普通の人だっていいじゃないか!
書きはじめたら楽しくて、今日だけで2本目の記事。
や、もう寝る準備する。明日も顔で笑って心で(自主規制)だし。
ひとつの結論
ひとつ前に投稿した記事と被ってしまうのだけど。
私はずっと、このnoteというサービスを
特別なスキルを持っている人、伝えたいことがある人のためのサービス
だと思っていたし、登録前にいくつかの記事を、郵便番号ごとに年賀はがきを振り分けるバイトみたいに流し読みしてみたら、実際そういう人ばかりが書いている記事が出てきたので「はい、消えたー!!!」って状態になっていた。
まあ結局今となってはどうでもよくなったというか、一つの考えに辿り着いたので、こうやって登録していくつかの記事を書き、さっきは一丁前に「スキ」をもらった時に表示されるメッセージを10個くらい登録していた。真面目なものからふざけたものまで。サポートをもらった時のものも一応登録しておいた。今のままだったら熱々に焼けた石つぶてとか、火炎瓶とかは飛んできても、サポートなんて飛んでくることは何万光年先になるかはわからないけど。
さて、私がどんな考えに行き着いたかといえば、以下の通りである。
ぐだぐだ言ってねえで、書きたいことを好きに書け!!!
以上。
特別じゃない自分だからこそ
私には、特別なスキルなんかないし、まだnoteでは書き始めたばかりで、記事を書く行為を通して伝えたいことだって、どれだけあるか怪しい。
……とか言っている人間に限っていつも何か一つだけ突出したものがある、という意見は確かに少なからず存在するけれど、私の場合は本当に、何も、ないと思う。
容姿端麗でも、頭脳明晰でもない。
球技のボールは基本的に顔で受ける。
歌も絵もそれほどうまくない(絵はむしろはっきりうまくない)。
恋愛の駆け引きも、アイドルはライブと握手会以外で異性と接触することはない……と思っている人種とたいした変わらないくらいの技量しかない。
考えてみてほしい。弱虫で勉強のできない子供の代表格として語られることの多い「ドラえもん」の野比のび太くんだって、実は射撃の達人だし、いざとなれば仲間の危機に、自分の身の危険を顧みず助けに向かう勇敢なところがあるのだ。
そんなのび太が宿題を忘れたり、ジャイアンにいじめられるとすぐドラえもんに泣きついたり、そういうおっちょこちょいだったり弱い一面だけを切り取って「のび太に比べればおまえなんてしっかりしてるじゃん」なんて言うやつ、私はその時点でコミックスの角で眉間をぶっ叩いてやりたくなるもん。そして首根っこ掴んで、TSUTAYAに行って劇場版ドラえもんのDVDをありったけ借りさせる。私の虫の居所が悪ければ感想文も課す。
だって、私にはものすごい離れた場所から意中の相手をズキュンと射止める能力はないし、仲間が危ない目に遭っていたって、せいぜいしどろもどろになって警察の通信指令室のオペレーターを困らせるのが関の山だ。
そんな私とのび太を比べるなんて、むしろのび太に失礼な気さえしてくる。
それでも、私はさっきの考えに辿り着いた。
理由はとても簡単なことで。
特別じゃない自分だからこそ、何か伝えられるかもしれない。
特別じゃない自分だから。
吹雪の夜にろくな装備も体力もないまま、息も絶え絶えに歩いてきた、自分と同じように「特別じゃない」人にとって、凍え切った身体をあたためてあげられる存在になれるかもしれない。
「こんな普通のやつでも、なんとかして生きてんだなあ」
「よくわかんないけど、悩んでんのがどうでもよくなってくるなあ」
「どうでもいいけどおまえスネ夫の気持ち考えたことあんのかよ!」
そんなふうにして、自分の書いた記事を読んでくれた人に、勇気とか希望まではいかないけど、少し「ぷっ」と笑ってもらえたら、うれしい。そして「まあ、こいつでもなんとかなってるんだし、自分だってなんとかなるか」と感じてもらえたらいい。
そういうふうに思ったのだ。
あとは、そう思うのはいいが何を書いてくつもりしてんの……ということになる。
まあ、まだまだ新参者ゆえ。
そうだなあ。
そのへんは、アメリカの新しい大統領が決まるまでには考えておきたいかな。
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