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「ソイ・ランナム」(タイ・バンコク)

2000年代前半、一年ほどバンコクのソイ・ランナムという戦勝記念塔近くにある日本人現地採用者やタイ語学習者が多く住むエリアにアパートを借りていた。ランナムは大通りなので正式名称はタノン・ランナムのはず。でも、みんなソイ・ランナムと呼んでいた。今は再開発でホテルやオフィスや免税店が入る高層ビルが建ち並び、すっかり様変わりしているが、私が滞在していた頃は東北料理のレストランと小型バスの発着所以外は特に何もない、煤けた通りだった。

夕立ちが終わる時間になると、どこからともなくフルーツや焼き鳥の屋台が通りの決まった場所に現れ、日付が変わる頃まで営業していた。フルーツは一人前5バーツでプラスチックの袋に入れてくれる。パイナップルやメロンやマンゴーを同じ屋台のオヤジからよく買ってデザートに食べていた。

アパートからBTSの戦勝記念塔駅までは徒歩10分ほどかかり、暑い日(ほぼ毎日)はソイをトボトボ歩く気力がわかなかったので、バスやミニバスに乗って日系デパートやスーパーが入ったショッピングセンターや繁華街に出かけていた。バスの中でも一番ボロくて悪名も高かった緑色のミニバス(1バーツ50サタン)が安くて便利だったので、見かけると開きっぱなしのドアからよく飛び乗っていた。一度、夜中に飛び乗った戦勝記念塔行きの緑ミニバスの運転手は明らかにヤーバーか何かの薬物でラリっていて、何かわめきちらしながら猛スピードで大通りを駆け抜けた。遅い時間で走っている車も少なかったので、身の危険は感じなかったものの、今から考えると結構危ない体験だったかも...。そんなオンボロ緑ミニバスも10年ぐらい前に廃止になったと耳にした。

ランナムにいた頃は、今から考えると私にとってのモラトリアム期間だった気がする。お金はそんなになかったものの、時間は豊富にあり、移動の自由も普通にあった。気が向けば北タイやカンボジア、ラオスなど一週間程度の小旅行に頻繁に出かけていた。小旅行というよりアジア各地を彷徨いた、と言った方が正しいかも知れない。コロナ過で海外に気軽に行くことが出来ない今となっては、とても贅沢で自由な時間を過ごしていたのかも...

今は無きsotecの安いノートパソコンをアパートの電話回線につなぎ、コンビニで買ったプリペイドのインターネット接続でメールチェックして、翻訳案件を受注したのもランナムでのこと。キャリアとしての翻訳が本格的に始まったのもこの頃だった。

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