_ポルトガル篇_

第六回:サハラ砂漠を越えて「ギニア到達」[大望の航路・ポルトガル篇]

幼年の新国王アフォンソ6世の御代となり、ポルトガル王国は王太后レオノール派と前王弟ペドロのダブル摂政体制となるも、両派閥の対立が激化して国が揺れ始めます。

タンジェ大敗の責任を取って中立を保つエンリケは、次々に帆船開発、新規航路開拓へと投資をしていき、ポルトガルの経済の未来を模索し続けていきます。

そしてエンリケの航海チームがたどり着いた先には、ヨーロッパの流通システムを一変させる、宝の山が待ち構えていたのです…!

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ポルトガルを世界帝国へと押し上げ大航海時代を切り開いたきっかけを作ったエンリケ航海王子の生き様を描く「大望の航路・ポルトガル篇」(全8回)、第6回をどうぞ!

▼歴史発想源「大望の航路・ポルトガル篇」〜エンリケ航海王子の章〜

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【第六回】サハラ砂漠を越えて「ギニア到達」

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■兄が政治に、弟が貿易に集中できる体制

1438年に国王ドゥアルテが急死したことで、6歳の幼きアフォンソ5世が国王に即位することになったポルトガル王国は、二つの派閥に分かれて混乱します。

国王ドゥアルテの弟で補佐官だった第二王子ペドロ、国王ドゥアルテの妻であったレオノールの派閥。

2人が幼き王を支える「ダブル摂政」の制度になったものの、そのような両頭政治がうまくいくはずがなく、貴族も各都市の民衆もこの両派に分かれて対立。

ペドロもレオノールも、ポルトガル経済を大きく支え、現在はタンジェ攻略失敗の責任を取って中立を保っている先王ドゥアルテの弟、第三王子エンリケを頼ります。


ペドロ派からもレオノール派からも誘われていたエンリケは、中立を保つといっても、隠れて姿を見せないわけではなく、全てをオープンにしていました。

例えば、レオノール派から「ペドロ派は策謀によってあなたを捕まえようとしている」という手紙が送られると、その手紙をペドロに対して見せる、といった具合です。

その上で、エンリケ王子は、

「自分からこちらのほうが正しいと断言することはない。ポルトガルの政治はコルテス(議会)によって成り立っているのだから、コルテスの決定が全てだ」

という考えを表明するのです。

貴族の中での声の大きさや、民衆たちの世論の流れよりも、まずコルテスで決まることが最優先されるべきだ、というその第一義を明確にしたのです。

「そりゃそうだ」といったん冷静になったポルトガル国内は、都市代表の集まるコルテスの決定に注目します。

結局そのコルテスでは、レオノールの摂政就任は先王ドゥアルテの個人的な遺言にしか根拠がないため、先王時代にコルテスによって補佐官に任命が決まったペドロこそがそのまま摂政に就任するべきだ、ということが決議されます。

1439年、このペドロの単独での摂政就任が決まると、王妃レオノールを支持していた貴族たちは続々と彼女から離脱、最大の支持者であったバルセロス伯爵アフォンソ公までもがレオノールを見捨ててペドロに恭順の意を見せました。

後ろ盾を失い追い落とされたレオノールは、翌年1440年、隣国カスティーリャ王国に亡命し、1445年、ポルトガルの地を踏むことなく病死しました。


こうして、国王の死後に揺れたポルトガルの国政がペドロの摂政就任によって落ち着きを見せると、エンリケは再び、西アフリカへの探検を強化します。

ペドロはこれまで通りエンリケの投資能力を見込んで、新発見の地の開拓の権利や市場の開催の権利、またマデイラ諸島での貿易の利益に対する免税など、さまざまな経済的特権をエンリケに与えていきます。

エンリケはそれを元手に、どんどん新規航路を開拓し、これまでヨーロッパ人が誰も到達しなかった西アフリカの地を南へ南へと開拓していったのです。


この新規航路開拓のために、エンリケが特に力を入れていたのが、帆船の開発です。

それまでは、バルカ船やバリネル船などと言われる、マストが1本の漕ぎ船である商船が主流でした。

しかし、それまで「世界の南の果て」と言われていたボシャドール岬を越えるあたりで渦巻く激しい海流に耐え得るには、さらに頑丈な船が必要になってきます。

そこで当時の最先端の航海術を駆使して、キャラベル船というものが発明されます。

2本のマスト、やがては3本のマストを持ち、その組み合わせによって、逆風でも前進できるなど操舵性がさらに高まった船で、さらには船体も従来より大きく安定していて積荷も乗せやすく、その後の大航海時代には主流になっていく船です。

エンリケはこのような最先端の帆船を「王子の村」でがんがん開発させ、激しい海流でも乗り越え、少しでも遠くへと進み、どんどん新開拓のスピードを上げていったのです。

これらの新開拓地の情報、そして新開発の帆船の技術は、エンリケが個人で保有するのではなく、…

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