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「間に合う」ということ

よく周りから「生き急いでる」と言われます。
 
 
仕事として就労移行や生活訓練の事業をしつつ、住居の支援や成人期の引きこもりの支援をしたり、シェルターに避難していた方の就労支援をやり、自分が運営しているオンラインコミュニティを中心として、障害者の婚活支援を行なったりしていています。
それ以外にもこれから動き出すプロジェクトがあといくつかあって、自分でも手一杯だなぁ、と思います。
 
 
もちろん僕は人のお節介が高じてこんな仕事をするようになったので、そもそも好きでやっているので「やらされている感」やストレスは全くもってないんですが、手一杯感は自覚しています。
外から見たらそりゃ生き急いでるように見えるのも仕方ないです。
 
 
ただすごく大事にしている事があるんです。
 
 

それが「間に合う」人である、という事なんです。
 
 
 
 
ちょっと話が逸れるのかもしれませんが、皆さんも「後悔」というものをした事があると思います。もちろん僕も後悔は山ほどして来ました。
 
 
後悔と一言で言っても実はいろんな後悔があって。
「やっちまった!」という後悔、逆に「やるんじゃなかった」という後悔、そして「もっと◯◯すればよかった」という後悔。
 
 
やっちまった後悔や、やるんじゃなかった後悔はその時は後悔だけどそこに「行動」が伴っているので、それはまだ糧にできます。いつか消化する事ができる後悔になる可能性が高いな、と思うんです。
でも「やらなかった後悔」もしくは「届かなかった後悔」って自分の経験の範囲ではなかなか消化できないんです。ずっと残ってしまいます、心に。
 
 
もちろんその時その時でやむを得ない事情などもあったりするんでしょうが、自分を納得させられればまだいいですが、大体の場合納得できずどこまでも後悔として心に残ってしまいます。 
 
 
 
話を戻しますが、要はやらなかった後悔をしないためにも、という意味合いも含んでの「間に合う」人でありたい、という話なんです。
 
 
 
 

 
今僕が担っている役割を大きく分けると、支援者という役割。そしてチームのリーダーという役割、そして地域の福祉資源、という役割です。
その上で、じゃあそれぞれの役割として自分が「間に合う」人である、ってどういう事なんだろう、っていうことをいつも考えます。
 
 
支援者として間に合う人であること、というのはそれでも20年ばかり支援者をしてきて経験の引き出しも増えたので、少なくとも「間に合わない」ということは少なくなったんじゃないかと思うんですが、端的に言うと、「必要な時に、必要な支援を、必要な量提供することができるか」ということなんだと思っています。
 
 
支援観によって感覚は違うのかもしれませんが、僕はずっと均等なボリュームでの支援ばかりはあまりしません。
グッとカロリーをかけて支援が必要な時にはボリュームを増やしますし、逆にそんなに支援がなくともやれることに関してはできるだけ過度に手を出しません。
だからこそ、必要なタイミングに支援に入れないといけませんし、今支援として何をしないといけないか判断できるために日頃の関わりは全てアセスメントだと思って関わります。
その上でその方の人生にとって過不足のないボリュームを探って支援をする事が、自分にとって支援者として「間に合う」という事なんじゃないかと思っています。
 
 
 
じゃあ、チームのリーダーとして間に合う人、ってどういうことでしょうか。
僕の場合は事業運営、つまり経営だったり人材育成だったりブランディングだったり、場合によっては事業展開だったりという役割があります。
もう少し踏み込んで言うと、利用者さんの人生を前に進めていくこと、メンバーの人生を前に進めたり生活が担保されるだけの環境を整えること、そしてチームの価値が最大化することがその成果です。
 
 
 
事業の継続が見込めるようにマネタイズしたり、スタッフのキャリアアップのための環境を整えたり、支援モデルを構築したり時代や社会の変化に合わせてアップデートしたり、自分達の活動を知ってもらうため、必要な人に届くように情報を届けたり事業のイメージを伝えていったり、次の展開に向けて既存の事柄を進めながら準備をしていったりと、どうもこのリーダーとして間に合う人であるためには一朝一夕に叶うものではないようで、間に合うためにはその日その時の対応で間に合う、ということではないんですよね。
 
 
認知を高めていくこともマネタイズ、つまり収益性を確保していくことも人材を育成するのも時間もかかればイレギュラーも起きます。
 
 
緊急度や重要度を見ながらチームを安定して回していく事が「間に合う」ためには、時間もかかれば自分のコントロールだけのものではないからこそ、いつもアンテナを張っておかないといけなかったり、建て付けをしっかり組み立てておく、つまり「下準備」や「段取り」をずっとしておかないといけないんです。
 
 
 
そして地域の福祉資源として「間に合う」人である、ということは文字通り地域の福祉の課題をタイムリーに解決に向けてアクションを起こせるという事なのかな、と考えています。
 
 
もちろん全ての地域課題を解決できるわけじゃないんですが、これもすぐに動いてすぐにカタチになるものじゃないですよね。
もちろんじっくりと課題分析をして仕組みなり制度なりを練っていくこともいいんだと思いますが、現場に立っている支援者としてはそれよりもまず動き出すことの方がきっと意味があるんだろうと感じています。
 
 
こう言ってしまうと無責任なのかもしれませんが、未熟で粗挽きの「ベータ版」ですよ、という前提のもと、まず動き出してみんなでブラッシュアップしようよ!の方が今はいいんじゃないかと思うんです。
課題意識を共に持っている、旬な状況の中で立ち上げた方が多くの方に携わっていただきながらカタチ作りができるんじゃないか、と。
 
 
 
 
支援者としての自分は100%自分がコントロールできることですが、それがチームになったらコントロールできない部分が増えてきて、でも間に合わせるためにやらなきゃいけないことも増えます。そしてそれが地域を相手にするともっと大きな、もはや知らないことの方が見えていないことの方が大きいものの中で、俯瞰しつつも先を見て、間に合う、というよりはせめて遅れすぎないようになのかも知れないけれど、そのためにやらなきゃいけないことはもっと増えます。
 
 
 
それでもなお「そんなにあれもこれもしなくても」って話かもしれないんですが、やっぱりいち支援者として眺めた時にもチームのリーダーとして眺めた時にも、もちろん地域資源として眺めた時にも、「間に合わない」ことでその先に苦しんだりしんどさを抱えたり、生きづらさを抱える人がそこにいると思うとどうにも気になって仕方なくなるんです。
 
 
「間に合う」っていう言葉って、なんかギリギリ感があってあんまりポジティブな響きの言葉ではないのかもしれませんが、個人的には僕らの業種ってとかく「間に合っていない」課題が多かったりするので、結構大事な言葉じゃないかな、と思うんです。
 
 
最初の話じゃないですが、やっとけばよかった後悔を生み出さないためには、「間に合う」って感覚、結構大事なんじゃないでしょうか。

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