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対人援助は「タスク」と「役割」と「責任」で回すものじゃない

仕組みとか縦割り構造というようなものへの違和感と少し似た話なのかもしれませんが、頭では分かっていても時々自分の中で割り切れなくなる感覚があります。
 
 
当事者の支援を行うとき、それが事業所という場面でも生活の場面でも就労の場面でも、支援を進めていく上でいろんな「タスク」が生まれます。連絡調整や同行、何かの検索などの周辺業務であることもあれば、当事者の方との面談とか実際の手続き事などの中心業務的なこともあります。
 
 
そしてそのタスクを円滑に進めていくために支援者はそれぞれの専門性や職種に基づいて役割分担をしていきます。就労の支援、生活の支援、医療面の支援、サービスのコーディネート、公的な手続き、などです。家族、とか学校などもある意味ではその役割に含まれるかもしれません。
 
 
そしてそれぞれ分担した役割を各々が責任を持って遂行して、責任を持って達成していくわけです。

 
 
ごくごく支援を行う上では当たり前の事ですし、こうして書いてみてもこの流れについては特に異論も何もありません。
ところがこういう流れの中で違和感が生じる事があります。
 
 
その違和感の正体は昔介護の世界にいたときに感じた違和感と少し似ているものでした。
 
 
昔介護職だった時、入所施設やデイサービスで働いていたんですが、それぞれの施設では日々のタイムスケジュールがあって、利用者さんごとの介助についても予定だったりタイミングだったりがある程度スタッフの行動予定として入り込んでくるんです。
 
 
例えば朝利用者さんが起きてこられたらお茶をお出ししてテレビをつけて、しばらくしたら朝食がくるので食事介助をする。食べた量と水分量を記録して、食後しばらくしたらトイレ誘導したり排泄介助を行う。午後からは入浴があるので予定に従って入浴担当のスタッフが順番に入浴にお連れして夕方前までにはその日の入浴予定の方を全員お入れして夕食に間に合うようにする。夕食前には次の勤務帯の職員と申し送りをして交代して・・・みたいな流れですね。
 
 
当時その仕事をしている中で、一緒に働いているスタッフさんが気にしているのは「あー、今日の仕事は入浴か。◯◯人入れなきゃいけないな。どうやって回そうか」だったり、「◯◯時から排泄介助をして回らないといけないからそろそろ食事を終わらないと」だったり、「水分前何時に出したっけ」だったりしていることが多かったんですね。
 
 
間違ってはないんです。その日の役割が決められていて、予定も決まっているのできちんとその予定がずれないように責任を持って自分のタスクを遂行しようとしてはいるので。
 
 
でも、この時のスタッフさんには入居者さんのことがどれくらい見えていたのか、僕は今でも思うんです。
 
 
その方にとっての仕事は「入浴」だったり「排泄介助」だったり「水分補給」だったりで、果たさないといけないことはタイムスケジュールがずれないようにそのタスクを1秒でも早く回すことで、時間内に定められたタスクと役割をこなすことが責任だと思っているようにしか映らなかったんです。
 
 
無駄な会話をしている間があれば仕事しろ、みたいなことを入居者さんとコミュニケーションを少し長めにとっているときにも言われた事があります。
 
 
 
分かりますか?この違和感。
 
 
 
つまり、支援というものの内訳が「タスク」と「役割」になってしまっていて、それを時間内、規定内にこなさないとという「遂行責任」を果たすことが仕事になっていたんです。
 
 
 
確かに形式上は利用者さんの支援のひとつですし、支援をするための役割分担ですし、それらは確かに責任を持って遂行しなきゃいけない事です。
が、ちょっとおかしい感じがしませんか?
 
 
 
つまるところ、手段の目的化という話だと思うんですが、これがでも実際に仕組みとして動いていたりするんです。
気がついたら仕組み上、構造上は利用者さんを中心に動いていくためのものにはなっているのですが、実働的には利用者さんが一番置いて行かれているようなスキームになってしまっているんです。
 
 
 
ただこれは他者を批判することではなくて、多分無意識のうちに自分もそういうことをしてしまっていたんだろうな、という反省でもあります。
 
 
本人の支援をどのように進めるか、というところで支援の必要な部分を因数分解して「タスク」の形に落とし込んで、そのタスクを遂行するためにそれぞれ役割を分担していき、それらがきちんと回っていくと本人の支援がきちんと進んでいくので(カタチとしては)、これがきちんと回るように各々の責任をきちんと果たしてもらう、というのはあくまでどちらかというと「業務」ではあっても「支援そのもの」ではありません。
 
 
こなれたらこなれるほどこのサイクルをテキパキと組み立ててサクサクとこなすようになれるんだと思うんですが、やればやるほどそこに本人への「温度」みたいなものが薄れてしまっているんじゃないか、と自戒もしますし、ケア会議などに参加したときにそれを感じてしまうこともあります。
 
 
こればかりは僕が主観的に感じているものですし断定することなんてできない問題なんですが、ただくれぐれも間違えちゃいけないのは、どんな仕事でも「タスク」や「役割」をこなすことそのものが仕事ではないはずで、責任というのは確かに大切ですが、タスクや役割に対して感じるものではなく、追求されないために果たすものでもなく、本来の目的に向かう中で持ち合うもののような気がします。
 
 
すごく感覚的な事ですが、支援をしていたら日々変化の連続です。確かにタスクに分解することもしますし、役割を分担することもありますし、それを遂行していく責任はあるんですが、それ以上に目を向けておかないといけないものは別にあるんです。
 
 
それこそ「何のために」という部分の元に実働が生まれていなければ、どんなに構造や仕組みが優れていても形式化、形骸化してしまいます。
タスクが支援じゃないし、役割が仕事じゃない、責任を取るために支援をするんでもないんです。
 
 
僕ら支援者が見つめていなきゃいけないものについて、業務連絡以上に繰り返し見つめ直すようにしていかないといけないな、と感じています。


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