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マラケシュで僕の身に起きた小さな奇跡の話

モロッコという名前はマグリブというアラビア語が由来になっており、それは日の没する処と日本語で訳される。名前の通りモロッコの夕陽は格段美しいのだ。

カサブランカから長距離列車に揺られて降り立ったマラケシュという街は、街中の建物がほんのりとピンクがかった褐色の赤土で彩られ、夕暮れ時に街にはオレンジいろの夕陽が優しく街を照らす。

街の中心に位置するフナ広場は陽が沈む頃にテントが組み立てられ、夜市が開催される。100を超える飲食店が仮設テントで軒を連ねる。僕は毎晩そこで食事をとった。現地のモロッコ人も僕のような旅人も同じマラケシュの空気を吸って食事を頬張るのだ。また広場の周りでは怪しげなランプが売られていたり、大道芸人が動物を操ったりして観客を魅了していた。毎晩開催されるような賑やかな光景に僕の口角は上がるばかりだった。ちょっと落ち着いて贅沢がしたい時はフナ広場を一望できる高い建物の中にあるバーに入ってシーシャを吸う。それもまたアラビアンナイトさながらのエキゾチックな夜景を見ながら吸うシーシャがいつもよりも美味しく感じるのは気のせいだろうか。

フナ広場から少し離れた場所に位置する宿は、中庭を備え、モロッコ式幾何学模様の壁が室内を活気づけていた。可愛らしいモロッコ絨毯が室内の色鮮やかさをより引き立てていた。この様式の住居はリヤドと呼ばれ、旅人がモロッコを訪れる目的の一つでもある。何よりも驚いたのが、このリヤドのオーナーが偶然にも日本人女性だったことである。正確には管理を任されている立場でオーナーではないと彼女は謙遜してみせたが、数年前に初めての海外旅行で訪れたマラケシュを気に入り、そのまま住み始めたと彼女は照れ臭そうに説明をしてくれた。マラケシュに1日滞在しただけで彼女の衝動が手にとるように理解できた。それほど魅力が詰まった街なのだ、マラケシュは。このリヤドには屋上も備わっていて、天気の良い日の夜にはモロッコビール瓶を片手に手巻きのアメリカンスピリッツで一服する。ふぅっと空に吐いた煙は、乾燥して美しい星を映し出す夜空へと消え去っていく。

朝は毎日4時か5時頃に目を覚ました。と言うよりは覚さざるを得なかった。僕が泊まっていたリヤドのすぐ近くには大きなモスクがあり、日の出前の礼拝の時間になるとそのモスクから礼拝の合図となるアザーンが辺り一帯を響き渡るのだ。成り終わってから二度寝を試みるのだが、ムスリム達はこんな時間から神に祈っているのにも関わらず、ベットで寝転がっている自分を比較するとバツが悪かった。別に何も悪いことはしていないのに。

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朝8時頃になるとお腹が空いて、リヤドの前の通りにある小さな商店でパンとオリーブの実を50円くらいで買う。パンとオリーブの実との相性の良さはカサブランカでKhalidが教えてくれなかったら気がつかなかったに違いない。生き抜く力というのはこうして磨かれていくのだと思った。

そんなマラケシュで僕は小さな奇跡に遭遇した。

ある日の昼間、フナ広場の周りに無数とある雑貨屋を巡っていた。絨毯、陶器からスパイスまで何でもが売られており、その彩を眺めるだけでも心が躍った。しばらく散策していると、ある写真売りの前で足が止まった。そこの写真店には女性の眼差しを被写体とした写真を中心に器用に路上で展示されていた。写真に写る女性のほとんどがヒジャブをまとっていた。そのヒジャブの間から注がれる眼差しにはどれも強い意思を感じとることができ、その一枚一枚のストーリーを是非知りたいと思った。彼女らはどのような思いでカメラレンズを見つめていたのだろうか。

写真のその美しさに立ち尽くしていると、テントの下で涼んでいた店主が僕に向かって手招きをした。僕が近づくと、60歳くらいの彼はにっこりと笑ってみせた。前歯が無いのがチャーミングだった。

「ジャパニーズか?」

「そうだよ。」

「そうか、もんたよしのりは知っているか?」

前歯の無いおっちゃんから出た日本人の名前を僕は知らないはずがなかった。なぜならこの頃僕は旅の移動中は彼の曲ばかりを聴いていたのだから。もんたよしのりは「もんた&ブラザーズ」として「ダンシング・オールナイト」という曲を世に送り出した。これが大ヒットで1980年の日本レコード大賞では金賞を受賞している。その後も彼はチャリティーコンサートを多く主催し、売上を寄付するなど精力的な活動を行った。人間としても尊敬する彼もまた若い頃はたくさん旅をして世界と触れてきた。熱帯マラリアを患って死を彷徨ったエピソードも持つ。旅人としての経験から奏でられる彼の曲は全て僕を良い意味で感傷的にした。もんたよしのりの曲は旅の移動にぴったりなのだ。

「知っているさ!毎日彼の曲を聞いてるんだ!」

僕は前のめりになりながら前歯の無いおっちゃんに詰め寄ると、彼はその昔もんたよしのりがモロッコに訪れた時に彼を家に泊めていたと懐かしそうに教えてくれた。当時もよくギターを弾いていたらしい。こんな奇跡のような話があるのかと一旦は冷静になったが、彼が嘘をついているとは思わなかった。他のモロッコ人は皆平気で「小島よしおと友達だ」とか、「倖田來未の知り合いだ」とかを客引き文句で使う。そこでもんたよしのりの名前を出したとて一体どれだけの日本人が反応するだろうか。何よりも彼が売る写真が彼の人間性を映し出していた。それだけで彼を信用する理由になったのだ。

「そうか、もんたよしのりと友達なら彼によろしく伝えといてくれ。」

彼は嬉しそうに、そして優しく僕に言った。

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普段の社会システムの中で生活していると、日本国内ですら果てしなく広いって思ってしまう。皮肉にも旅をすると世界が案外小さいことに気が付く。異国情緒の中で起きた奇跡のような小さな出来事を僕は一生忘れないだろう。It's a small worldを証明してくれたのだから。

どうせ一度の人生だからやるだけの事はやらなきゃ損さ
悩んでいても迷い続けても今日という日ニ度と戻らないせ
不安はあるし悩みもあるけど愚痴をこぼしながら年老いたくない
何もかもみなゆるしてくれるあの空のように生きてみたいんだ
(イエス・イエス・イエス/もんたよしのり 歌詞より抜粋)

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