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『怨霊が棲む屋敷 呪われた旧家に嫁いだ花嫁』 第8話

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第2章 押し入れにひそむ多佳子

1 わたしがたくさん産んであげる 

 季節は移り、そろそろ秋の気配を忍ばせようとする頃。照りつく夏の日射しも心なしか和らぎ、過ごしやすい季節となった。
 緑一色だった山々も赤や橙色に色づき始め、人々の目を楽しませた。

 山間の秋は短く、またたく間に厳しい冬がやってくる。
 彩りの季節も、やがて冬一色に塗りかえられてしまうのは間もなくだ。

「屋敷にはもう慣れましたか?」
 利蔵は許嫁をともない屋敷の庭園を散策していた。
 遠くの山々と同様、利蔵家の庭の木々もまた赤や黄色、橙色に染まり、秋の訪れを感じさせる風情のある景観であった。

「はい」
「毎日、下働きの者に混じって働かなくてもいいのですよ」
「はい。ですが、早くお屋敷に慣れたいと思っているので、いろいろ勉強させていただいております」
 健気な許嫁の答えに、利蔵は目元を和らげる。
「みな、あなたに優しく接していますか? きついことを言われたりはしていませんか?」

 利蔵は苦笑しながら頭に手をあてる。
「あの人も、少々厳しいところはありますが、根は悪い人ではないので……すべて、この利蔵の家のためにと必死なのです」
 利蔵の言うあの人とは、言わずもがな世津子のことである。

「存じております。それに、本当によくしていただいています」
「そうですか。でも、何かあったら僕にちゃんと言ってください」
「はい、利蔵家の嫁として、当主様の妻として相応しくなれるよう努力いたします」
 利蔵はまたしても苦笑する。

「そんなに堅くならないで。とにかく、分からないことがあったら何でも僕に聞いてください」
「ありがとうございます。あ……」
 ふいに、石畳の段差につまずいた許嫁の身体を利蔵は支えた。

「大丈夫ですか」
「……すみません」
 利蔵は足元に視線を落とし眉根を寄せる。
「この段差も考えなければなりませんね。明日にでも石畳を変える手配をしましょう。子ができた時に、また、あなたがつまずきでもしたら大変ですからね」
「子ども?」
「ええ、僕たちの子です」

 許嫁は頬を赤く染め、恥じらうようにうつむく。
 そんな彼女の頬に手を添えた利蔵の目が見開かれた。
 利蔵の視線が、目の前の許嫁を通り越し、その先に向けられる。

「風が冷たくなってきました。屋敷に戻りましょう。ああ、先に行ってください」
 許嫁ははい、と頷きおじぎをすると、利蔵に背を向け屋敷へ戻っていく。
 許嫁が屋敷へと入っていったのを見届け、利蔵は裏門に向かい足早に歩いていく。
 その表情に、先ほどまで許嫁に向けていた穏やかな笑みは消えていた。

 いつからそこにいたのか。ずっと、こちらを覗き込んでいたというのか。
 わずかに開かれていた裏門の隙間から、多佳子が屋敷内を覗き込むように立っている姿が見えたからだ。
 目が合うと、多佳子はニタリと笑う。

 相変わらず、人を不快にさせる姿だ。
 醜悪な女め!

「どういうつもりだ! もうここにへは来るなと言ったはずだ!」
 異常ともいえる多佳子のしつこさに、語気が荒くなる。しかし、声を荒らげる利蔵を前にしても、多佳子は動じる様子はみせない。

「利蔵さんはあの女すき? わたしのほうがあの女より利蔵さんあいしてる。利蔵さんもそう」
「やめてくれ!」
 いったい何を言い出すのか。
 冗談ではない。

「こども ほしい?」
 一歩足を踏み出してきた多佳子の頭皮から、ぷんと鼻が曲がりそうな悪臭が漂った。
 利蔵は鼻に手をあて、あからさまに顔をしかめる。

「わたしが利蔵さんのこどもうんであげる。たくさんうむ。たくさん」
 多佳子はニタリと笑い、足を肩幅まで開くと、見てとばかりに着物の裾を両手で腰のあたりまで持ち上げた。

「君!」
 利蔵は慌てて視線を横にそらし眉を寄せる。
「こうふんした? 利蔵さんとなら してあげてもいい」
 吹き出物でボツボツになった頬にねっとりとした皮脂をにじませ、多佳子は顔を赤らめた。

「いい加減にしてくれ! は、早く着物をおろしなさい!」
 あまりの動揺に、利蔵の声がうわずる。
 多佳子はめくっていた着物から手を離した。
「あの女利蔵さんにふさわしくない。あんなみにくい女」
 思わず頭にかっと血がのぼり、気づいた時には彼女の頬を叩いていた。

「うああ……!」
 悲鳴を上げたのは利蔵の方であった。
 女性に手をあげるなど初めてのこと。だが、女を叩いた罪悪感よりも、ねっとり手のひらに付着した多佳子の顔の脂に、利蔵は顔を強張らせる。

 長い前髪の隙間から、上目遣いでこちらを見る多佳子に背筋が凍った。
 叩かれながらも、多佳子は笑っている。

「やさしい利蔵さんかわった。あの女のせい」
 利蔵は首を振って後ずさる。
「もう……」
「あの女 いらない」
「やめてくれ!」
「利蔵さんにはわたしがいればいい」
 本当に、いい加減にしてくれ。
 頼むから勘弁してくれ!

◇・◇・◇・◇

 家に戻った多佳子は暗がりの中、鼻息を荒くさせ藁を手に一心不乱に何かを作っていた。
 作業中、多佳子の口から意味不明な呟きがもれる。おそらく多佳子自身、意識せず呟いているのだろう。
 多佳子は笑っていた。
 笑いながら、藁を束ねている。

「多佳子、帰ったのかい?」
 床についている母親がむくりと起き上がり、多佳子に声をかける。瞬間、母親は痰のからんだ咳をする。
 側で母親が苦しげに咳き込んでいるにもかかわらず、多佳子は介抱するどころかちらりと見ることもしない。
 咳き込む母親の喉から、ひゅうひゅうと耳ざわりの音が響いた。

 家の中は饐えたにおい。それは、病人の身体から放つそれか。
 背中を丸めた母親は、落ちくぼんだ目で多佳子の後ろ姿を見つめていた。
 やつれてこけた頬、骨と皮だけになった細い手足。母親の容態はあまりよいとはいえない。

「多佳子、いったい何をしてるんだい?」
 痰の絡んだ声で問いかける母親に、多佳子はやはり一言も言葉を発することはない。
「あんた、ちゃんと村のみんなとうまくやっているのかい? 畑はどうした? この間見た時は雑草が伸びきっていたよ。作物も枯れていた」
 それでも反応のない多佳子に、母親はため息をつく。

「どうしておまえはそんなふうになったんだろうねえ。誰かいい男でも見つけて結婚でもしてくれたら、あたしも安心してあの世にいけるのに。あたしのせいだね。あたしがあんたを醜い女に産んじまったばかりに。せめて人並みの顔に生まれていればよかったのに……」
 つらつらと娘の器量の悪さを口にした母親はもう一度ため息をつき、床に入りなおす。

 寝入った側から母親は咳をしだした。
 作業をする多佳子の手が止まった。
 その手には一体の藁人形が握られていた。
 多佳子は側においてあるゴミ袋を引き寄せ、床にばらまき広げた。
 床に這いつくばり、ゴミの中から何かを探す。

 伸びた髪が散らばったゴミに絡んでも、多佳子は気にしない。やがて、何かを見つけた多佳子は、指先でそれをつまみあげた。
 長い黒髪だ。
 それは、利蔵の許嫁の髪の毛。

 ぐるりと塀に囲まれている利蔵家だが、屋敷の背後は傾斜のある崖と森になっていて、そこだけ塀が築かれておらず、屋敷内に入り込めるのだ。

 利蔵に会いたい一心で、多佳子は屋敷の周りをうろつき中へ忍び込める場所を見つけたのだ。
 敷地内に忍び込んだ多佳子は、物陰に隠れながら許嫁の部屋から持ち出されたごみを下働きの女が焼却炉に捨てるのを見ていた。

 ゴミを焼却する直前、女が誰かに呼ばれその場を離れたところを、多佳子はゴミを袋ごと盗み、家に持って帰ってきたのである。
 多佳子はニヤリと笑い、作ったばかりの藁人形の中に髪の毛を指先でぐいぐいと押し込んだ。

 できあがったそれを見て満足そうに頷くと、木槌を手に立ち上がる。
「多佳子! いったいこんな時間にどこに行くんだい? 多佳子!」
 引き止める母親の声を背中に流し、藁人形を手に多佳子は家を飛び出した。

 時刻は午前二時を過ぎ。
 村々の灯りも消え、辺りは暗闇に包まれている。
 家を飛び出した多佳子は、村外れの北、山の傾斜地にある神社を目指す。
 朱塗りの鳥居の向こう、ぽっかり口を開けたように深い闇へ続く階段が数十段あり、登りきった右側に、ちろちろと申し訳程度に流れる手水舎。さらに、正面奥には古びた社があった。

 社といっても立派なものではなく、何を祭っているのかも知らない。もっとも、村の誰一人そこに何の神様が祀られているかなど知る者はいない。

 多佳子は社には向かわず、その横に立つ杉の木に向かう。
 ニヤリと笑った多佳子は、藁人形の胸のあたり目がけ五寸釘で打ちつけた。

 カーン

   カーン

 手にした木槌で何度も何度も。
「死ね 死ね!」
 呪いの成就を叩きつけるように、多佳子は藁人形の胸に深々と釘を打ち込んでいく。

「死ね。あの女死んでしまえ。利蔵さんはわたしのもの。わたしが利蔵さんのこども産む」

 死ね。
 死ね。
 呪われろ!

 呪詛を綴る多佳子の声が、夜の闇に響きわたった。

ー 第9話に続く ー 

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