花岡八幡宮の狛犬たち
そもそも狛犬とは。
・神社や寺院の前に置かれる、獅子に似た獣の像。
・魔よけの効があるとされ、平安時代には清涼殿の御帳の前に、左に獅子像、右に狛犬が一対並べて置かれた。
(ブリタニカ国際大百科事典より引用)
現代ではどちらも狛犬という扱いだが、本来は、向かって右側で口を開いているのが獅子、左側で口を閉じ頭上に角があるのが狛犬だそうだ。これが阿吽、陰陽になぞらえられる。
真面目なお話はこれくらいにして。ふとしたきっかけから興味を持ったので、改めて、幼少期からお世話になっている八幡様に、狛犬たちに会うためだけに足を運んだ。
参道を入ってすぐのところでまず一対。ここで初めて(或いは忘れてしまっていただけ)狛犬には角があることに気づく。
昭和時代以降のものに、左右ともに角がないものが多いらしく、そうとなるといつごろのものなのか、もっとよく見ておけばよかった……と悔いた。
後から思い返せば、もっといろいろな角度から写真に収めておけばよかったという思いもあるので、また近々それも含めて改めてお参りしようと思っている。
長い階段をのんびり登っても、運動不足の身には堪える。どうにか一段階目を登り切って、短い階段の途中で会えるのがこの一対。
こう見ると、最初に会った一対とは毛並みも、顔つきも全く異なる。「犬」と言っても起源はライオンらしいので、猫っぽさほ方を感じなくもない。顔が丸っこく、かつ、正面から見るとどこか扁平な(楕円?)ところなど愛猫を思い出す。
ようやく本殿も目の前というところ。凛々しく迎えてくれるのがこの一対。
獅子、狛犬の名ではなく、高麗犬と表記されていた。大東亜戦争で供出されたが、昭和59年に復元して奉献されたらしい。
少し沈んだ、深刻な気持ちでその碑文を撮影して、今、持ち帰ってつくづく読んでいたところ、両前足の向こう側に、見えるものに気がついた。そこまで作りこまれているものなのか……! と感心しつつ、他の子たちはどうだったっけ? と思いつつ、我が愛犬の子犬時代を思い出した。
前に掛けられている看板には「狛犬さま アー・ウー」で始まる文章が書かれている。今では判読が難しくなってしまったが、とにかく、自分の体の悪いところを撫でるとよいそうだ。どちら側も「狛犬さま」と書かれているため、ここでは「アー」も「ウー」も狛犬さまだ。
私は幼少期、この「アー・ウー」の響きと字面がなんだかかわいく感じられてとても好きだった。今考えると阿吽のことなんだが、「アー・ウー」と言われると、ほら、かわいく感じないだろうか?
先日、この狛犬が美脚であるとの指摘を拝見して、改めてそう思って見ると、確かにこれまで会った狛犬たちと比べても、人間で言うと、腰の位置が高いというような、そんな特徴に気がついた。
お参りの後、せっかくなので厄を追い出してやろうと頂いた御神酒を頂き、思ったよりふわふわとなってしまいながら、とことこと本殿の裏の方にも回ってみた。
こんなところにも狛犬がいた。がっしりしていて、表情も少し厳めしかった。
人の姿も絶え、越天楽(というのだろうか?)の曲も遠く、少しだけ御神酒で酔って角が取れたような意識とともに、生い茂る草木の中を歩き、鳥の声を聴いていると、ああ、昔の人はこうして神様とつながったのだろうか……なんてことを考えた。
もうさすがに会えないだろう、と思っていたところ、最後に会えたのがこの一対。巻き毛がまるで首飾りのように顔の下部の輪郭を縁取っていて、どちらも印象的な表情だった。
ほかにも、獅子と狛犬以外の生き物の像も撮影したので、またいずれ紹介させていただきたい。
それにしても、幼い頃から行きつけの八幡様に、こんなにたくさんの狛犬がいるとは気づかなかった。こんな風に、私は他にもたくさん、気に留めなかったがために見逃してきたものがたくさんあるのかもしれない。
それを思うと、今後ももっと行き慣れた場所であっても足を運んで、目を凝らしてみたいと思った。
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