Y̆̈'sH̲̅O̲̅U̲̅S̲̅E̲̅:唯

解離性同一性障害/PTSD/パニック障害/双極性障害/不眠症/毒親/虐待サバイバー/A…

Y̆̈'sH̲̅O̲̅U̲̅S̲̅E̲̅:唯

解離性同一性障害/PTSD/パニック障害/双極性障害/不眠症/毒親/虐待サバイバー/ASD/AC/色んな疾患と共に生きている。 過去の体験を残すと共にそれを乗り越えて行くためのnote。 詳しいプロフィールはTwitterにて。

最近の記事

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毒親育ちビンゴまとめ

    • 「親ガチャ」「国ガチャ」

      1件のツイートから、沢山の人の目に触れたと思う。 私は、これについて考察をするとか、そういう事を書こうと思っている訳では無い。 ただ、各々、調べて、知って欲しい。 こんな言葉が生まれてしまった背景を。 この言い回し自体「不適切ではないか?」という声も上がっていた。 確かに、使いやすから本来の目的と逸脱したりする事もある。でも違う視点で見て見て欲しい。 「機能不全家族」と言われて、その意味をしっかり理解できるのは当事者だけなのでは無いかと思うんだ。 被虐児等もハッキリ言

      • 丁寧な私のころし方

        おはよう。 今日は「この身体を運用する主人格」としてではなく 「唯」という人格として、小噺を。 過去の記事で周囲の人間からの呪詛に捕らわれていると言った話をしていたと思う。 現状を言えば、過去のような手酷い呪詛を吐く人間はもう殆ど居ない。勿論、ゼロでは無い。 未だに心無い言葉を向けられ、私のみならず、他の人格でさえ苦渋を舐めた事があるだろうと思う。 では、何が私を未だに絞め続けているのか。 先程私は『呪詛』という言い回しをした事に気が付いていると思う。 その理由は、2つ

        • 私と視線恐怖

          私は多種の不安障害、恐怖症を抱えている。 その中でも『病名が増えるのが嫌だ』『どうにも治療出来ない』という理由で医師に把握して貰っているものの、特に病名として言っていないものがある。 そのひとつが、視線恐怖症だ。 これは何も思春期からでは無く、日本に来てからずっと。ずっと。今でもずっと。向けられている視線達のせいである。 『好奇の視線』『奇異の視線』『侮辱の視線』『性的な視線』 性的な視線に関してはこちらの記事を読んで貰えればわかるだろうと思う。 【ノンフィクション

          私を構成した呪いの言葉

          今を生きる度に私の首をキリキリと絞めている言葉がある。 ひとつ、虐められていると母に相談した中学二年生。 「お前、そんなに弱いの」 溜息ひとつ、目も向けられずいわれた言葉。 これ以降、私はこの女に、どんな苛烈ないじめを受けようと、中学三年の2006年1月28日、隣の席の男子に騙されレイプされようと、その後そいつの部活のOB集団に卒業間際まで輪姦されようと、高校で手酷い虐めや差別に会おうとも、言わなくなった。言う事が出来なくなった。強く在らねばならないと思った。 ふたつ

          私を構成した呪いの言葉

          【ノンフィクション短編小説】優等生

          私は優等生だ。 校則は遵守し、規律も乱さない。ルール違反には毅然として立ち向かう。大人には逆らわず、常に敬意を払い、彼等の言葉を疑いもしない。髪はお下げに結い、スカートは膝下。靴下はふくらはぎの真ん中で。第二ボタンは開けず、リボンタイはキチンと第1ボタンまで留める、そんな、優等生だ。   誰が見ても良い子であるように私は優等生であった。 身長が伸び、体がどんどん成長していく。優等生の私のシルエットは、明らかに『皆』と違っていって、制服の布ベストのボタンが頻繁に取れるよ

          【ノンフィクション短編小説】優等生

          選ばせるという事。

          春夏秋冬の記事から、過去に触れるような記事を書いていなかった気がする。 前回から時系列は飛ぶが、読んでくれると嬉しい。 あと長いよ。 今回綴りたいのは、「選ばされる事」について。 生きていれば、少なからず「好き」な食べ物や「嫌い」な食べ物が出来ると思う。 私の好物と言えば納豆だが、デザートで私の好きな物はなんだろう、と先程考えた時分からなくなった。 シュークリーム。パンケーキ。エクレア。プリン。 幾らでも浮かぶのにそれが"いつから"なのかが分からない。 そもそも、私

          コンビニの成人コーナー

          あんまり触れるとワーーッとなりそうだったけれど。 常日頃から思っている事。 最近、色々な2次元の女性表現が論争の的になっている。 それを揶揄してツイフェミとか、フェミなんて言われているせいで、本物のしっかりとしたフェミニストの方々が肩身の狭い思いをしていると思うのと同時に そういうツイートに反応して攻撃する男性は 「俺は不快じゃないから」という主張が多いように見える。 ここでタイトルに触れようと思う。 コンビニの成人コーナーだ。 ほんの子供から大人まで、誰もが

          コンビニの成人コーナー

          手を合わせて貰えない事。

          春休みが終わって、悲しい事に 人身事故が増えたように思う。 年代は比較的に若い。  春休みが終わった途端に、雨に打たれて散った桜のように。 身を投げる人が増えたそうだ。 私が3月まではよく使っていた路線が正にそのスポットにある。 私が住む周辺は踏切が一切なく、何個か前の記事で語った陸橋が数箇所あるくらいで、反対口に渡れるすべが少ない。 ホームドアも設置されていて、そういった事故は少ない様に思う。 https://ameblo.jp/n-water-0120/e

          手を合わせて貰えない事。

          私の中の芯

          私は、自分という人間を快く思っていなかった。 これも自己卑下と言われてしまうのかもしれないけれど。 「あの時、あんな言い方をするべきでは無かった」 「この言い回しは、洗脳的では無かったか」 「この言葉は、相手に厳しすぎたのか」 「この態度で、相手は辛く思ったのではないか」 「私はなんて、偽善的で、詭弁ばかりの人間なのか」 「八方美人で、最低な人間だ」 そんな事ばかりを考えて、自分を責め立てていたからだ。 もちろん、救えた人もいるのだろう。 同じくらい、傷付けた人もいる

          漠然とした死への渇望と考察

          いつからだろう。死ぬ事について、淡々と考えるようになったのは。 元来垢抜けた性格では無かった。どちらかと言えば、黙って耐え忍び、その場の空気を読んで愛想笑いをする様な…可愛げの無い人柄だったと思う。 何故こうなってしまったのかを、詳細事細かに説明するとなると骨が折れるので割愛するが、他人が思う最悪の状態の大凡は経験があると言える。 特に私を苦しめたのは、この忌々しい褐色の肌だ。 一目みただけで異国の者だとわかるこの色を好ましく思う事は、恐らく墓に入ったとしても有り得ないと

          漠然とした死への渇望と考察

          春夏秋冬とかいて、ひととせと読むらしい。

          タイトルは思いついた事を書いただけです。 難しいね、タイトル。 このノートを使って、私と、この身体の生きてきた足跡を残していこうと思う。 いつか、こんな事あったね、と笑って読める日が来ますように。 その為なら私は何度でも春夏秋冬を巡っても良い。 今日は生まれについて話そうか。この話になると、今執筆している「唯」ではなく、この身体の事になる。 この表現で怪訝な表情をした方もいるだろうから、簡潔に説明をしようと思う。 この身体の脳は解離性障害の中でも同一性が無いとされる、

          春夏秋冬とかいて、ひととせと読むらしい。