたいと思うこと(事業活動や、夢や、生活もかな?)をやり続けるために必要なお金ってどうやって「得て」、どういう風に使うとちゃんと「回って」いくのか
 
 
にきちんと向き合わないといけないな、ということをここ10年くらいでどんどん強く思うようになりました。
 
 
 

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福祉経営って本当はすごい難しい経営スキルを求められるはずだよね
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そこそこ長く福祉業で生きていますが、20代なかばで1度だけ福祉から離れた時期があります。2年ほどですが。
その時にはいわゆる営業の仕事をしていました。ただ、僕は直接人の役に立つことをしたい人みたいで、自分が本当にいいとも思っていない商品を売って本当に喜んでもらえているとは思えなかったので辞めました。おかげで一生福祉業を生業としていく覚悟が決まったんですが。
 
 
一介の現場職員でしたが、僕にとっては「福祉業で得るお金が一番自分で納得して受け取れる」定義のお金だと思いました。
安直ですが、自分が「誰かのため」に活動した結果としての報酬だったので、さっき書いた『どうやって得て』の部分に矛盾を感じなかった、というところです。
 
 
 
今まで僕が経験してきた福祉経営って、「利用者のためにスタッフが文字通り24時間365日支援をするが実入りが悪い」か、「利益率・稼働率・充足率と声高に叫び、効率優先で、気がつけば利用者もスタッフも満足できていない」かどちらかでした。
やりがいを強いて時給に直したらとんでもない安売りを強いるか、売り上げと利益を優先して追いかけるあまりいろいろと置いてけぼりにしてしまうか、の両極端なところですね。
 
 
どちらも主な収入源は制度報酬で、報酬改定があるたびに運営スタイルが変わり、報酬がとれるように無理くり舵を切ってもともとの理念やビジョンすらも気がついたらネジ曲がっていたり、そういう舵取りはしない代わりに、報酬が下がれば下がったなりで手を付けない代わりに僕らの報酬への反映もまずしないとか、ざらにありました。
 
 
 
 

ここで少し整理しておきたいのは、僕らが得ているお金です。
 
 
 

 
現場で働いていた頃は、まだまだそんな仕組みなんてよく分かってもいなかったので考えもしなかったんですが、制度報酬は制度で位置づけられている事業やサービス、つまり国の計画のベクトルに参入して基準を満たしているものに支払われる「保障のためのもの」です。報酬って言っていますが、厳密には「給付費」という表現をされていますよね。
これを得るために、基準の範囲の建物を建て、基準を満たすための書類を整え、基準を満たした人員の配置を行います。
 
現場の経験がおありであれば分かると思いますが、実際にその法で定められている基準ぴったりで運営していこうと思うと、全く足りませんよね。人、時間、コストなど。
 
 
でも多分、この制度報酬は決して国からの「お給料」なわけではなくて、「国の定める基準に沿った運営をしている」ことに対してのコストを保障しているだけ、なんですよね。 ほとんどどこの事業所も法人も、自分達なりの独自性をもって事業を運営されているとは思いますが、国が保障しているのは基準に沿っている部分のみのはずです。
  
 
事業所独自の人員の手厚さや、広告やサービスに対して国は保障はしません。そこまで保障しようとしたら、あっという間に国の財政は破綻します。(たぶん)
 

だから線引は必要で、むしろ国の給付費って、生活保護のように本当に最低限度の保障、という方向にベクトルは向きます。
別にうがった見方をするつもりはないですが、国の計画や基準にしっかり沿った運営をして結果を出せる事業所は報酬も加算もそりゃGETできますが、それ以上のサービス価値を見出そうとすればそれは国からしたら「そこについては企業努力でお願いします」になるのは当然です。
  
 
それを踏まえた時に、これから先もずっと制度報酬に依存した経営形態を取り続けることは、その報酬によって自分達のスケールを小さくしたり、お金のために、自分達の事業を行っていく本来の理念や目的からどんどん離れていくことにもなりかねないと思います。
 
 
 
これは僕の持論ですが、福祉業は公共性も高ければ社会課題に直接リーチしていく仕事なので、たしかに一般業態のように商品やサービスを生み出して販売する、という商取引とは必ずしも同じ土俵に乗せては考えられないと思います。
でも、例えば障がい福祉というジャンルをひとつ取り上げたって、本来は制度で位置づけられたサービスだけでは全く揃っていなくって、制度のはざまでどうにもならない社会課題ってあるはずで、実際にそこにアプローチするために起業して、自分達が果たしたい社会課題の解決のために必死で寄付や補助金や助成金をとりながら、自分達の理念や目的を1mmもブラさずに進まれているNPOや任意団体だってたくさんあるんです。
 
 

 
僕らはそもそも「お金」というものの定義を履き違えているんだと思います。
 
 

 
お金というものを、いわゆる「儲け」というふうに定義してしまえば、利用者1人来たら何円という考え方しかできなくなるのかもしれません。
お金というものを「コスト」と定義すれば、少しでも身銭を切らないように、スタッフの給与に対してもシビアにシビアになるのかもしれません。
 
 
でも、お金をそういう風に捉えるのではなくて、自分達が活動していくための「資源」だったり、自分達の「価値」への対価だったり、「信用や信頼」を可視化したものだったりとして捉えないといけないんじゃないかと思うんです。
給付費が定義しているのは、国の制度基準を満たしていることに対しての保障なので、あくまで「資源」であって「価値」への対価ではありません。
 
 
助成金や補助金、というのは「収入」ではなくて、自分達がやろうとしている活動に対してプレゼンテーションを行って、その活動の社会的価値や法人や会社の今までの実績に対しての信用に対して得られるもので、当然用途も定められて報告をしないといけないので、もはやお金ではなくて活動のための「資源」ですよね。
寄付というのは、その会社や法人の活動を応援したいと思ってくださる方の信用のカタチですよね。
 
 
 
 
福祉経営って、社会課題に対してきちんと意義のある活動を行いながら、その成果を出したり、インパクトを生み出しながら、なおかつ事業として継続して回していかないといけない。でも、当然事業運営として回す部分は一般企業と何も変わらず、人件費も広報費も通信費も設備費も備品費もかかります。

 
つまり、本来だったら、一般企業と同等レベルの経営感覚を持つことに加えて、商品を売る代わりに、社会課題を解決するという「価値」を売って(※売る、という表現は比喩ですが)そこで自分達がその社会活動を維持していくためのマネタイズを考えないといけない、っていうめちゃくそ難しい問いに答え続けないといけないものなんだと思っています。
 
 
その公共性から、いわゆる商取引(商品やサービスを買って対価を支払う)という形態は必ずしもとれないので、じゃあどうやってこの価値を提供し続けるための「お金」を得ていかないといけないか、というのが健全な思考のプロセスで、手段のひとつとして「制度報酬」、「補助金・助成金」や「寄付」があり、特にこのコロナ禍の中で顕著に台頭してきた「クラウドファンディング」があり、もちろん商取引に近い形で行えるのであれば実費サービスの開発と提供、という選択肢が出てくると思うんです。
 
 
制度報酬だけを収入と思い込んで自分達のボリュームをそっちに合わせていく、制度報酬が安定して見込めないからこの事業には手を出さない、じゃあないと思うし、同じように補助金、助成金が出るならやる、出ないならやらない、の判断軸でもないと思うんです。
それを言ってしまったら、金銭的利益を出すことが目的じゃないと言ったって結局「まずお金ありき」じゃないですか。
 
 
やりたい事がある、叶えるべき理念がある。それを叶えていくためにお金というものが必要なんだったら、きちんと真正面から向き合って、それを得るための方法論と力をつけていく、そしてちゃんと「使っていく」ってのが経営なんじゃねぇかな、と思います。
「国が保障したお金が出るから」では、多分これからどんどん厳しくなっていくと思います。その中でしかスケールを持てない体質になるんじゃなくて、自分達のスケールは自分達で決めて、そのために必要なお金をダイレクトに調達できるようにならないと、福祉経営って終わっちゃうと思います。
 
 
 
 
 

 
と、偉そうに言っていますが、人のことをそんなに言えるだけの結果は出せていないのは分かっているので、色々と手を出して経験知を積みながらもう少し説得力を持てるようになります。
 
 
 
ただ、お金というものの捉え方や考え方に色々な葛藤を感じていたので、ちょっと熱っぽく書いてしまいました。
 
 
 
 
 


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