幸せなら、どうすれば幸せになれるかとか考えないんじゃないか?

俺はどうすれば幸せになれるかとかそういうことは、あまり考えないようにしている。
そういうことを考え始めると、かえって今の自分の幸せじゃなさが浮き彫りになって、気が沈むから。
俺は今の自分が幸せなら、どうすれば幸せになれるかとかあまり考えないと思う。

そういうのを仏教では、
幸せを求めても得られない→求不得苦(ぐふとっく)。
幸せを得られたと思っても、もっともっとという気持ちが湧いてきて満たされない→五蘊盛苦(ごうんじょうく)という。
これを何の本で読んだかは忘れたな。

俺はどうすれば幸せになれるかとかをあまり考えないようにすることで、幸せへの執着から距離を置くことができ、毎日穏やかに暮らせると思う。
心の持ち方を変えれば、今の生活で十分じゃないか…

しかしだ、俺は最近また、どうすれば幸せになれるかとかそんなことばかり心に浮かんでくる。それだけ今の生活がきついんだろうな。

俺はきついここから逃げ出したい。どこへ?幸せという場所に。
俺はきついここから逃げ出す。しかし、逃げ出した先もきついここならどうする?また逃げ出すのか?

それとも、きついここから逃げ出すというのは、後ろ向きな悪いことではなく、幸せになるための挑戦という良きことなのか?
それなら幸せになれるまで、ここがきつけりゃ移動し続けるべきなのか?その移動は逃げか?挑戦か?

グルグルグルグル…

俺は生きるのに疲れた。はぁ~。

こんなこと書いてどうすんだ?これを読んだ人はどう思うんだ?

でも書いて吐き出すと、心が少し楽になる気がする。

ここがきつけりゃ、あえてここに留まって、幸せになれるまでがんばる。それは良きことか悪いことか?
ここがきつけりゃさっさと移動した方がいい。それは幸せへの挑戦という良きことか?それとも逃げが逃げを呼んでさらに現状より悪くなるのか?

またグルグルグルグル…
キリがねぇ!





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