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向き合う事と付き合うことは、違う

支援、という観点から見るとあまり褒められたもんじゃないのかもしれないですが、就労移行支援って、当事者の方が就労を通して「社会の中で生きていく」ことに向かうための場所だなぁ、と思っています。
ある程度自分の裁量で判断しながらいろんな物事と向き合わざるを得なくなるのが実際だろうな、と思うんです。
 
 
それを踏まえて、僕は利用者さんとの話の中で「向き合う」という言葉をよく用います。
もしかしたら厳しい表現なのかもしれないんですが、僕らは彼らが社会に出た後、ずっとついて支援をするわけにはいかず、間接的にサポートすることしかできないので、嫌が応でもご本人の自力に委ねなければいけないんです。
 
 
僕らの支援は魔法でも薬でもないので、本人がそれを身に付けたり、意識したり、活用したりしながら社会の中で生きてかなきゃならない。
 
 
そこではやっぱり本人が自分の歩む人生に向き合う事が必要で、そのスタンスだけは僕達が支援だけでどうにかできる事じゃないと思うんです。
 
 
だからここだけは少しシビアなのかも知れないけど、社会の中に飛び出していく上では、どんなスキルや方法論よりも、折に触れて伝えます。
 
 
 
 
反面、支援の中で「付き合う」という事をお伝えする事があります。
正しくは付き合い方、という使い方をする事が多いかな。
 
 
僕がいる分野は、何かしらの生きづらさを感じながら、それに苦しんだり悩んだりしてる方がいます。
そしてその生きづらさ自体は容易に取り除くことができなかったり、直接的に僕ら支援者にも本人にもどうしようもないことだったりします。
 
 
でもここは僕ら支援者がそれこそ「支援」すべきところで、本人の生きづらさの根っこを聴きとっていったりできるだけそれが心の表に出ないようなやりくりの仕方を一緒に考えたり提案しながら、それ自体がなくなるわけではないけれども、それに生活や人生を振り回されないような生き方ができるようなサポートをしていきます。
 
 
ただ本人の心がいつまでもそれに捉われている、というか場合によってはそこに執着してしまっている場合もあるため、支援の中で、「上手に付き合っていこう。治すとか取り除くことじゃなく、付き合い方を身につけよう」というようなニュアンスでお伝えしたりしてるんです。
 
 
ここに向き合っていく、というのはなかなかしんどいですよね。言葉のニュアンスだけの問題かもしれないんですが、向き合うとなると正面から相対する感じじゃないですか。
でも実際にはここは対峙する、というよりもどうやってその生きづらさを向きを揃えて一緒に歩いていくか、という方がどうもしっくり来るような気がしていて、付き合う、という表現をしています。
  
 
 
別にこれと言って変わった話ではないです。
ただ自分でもあまり意識はしたことはなかったんですが、同じ当事者に向けて「向き合おうね」と伝えることと、「付き合っていこうね」と伝えることが存在するんですね。
 
 
もしかしたら言われた当事者の方は混乱しかねないなぁ、と思うんですが笑。
 
 
自分でも整理しておいた方がいいと思ってこうして書いているんですが、つまる所、
 
 

自分が歩む人生には「向き合う」姿勢が必要。
でも、自身が抱える生きづらさとは「付き合う」ぐらいの距離感の方が必要。
 
 
 
ということなんだろうな、ということなんだと思います。
 
 
もう少しドライな表現をすると、
「自分次第でコントロールし得ることなら向き合って前に進む」
「自分でコントロールできないものは悩むよりも上手く付き合うことを考える」
 
というような感じでしょうか。
 
 
 
これは障害の有無や生きづらさの有無の問題ではなく、何となく僕らにも言えるようなことですよね。
ということは、支援者としてこの棲み分けってきちんと認識しておかないといけないことだよな、と思うんです。
1人の人として向き合う、つまりある程度自力で踏み越えないといけないものと、二人三脚のようにして抱きながら進むもの。
 
 
ここはきちんと見極めながら支援をしなきゃいけないよな、と思うんです。
 
 
 
今まであまり意識して言語化していなかった、似てるけど全然違う姿勢について、自分の整理の意味も込めて書いてみました。

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