【書籍の一部を公開①】「15歳からの社会保障 人生のピンチに備えて知っておこう!」
本noteでは、日本評論社さんから11月に刊行予定の「15歳からの社会保障 人生のピンチに備えて知っておこう!」のエピソードの一つ「おばあちゃんと弟のお世話をしなければならないサクラ」の一部を公開させていただきます。
本書の中身ってどんな感じなんだろう?という方にお目通しいただけると嬉しいです。
おばあちゃんと弟のお世話をしなければならないサクラ
高校受験を控えたタツヤとサクラ
「高校受験かあ」。中学3年生のタツヤはため息をついた。所属していた野球部は県大会初戦で敗退し、中学最後の夏は幕を閉じた。タツヤは野球部の強い商業高校が第一志望だったが、父親からは進学校である県立高校への進学をすすめられ、今夜、進学塾の体験授業を受けに行くことになっていた。
塾に自転車で向かう途中、同じクラスの宮崎サクラがレジ袋を下げ、小学校低学年くらいの男の子と手をつないで、スーパーから出てくるのが見えた。
タツヤは自転車を止め、「宮崎さん?」と声をかけた。
「あ、タツヤくん。もう帰り? 早いね。部活は?」
サクラは落ち着いていて、自分よりも大人びているとタツヤはいつも感じていた。
「野球部は1回戦で負けちゃったから、もう引退。今日はこれから塾の体験授業」
「そうなんだ。残念だったね。ユウト、この人はお姉ちゃんの同じクラスのタツヤくん。ほら、あいさつして」
「こんにちは、ユウトです」
1、2分会話をして、タツヤは塾に向かった。
サクラの日課
サクラの家はエレベーターのないアパートの4階にあった。階段を上り、カバンからカギを取り出し、扉をあける。「ただいま」と弟のユウトが言い、サクラが「おかえり」と返す。サクラは久しく誰からも「おかえり」の声をかけられていない。
レジ袋をテーブルの上に置き、ユウトに声をかける。
「ユウト、手洗い・うがいしておいで。今夜は焼きそばだよ」
サクラは鼻をつくにおいを感じた。いつの間にか慣れっこになった祖母の尿のにおいだ。祖母は1年半前に脳の病気で入院をしたあと、物忘れがひどくなった。ベッドから起き上がれず、寝て過ごす時間が長くなった。尿をもらすことがあり、サクラの母がオムツをはかせていたが、祖母はいやがって怒鳴ったりしたので、今はつけていない。ベッドには古いタオルが敷いてあり、2日に1回、母が洗濯をしている。祖母の部屋をのぞくと、グッスリと眠っていた。
母が帰宅するのは毎日早くて23時頃、遅いと夜中の1時頃になることもある。サクラの帰宅後の日課は、ユウトの宿題を見てあげ、ユウトと自分の分の夕食を用意して食べ、祖母にも食事を食べさせることだ。母、ユウト、サクラの3人で一緒に食事をするのは月に2、3回あるかどうか。朝食は夜遅くに帰ってきた母が朝用意する。夕飯もたまには母が用意するが、忙しくてつくれないことがほとんどなので、サクラが学校から帰ってきてからつくっている。今日のように焼きそばくらいならサクラでもつくれるが、ちゃんとした料理は無理だ。たいていはご飯を炊飯器で炊いて冷凍や出来合いのおかずと食べたり、カップラーメンですませることもある。
祖母の食事は、母が通信販売で買ったドロドロの、飲み込んでもむせこまない介護食と呼ばれるもの。祖母が入院していた病院の看護師さんが母に教えてくれた。祖母をベッドから起こすのは大変で、機嫌が悪いと怒鳴ることがある。サクラは祖母の病気が憎く、元気で優しかった祖母の姿を思い出して泣いてしまうこともある。今日の祖母は調子がよさそうで、泣いたり怒ったりせず、スプーンもにぎって食べていた。サクラはホッとし、今夜は勉強する時間がつくれそうだと思った。テストも近いし、受験勉強もしなければならなかった。
サクラの家の事情
サクラの母は2つ仕事をしていて、日中は朝からスーパー、夜は居酒屋で働いている。朝起きてユウトとサクラが学校に行くときは、まだ寝ていることが多い。
父はいない。両親は3年前に離婚した。離婚後、母はサクラとユウトを連れて、祖母と亡くなった祖父が住んでいた今のアパートで生活をするようになった。父には離婚してから1回も会っていないが、母に父のことを聞くのは母を悲しませそうで聞けないでいた。
サクラも焼きそばを食べはじめた。祖母の部屋に目をやると、スプーンがベッド上のテーブルに放り投げられていた。祖母の部屋に行き、サクラは声をかけた。
「おばあちゃん、もうお腹いっぱい?」
「はい!」
甲高い声で返事があったが、テーブルの上に3分の1くらいがこぼれてしまっていた。ティッシュでふきとる。口の周りにも食べたものがついていたので、ふく。
「サクラちゃん、ごめんねえ」
突然祖母が泣き出した。祖母は日によって意識がはっきりしていて会話ができる日もある。涙をポロポロ流す祖母の声を聞き、ユウトが近寄ってきた。サクラとユウトは一緒にティッシュで祖母の涙をぬぐった。
サクラはユウトを寝かせたあと、洗濯機をまわし、洗濯物を部屋の中に干した。時計は22時をまわっていた。
サクラは建築が好きで、建築学科のある大学に行けたらと思い、進学校である県立女子高校に進学したいと考えていた。クラスメイトの半分くらいは塾に通っているけれど、サクラは塾に通わずに自分で勉強をしてがんばりたいと思っている。塾はお金がかかるだろうし、母に負担をかけたくないという思いが強かった。
「お姉ちゃん、眠れない」
ユウトがリビングに出てきた。今日も勉強できそうにないな、第一志望の高校に行けるのかな、自分の将来はどうなるんだろう——サクラはそう思いながら、そう思ってしまったことを申し訳なく思い、ユウトが眠りにつくまで添い寝をした。
気がつくと、カーテンのすきまから光がさしていた。隣の布団には仕事から帰った母が眠っていた。毎朝、母はサクラとユウトの朝食をつくって、そのあとまた少しだけ寝て仕事に行く。6時半に目覚ましが鳴るまで、あと2時間あった。サクラは母を起こさないよう、再び目を閉じた。
祖母の異変
「もういい加減にして!」
大きな声が聞こえ、サクラは目を覚ました。声がした先に目をやると、トイレの前に尻(しり)もちをついた祖母と、母のうしろ姿が見えた。床がぬれている。祖母がもらしてしまったんだ、とサクラは理解した。祖母は泣いて、何か叫んでいた。
「お願いだから、オムツして!」
母がぞうきんで床をふきながら言った。サクラは祖母と母の近くに行き「おはよう」と声をかけ、一緒に床をふいた。「起こしちゃったね、ごめんね。ありがとね」。母の目元のクマは今日もひどかった。床をふき終えると、母は祖母を抱えて部屋のベッドまで移動させた。
「イタイ! イタイ!」と祖母が苦しそうな声をあげた。
「ちょっとは我慢してよ」
そう言いながら、母は祖母をベッドに寝かせた。
「サクラ。お母さん、今日は早く仕事に行かなきゃいけないから、そろそろ出るね。朝ご飯、テーブルの上に置いてあるから」
そう言うと、母は急いで家を出て行った。
テーブルには、ラップがかけられたおにぎりが4つ置いてあった。
ユウトを起こして、朝ご飯を食べるように促す。来週には中間テストが控えていた。7時45分、そろそろ家を出なきゃとサクラが思ったときだった。ドスンと鈍い音がした。音のほうに目をやると、祖母が床に倒れていた。大変、ベッドから落ちたんだ。サクラが祖母のそばに駆け寄って声をかけるも、祖母は目をつむっていて反応がなかった。
「どうしよう……」
サクラが玄関に目をやると、ユウトはポカンとして立っている。母の携帯に電話をしたが、留守番電話に切り替わってしまった。もう仕事がはじまっているのかもしれない。母が勤めるスーパーに電話をしようかと思ったが、サクラは祖母の様子が心配で、救急車を呼ぼうと決意した。1年半前にも一度、祖母の体調が悪く、母が救急車を呼んだときに一緒にいたことがあった。サクラはそのときのことを思い出した。
「ユウト。おばあちゃん、救急車に来てもらうから。今日学校遅刻になっちゃうかもしれない」
サクラは深呼吸を一度して、119に電話をした。
タツヤの気づき
「今日も放課後は塾の体験授業かあ。だるいなあ」
タツヤは自転車で学校に向かっていた。赤信号待ち、道端の救急車が目に入った。おばあさんが救急隊の人に運ばれ、救急車の中に入っていく。その隣に、知っている顔を見つけた。
「宮崎さん?」
同じクラスの宮崎サクラだった。隣には弟がいる。ふたりとも救急隊員に促され、救急車に乗り込んでいく。
「宮崎のうちのおばあちゃん、どうしたんだろう?」
タツヤはサイレンを鳴らし発車する救急車を見送ると、学校に向けて再び自転車をこぎはじめた。
中間テストが来週に迫っていた。教室では担任の鈴木先生が出欠をとっていた。
「宮崎さん。今日はお休みね」
タツヤは「もしかして、鈴木先生は宮崎さんの家で今朝起きたことを知らないのかな?」と思い、ホームルームが終わったあと、鈴木先生に今朝の出来事を伝えた。鈴木先生は驚いた表情で、「そうだったのね。タツヤくん、ありがとう」と言った。
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サクラ一家はこのあと、ある人との出会いをきっかけに、社会保障制度に繋がることになります。続きは11月刊行予定の「15歳からの社会保障 人生のピンチに備えて知っておこう!」でお読みいただけます。
ご関心を持っていただけましたら、ぜひお手に取っていただけると嬉しいです。
以下、刊行の経緯や目的についてnoteに記しました。こちらもよろしければご覧ください。
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