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第2回 被災地域の中でも格差は起きてしまう(前編)

連載企画「震災から10年~現在地と着地点~」。第2回目は、「被災地域の中でも格差は起きてしまう」と題して前編・後編の二部構成でお送りする。ここで述べる格差は具体的に、情報発信に関しての格差について述べていく。

報道と現場との乖離

私はこれまで、岩手・宮城・福島の被災地を訪れ、支援活動(がれき撤去・支援物資の送付作業・子供たちへの教育支援)を行ってきた。その中でも特に、活動していった中で印象に残った地域がある。それが、宮城県の南三陸町である。

南三陸町と聞いて多くの方が思い浮かぶのが、町の防災対策庁舎ではないだろうか。津浪の襲来によって、赤い鉄骨だけが剥き出しとなった姿に衝撃を受けた人は多いのでは。

南三陸町の概要を簡単に説明すると、2005年に、合併前の志津川町と歌津町の2町が合併し、現在の南三陸町となっている。被災した防災対策庁舎は、合併前の志津川町に建っている。加えて、町役場も建っているので、ここが町の中心部となっている。

話を戻そう。私が南三陸を訪れ支援活動したのは、中心部の志津川地区ではなく、町役場から車で10分あまりで着く、歌津地区だった。初めて訪れたとき、目視で確認する限り、がれきの量だったり町の被災状況はほぼ同じくらいの印象だった。しかし、避難所を訪問したときに一つ違和感を感じた。避難者は100名ほどいたのにも関わらず、支援物資の在庫量が明らかに少なかったのだ。具体的に言うと、2リットルの水を1人1本配っても、数が足りず貰えない人が出てしまうほどだった。報道では、全国からの支援の輪によって、避難所に十分な物資が行き渡っているものだと思い込んでいた。十分な物資が届いていない現実を目の当たりにした瞬間だった。

重たい現実を突き付けられる

私は南三陸町で活動した際は、支援団体に入って活動していたため、町民の方と交流を深める場面もあった。そんなある日、私を含めた支援団体で活動しているメンバーと町民の方々との夕食会が開かれた。

そこでさりげなく、避難所に届いている物資が足りない現状について質問してみた。そうすると、「南三陸町の様子がテレビで伝えられているのは、志津川地区だけ。こっち(歌津地区)はあまり報道されない。だから、支援も志津川に片寄っているんだよ。こっちだって死人が出てるのにさぁ、もうちょっと歌津の現状を多くの人に知ってもらいたいよ。」と話した。この時に初めて、避難所に十分な物資が届いていない現状と町民の話がリンクしたのだ。

この南三陸での支援活動によって私は、被災地域の中でも、支援が多く潤っている地域もあれば、甚大な被害が出たのに、十分な支援が行き届いていないある意味、支援の格差が起きている現実を突き付けられたのだ。

この出来事をきっかけに、自分が今後するべき支援や、支援が取り残されないようにするにはどうするべきか、考え直すようになった。その具体策については、後編で述べていく。

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