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【書籍の一部を公開②】「15歳からの社会保障 人生のピンチに備えて知っておこう!」

本noteでは、日本評論社さんから11月に刊行予定の「15歳からの社会保障 人生のピンチに備えて知っておこう!」のエピソードの一つ「住む場所がなく、食べるものに困ったシンジ」の一部を公開させていただきます。

本書の中身ってどんな感じなんだろう?という方にお目通しいただけると嬉しいです。

住む場所がなく、食べるものに困ったシンジ


繁華街のゴミ箱に手を伸ばす

「もう、ゴミ箱の中を探すしかないか……」
 39歳のシンジは追い詰められていた。2020年、全世界を襲った新型コロナウイルスの影響で、東京都に緊急事態宣言が出された。その影響で寝泊まりしていたネットカフェは休業を余儀(よぎ)なくされ、シンジは寝床を失った。
 まだ寒さの残る3月初旬、シンジは寝る場所と食べるものを求めて繁華街をさまよっていた。ネットカフェで生活をしていたときは、日雇いバイトで電化製品の組み立てや冷凍食品の製造作業などをしていた。スマホに毎日送られてきていた登録派遣の仕事のメールも、新型コロナウイルスの感染拡大の影響でめっきり少なくなり、手持ちの金は底を尽きかけていた。コンビニの無料wifiにつなぎ、仕事を探すが見つからず、スマホの充電も残りわずかだった。
 「すみません」
 路地裏のコンビニのゴミ捨て場に足を踏み入れたときだった。背後から声が聞こえた。
 まずいと思い、シンジは右と左、どちらから振り向いて走るべきかと考えた。
 「すみません。ホッカイロと軽食をお渡ししているのですが、もらっていただけませんか?」
 ホッカイロ? 恐る恐る振り向くと、グレーのダウンジャケットを着た短髪の30代くらいの男性、そのうしろに20代くらいの女性が立っていた。
 無言でふたりの横を走り過ぎようとすると、「受け取っていただけませんか?」と、ビニール袋を体の前に出された。中にはホッカイロのほかにパンやおにぎりが入っているのが見えた。シンジは差し出された袋をとっさに手につかみ、そのまま駆け出した。
 100mくらい走っただろうか。うしろを振り向くと、先ほどのふたりの姿は見えなかった。息が切れ、あごを上げて息を吸った。空は青く、雲ひとつない。知らない誰かから施(ほどこ)しを受けることになるなんて、会社に勤めていた頃には想像すらしなかった。悔しくて恥ずかしかった。頬(ほお)をつたうものを感じ、シンジは自分が泣いていることに気がついた。

シンジがネットカフェで暮らすようになったワケ

シンジは、中華料理屋を営む両親のもと、ひとりっ子として育てられた。大学卒業後は通信機器メーカーの営業職として就職。母はシンジが23歳のときに末期がんが見つかり、発見後1年ほどで亡くなった。母の死後、父から「店を継いでほしいので、実家に戻ってきてくれないか」と頼まれたが、仕事にやりがいを感じていたシンジはそれを固辞、父と言い争いになり、挙げ句に勘当された。14年前、シンジが25歳のときだった。もともと父との関係はよくなかったが、それ以来、連絡をとっていない。
 4年前、シンジが勤務する会社は他会社に買収され、それにともない部署の社員数が増えた。新しい上司から売り上げ成績について激しく叱責(しっせき)され、ほかの社員の前で見せしめのように汚い言葉でののしられるなどのパワーハラスメント(コラム2・147〜149頁参照)受ける日々が続いた。シンジは朝、体が動かずに出勤できない、やる気が出ない、何を食べても美味しく感じないなど、うつ症状に陥り休職。そのまま復職せず、退職した。
 それから数ヵ月間、自宅に引きこもる日が続いた。退職し1年ほど経ったのち、今のままではダメだとハローワークで再就職先を探したが、思うような仕事は見つからなかった。体調に波があり、精神的にも安定しなかった。150万円以上あった貯金は徐々に減り、家賃を支払うことが難しくなった。友人・知人からお金を借りることは、プライドが許さなかった。お金の工面の目処が立たなくなったシンジは、消費者金融、闇金(やみきん)に手を出すようになったが、その後も仕事は決まらず、アパートに借金の取り立てがくるようになった。そのことがきっかけで、大家から退去を強く求められたため、キャリーバッグに収まるほどの荷物とともに、借金は踏み倒したまま逃げるようにアパートを飛び出した。
 寝床を求めて友人・知人の家を渡り歩くも、2ヵ月ほどで泊めてくれる友人のアテもなくなり、カプセルホテルやサウナで寝泊まりするようになった。手持ちのお金がなくなり、日雇いの仕事を探しては日銭をかせいだ。それは、日々の食事(コンビニ・ファストフード)、寝床となるカプセルホテル、サウナ代で消え、服の洗濯も3日に1回が5日に1回となり、身なりは汚れ、とてもではないが就職活動ができる状態ではなくなってしまった。
 シンジは、まずはアパートの初期費用を貯めようと考え、生活費を削り食事は1日1食、カプセルホテルやサウナよりも値段の安いネットカフェに寝泊まりするようになった。ネットカフェの部屋は1.5畳と狭く、寝返りもまともに打てず、いびきをかけば隣のブースの利用者から壁をたたかれた。逆に隣のブースの人のいびきがうるさく、眠れないこともあった。
 本来住むところではないネットカフェでは、体を休めることができず、シンジは疲れをまぎらわすために酒やタバコに手を伸ばすようになった。その量は日を追うごとに増え、アパートを借りるための初期費用は一向に貯まらなかった。
 いつしか、ネットカフェと食事代をかせぐだけの日々を過ごすようになっていたシンジは、新型コロナウイルスの感染拡大により、最後の砦(とりで)だった寝床を追われる羽目になったのだった。

支援団体との出会い

ビルの電光掲示板に表示された時刻は18時をまわっていた。昼間に手渡された袋に入っていた菓子パン、おにぎり、バナナはあっという間に胃の中に消えた。ミネラルウォーターは半分ほど残してカバンに放り込んだ。袋には、名刺とチラシ、マスクも入っていた。昼間出会ったふたり組はNPO法人の職員で、住む場所や食事に困っている人たちを支援している人間らしい。他人の名刺を手にするのは何年ぶりだろうか。名刺には「菊池ハジメ」と記されていた。
 チラシに目を落とした。ここから1kmほど離れた公園で、弁当などを渡す会を定期的に行っているという案内で、同じ日に医師の診察と福祉相談が受けられることも書かれていた。以前に見たテレビで「若くて働ける人間は福祉を受けられない」と政治家が言っていた。39歳になった自分が若いのかどうかはわからないが、役所に相談に行って惨めな思いをするのはゴメンだ、とシンジは思った。
 スマホの充電がなくなり、シンジは仕事を探す手立てを失っていた。いつもなら、無料で充電できるイートインスペースのあるコンビニも、感染予防のためスペースを使えなくしていた。ファミレスもファストフード店も同様だった。
 いったい、いつまで今の状況が続くのか、シンジには見当がつかなかった。インターネットに接続できず、いま世の中で何が起きているのかを知る手立ては、捨てられている新聞、ビルの電光掲示板に映るニュース映像くらいだった。
 ネットカフェから締め出されて5日目。シンジはもっと長い時間が経ったように感じた。話し声、車の音、電子音、音と光がやむことのない街だなとシンジは思った。この2日間、ほとんど眠れていなかった。今日も眠ることはできなさそうだなと思いながら、公園のベンチでまぶたをギュッと閉じた。

相談するということは、他人の知恵を借りること

スマホの電源が切れて2日が経ち、シンジは慣れない野宿で疲れ果てていた。公園の水道で水分はとっていたが、ほとんど食べものを口にしていなかった。水道の水を入れておこうとカバンからペットボトルを取り出したとき、数日前に支援団体の男性からもらったチラシに目がとまった。そこに書かれている、公園で食品を配る会の日付は今日だった。
 腹が空いていた。いつ、どこで何を間違ったのだろうか。数年前、営業職としてバリバリ仕事をこなしていた自分と、今ここにいる自分のいったい何が違うのか、シンジにはわからなかった。とにかく腹が空いていた。
 ビルが立ち並ぶ中にその公園はあった。支援団体が食品を配っている場所はすぐにわかった。テントが立っており、その近くに人がたむろしていた。30人くらいだろうか。30代、40代と思しき人も目につくだけで数名いた。スタッフらしき人が腕章をつけ、並んでいる人たちにせわしなく食品や飲みものの入った袋を手渡していた。
シンジは呆然(ぼうぜん)と立ち尽くし、なんと言って食品をもらえばいいのか考えあぐねていた。そのとき、テントから男性が歩いてくるのが見えた。こちらに向かってくる。どこかで見た顔だなと思ったとき、「こんにちは。来てくださったんですね。ありがとうございます」と声をかけられた。思い出した、パンとおにぎりの入った袋を差し出してくれた、あの人だった。
 「こんにちは。きちんと自己紹介してませんでしたね。はじめまして、菊池です」
 シンジはドギマギした。自己紹介なんていつぶりだろうか。
 「山本シンジです」
 自分の名前を口に出したが、それがひどく特別なことに思えた。
 「バナナ、おにぎり、パン。あとは軽食に、飲みもの、お菓子も少し。お嫌いでなければ」
 菊池さんはそう言い、両手で袋を差し出した。
 「どうも」。シンジは素っ気なく袋を受け取った。
 「あちらで、暮らしのご相談に乗っていますので、もしよろしければ、お話、聞かせていただけませんか?」
 菊池さんの目線の先に、テントの下に設けられたブースで数人が話をしているのが見えた。シンジは外から見える場所で話をすることに抵抗を覚えた。
 「いえ。大丈夫ですので」。そう返したシンジに対し、「来週の食品をお渡しする時間などが書かれたチラシです。わたしは日頃は、ここに書いてある住所の事務所にいますので、何かあれば直接いらしていただいても大丈夫です」と菊池さんがチラシを差し出した。シンジはチラシを手にとり、あいまいに頭を下げてその場をあとにした。
 チラシには、支援団体が相談に乗り、住まいや生活費に困っている場合に利用できる制度を紹介するとも書かれていた。野宿はそろそろ1週間になろうとしていた。食べるものはまだしも、寝泊まりするところをなんとかする方法が、シンジひとりではどうしても思いつかなかった。今のままではどうにもならない。
 試しに誰かの知恵を借りてみようか、そう思った。

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続きは11月刊行予定の「15歳からの社会保障 人生のピンチに備えて知っておこう!」でお読みいただけます。
ご関心を持っていただけましたら、ぜひお手に取っていただけると嬉しいです。


以下、刊行の経緯や目的についてnoteに記しました。こちらもよろしければご覧ください。


他の章についても一部公開しています。


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