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家事は会話でどうにかこうにか

我が家は夫と二人暮らし。

夫は勤め人。私はフリーランスとして自宅で働いていて、この生活パターンは早くも四半世紀近く続いています。

家事については厳密な役割分担をしていません。家から出ることが少ない私は、仕事の量が少ない時には家事全般を引き受けます。私の受注量が多かったり、納期までの時間が短くて、家事どころではない大わらわの時期には、週末であれば夫が買い出しも含めてご飯づくりや掃除、洗濯を引き受けてくれます。

やれる人がやる、という感じです。これは聞こえはいいですが、お互いの気持ちのちょうど良いバランスを取るのはなかなか大変。

バランスを崩す要因として一番よろしくないのは(自戒も含めまして)、「これだけやったのに」とか「ここまでしたんだからあんたも何かしろ~」とか「ヒトが掃除機かけている間に、あんたは何をしていたと言うのだ~」という考え方。

家事をやらなかった方は、やった方が「やりたくてやった」ぐらいにしか感じていない。悪いけど、その程度にしかとらえていない。もちろん、お風呂場洗いや料理ができた鍋を載せたガスコンロや野菜かごに追加された新しい野菜とか、見てすぐ分かる変化であれば、その場で「ありがとう」は言います。夫も私も必ず言います。「ありがとう」はルールではない。自然と出てくる言葉。この「ありがとう」の使い方は夫婦で息ぴったり(うふふ)。

(やってやった)という意識が出るなら、お互いにかなり疲れている証拠です。

自分だけが損しているはずだという心の狭小状態にあるから、やってやったとでも考えないと納得がいかなくなる。

それでも、自分でやるしかない状況にある時、私は次のように工夫しています。

①「これから(お皿洗い、洗濯、掃除などなど)しまーす」と口に出して宣言する。
②相手のためとか、場の浄化のためとか、面倒くさい理由は考えずに、これから「何分で」その家事を終了するかを前もって決める。
③時間を決めるとそれは一つのゲームのような状態に変化する。それを達成するためには、好きな音楽を聴きながらでもいいし、踊りながらでもいい、とにかくコンプリートさせることに集中する。

上述の①~③を意識すると、家事はそれほど嫌なものではなくなり、しかも結果は目に見えることが多いので、終わった後は気分も爽やかになります。たとえ家の中に一人でいるときの状況でも(最近までは愛犬に向かって宣言して、愛犬はどうでもよろしいと言わんばかりに寝る態勢を直したりしていましたが、お空に還ってしまって現在ペットロス満喫中です)、これを実行します。夫がいる時は、「これから〇〇しまーす」と言えば「はーい、よろしくねー」と返事が来ます。このやり取りはなかなかいいものです。

「ワタシガ ヤレバ イインデショー」
「モンクイウナラ アンタガ サイショカラ ヤレバ イイデショー」
というのは厳禁。意味ないですから。
どんな行動もやりたくてやっている以外のものは、たとえ家族でも判別が難しいし、自己犠牲って迷惑ですから。

家事分担にルールが存在すると、この「自己犠牲」がカビのようにいつしか発生しやすくなると私たち夫婦は思っています。できない時があってもいい。一週間ぐらい部屋が埃だらけでも死ぬわけじゃない。冷凍庫にはいつでもレンジで温められるお惣菜や作り置きおかずもある。たいていはさぼっても何とかなるものです。ルールだらけの社会の中で暮らしているのだから、家事ぐらいはゆるく楽しく続けていきたいな。

それでも、たまには体調が悪くていらいらしながら洗濯機の電源を入れる日もあります。そういう時も、正直に言ってみます。

「あったまが痛いでーす。なんだかしんどいでーす。とりあえず今からお洗濯しまーす。終わったらちゃんと干しまーす。その間にできたら日本茶でもいれておいてほしいでーす」

「了解です。まかしときい」と、パソコンで調べ物をしている夫からの返事が聞こえてきます。

もし分担のルールがあるとすれば、「会話にする」ということですかね。それでいいのだと我が家では考えています。

(写真は私の手描きのお絵描き付き連絡メモ。早朝に犬の散歩に出るときに、後から起き出す夫のために朝食の内容を簡単に書き残して出発するという生活スタイルが夏前後には暫く続きました。登場するのは我が家の愛犬。可愛いでしょ?)


#家事分担の気づき

元保護犬であった愛犬がシニアとなりお空組となりました。まだまださびしい毎日ですが、これからも保護犬たちが幸せをつかめるように何らかの行動は続けたいと思います。愛ある作品も素人ながら作ってまいりたいと思っています。 お茶一杯分ほどでもサポートをいただけたら心から嬉しいです!