_ポルトガル篇_

第八回:夢は世界が受け継ぐ「大航海時代」 [大望の航路・ポルトガル篇]

ポルトガル王国の経済顧問・エンリケ航海王子、ついに生涯最後の戦いへ…! 20年という時間はポルトガルに大きな進化をもたらし、エンリケはその進化を抜群のタイミングで投入します。

そして、エンリケ航海王子の死後もポルトガルはさらに航路の拡大を続け、喜望峰を越え、インドとつながり、中国へ着き、そしてついに極東の黄金の国・日本へ…!

エンリケ航海王子の遺志を受け継いだポルトガル、そしてヨーロッパの人々によって、大航海時代を迎えた東西の世界はつながっていくのです。

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ポルトガルを世界帝国へと押し上げ大航海時代のきっかけを作ったエンリケ航海王子の生き様を描く「大望の航路・ポルトガル篇」(全8回)、最終回をどうぞ!

▼歴史発想源「大望の航路・ポルトガル篇」〜エンリケ航海王子の章〜

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【第八回】夢は世界が受け継ぐ「大航海時代」

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■エンリケ最後の挑戦、「アルカセル・セゲールの戦い」

1453年、オスマン帝国の侵攻によって、キリスト教の重要な聖地である東ローマ帝国のコンスタンティノープルが陥落。

イスラム教国家からキリスト教の聖地を奪還するためローマ教皇カリストゥス3世が呼びかけた十字軍結成に、ほとんどのヨーロッパ諸国が無視を決め込む中、真っ先に呼応したポルトガルの若き国王アフォンソ5世。

ローマ教皇カリストゥス3世はその見返りに、今後のアフリカ大陸の新発見地の統治を認めるという強力な勅書「インケル・ケテル」をポルトガルに出してあげたものの、直後に不運にも急死してしまいました。

ポルトガルは大きな権利を引き出すことはできましたが、教皇の急死で十字軍遠征そのものが中止になったので、国王が本気でかき集めた十字軍のための軍備が、そのままそっくり使い道を失ってしまいます。

国内の王侯貴族たちのほとんどが

「予定通りうちらだけで十字軍遠征を行なって、ヨーロッパ諸国にポルトガルはすごいことを見せつけてカッコつけようぜ!」

と、国家の見栄のための十字軍決行を主張しました。

国王アフォンソ5世は、最終的にその意見を、叔父のエンリケ航海王子に求めました。


そして、そのエンリケ航海王子の意見は、王侯貴族たちの意見とは全く異なっていて、

「その軍勢と戦費を使って、北アフリカを征服する」

というものでした。


この答えには、国王アフォンソ5世も驚きます。

約20年前の1437年、エンリケが主導して行なった北アフリカのタンジェへの遠征は大失敗に終わり、人質となった弟のフェルナンド聖王子は敵地で死に、エンリケは国政を退いて貿易に集中するようになりました。

だから、エンリケは失敗してしまった北アフリカ進出を諦め、西アフリカ周りの航路開拓に全力を注ぐしかなかった、と誰もが思っていました。

しかしエンリケは、20年前と同じ希望を諦めずに持ち続けていたのです。

それは、自分自身の過去の失敗の無念を晴らすためでも、囚われて死んだ聖王子フェルナンドの弔いでもありません。

ただ単純に、

「ポルトガルが今後世界へと発展していくためにはそれが一番効率的で効果的な選択肢だから」

という理由でした。


20年前のタンジェ遠征は、そもそも当時のポルトガルも不景気で、お金も軍勢も集まらず、反対派も多くて士気も上がらず、完全に準備不足だったことが失敗の原因でした。

それに比べて、今のポルトガルは、エンリケの積極的な航路開拓によって民間の経済が次第に潤ってきているし、また十字軍の遠征準備という思わぬチャンスによってきちんと軍備も軍資金も揃っているわけです。

どうせこれをどこかで活用しなければならないのであれば、アフリカ側の地中海沿岸にもう一つ中継拠点を持ち、ジブラルタル海域の航路を完全に押さえるほうが、今後の海外拡大政策の基盤にもなる一番有用な投資である、とエンリケ航海王子は主張したのです。


国王アフォンソ5世は、この主張には全く矛盾点がなく、これからのポルトガルの発展のきっかけになる重大な選択であることを予感し、決意を固めます。

20年前に攻略に失敗したタンジェを再び攻めるのは、「あんな前例は二度とごめんだ」と敬遠して反対する人も多いだろうからと、遠征先には別の場所が選ばれました。

それはセウタとタンジェのちょうど中間にある、ジブラルタル海峡沿いの砦、アルカセル・セゲールです。

ちょうどここには、海峡を荒らす海賊の本拠地があって、たびたびポルトガルの貿易船も攻撃を受けていたので、海賊どもを一掃することもできて一石二鳥です。


国王アフォンソ5世は、叔父エンリケ航海王子の進言に従って、アルカセル・セゲールへの遠征を宣言します。

そして1458年9月、国王アフォンソ5世が率いる約100隻の大船団が、リスボン近郊の港町セトゥーバルから出撃。

翌月にはサグレスで準備を整えていたエンリケ航海王子の船団も合流。

10月21日、約25,000人のポルトガル軍は、イスラム勢力の守るアルカセル・セゲールへと攻撃を開始しました。


かつてタンジェの攻略は不運にも失敗してしまいましたが、今回のアルカセル・セゲール攻略については、エンリケ航海王子は大きな自信を持っていました。

その自信の根拠は、20年の時の流れが生み出していました。

エンリケが、タンジェ攻略に失敗して宮廷を去り、最新航海術の開発拠点としていた「王子の村」で密かにコツコツと開発していたものがあったのです。

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