_ポルトガル篇_

第五回:ジブラルタルの攻防「タンジェ攻略戦」[大望の航路・ポルトガル篇]

低迷する経済からの脱却のため、ポルトガルに25年ぶりに北アフリカ遠征の待望論が持ち上がる…!

これに困った新国王ドゥアルテ1世は、摂政である叔父たちにその意見を聞くのですが、ヨーロッパ諸国を周遊し国際情勢に詳しいペドロの意見は? そして卓越した投資センスを発揮し続けるエンリケの意見は?

そして、この久々の北アフリカ遠征が、その後のポルトガル国政に大きな渦を巻き起こすことになります…!

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ポルトガルを世界帝国へと押し上げ大航海時代を切り開いたきっかけを作ったエンリケ航海王子の生き様を描く「大望の航路・ポルトガル篇」(全8回)、第5回をどうぞ!

▼歴史発想源「大望の航路・ポルトガル篇」〜エンリケ航海王子の章〜

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【第五回】ジブラルタルの攻防「タンジェ攻略戦」

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■ジブラルタル海峡を東西から押さえろ

1433年、前王ジョアン1世の死により、第一王子ドゥアルテがポルトガル王国の新国王となり、ポルトガルに新たな時代が到来しました。

前王から類稀なる投資能力を見込まれて、様々な経済的特権を認められていた第三王子エンリケは、ポルトガルの新たなる貿易航路を切り開くために、アフリカ大陸西岸の探検を推し進めていきます。


そして、その大きな第一歩が実を結びます。

翌年1434年、エンリケ王子の配下であるジル・エアネスの指揮する船が、当時ヨーロッパの人々に「この世の南の果て」と思われていた、ボジャドール岬を通過したのです。

現在の西サハラにあるボジャドール岬のあたりは複雑な潮流によりここを超えた船が歴史上になく、ボジャドール岬の先の航海は不可能だと思われていましたが、ジル・エアネスの船はなんとかその岬を通過。

強い複雑な海流に阻まれて遠くまでは進むことはできませんでしたが、少なくともボジャドール岬の先の海は、灼熱の地獄でも大きな滝でもなくずっと変わらぬ海が続いており、帆船の技術をさらに向上させ航海術をもっと工夫すれば、さらに南へ進める可能性があることを発見したのです。

これまでこの世の果ての伝説を盲信していたポルトガルの航海士たちは、この結果を知って大きな自信を持つことになりました。


その翌年1435年、エンリケ王子はジル・エアネスに加えてもう一人の配下アフォンソ・バルダイアに命じて、さらに最先端の帆船を建造して南へと向かわせます。

そして彼らは見事にそのボジャドール岬の南の複雑な海流を切り抜けて、ボジャドール岬から200kmも先に進み、アフリカ大陸の沿岸部に船をつけることができました。

サハラ砂漠に続く赤い地質から、彼らはその地を「アングラ・ドス・ルイヴォス」(赤い入江)と名付けます。

そしてその翌年の1436年、アフォンソ・バルダイアはそれよりもさらに南へと船を進めることができ、そこを「リオ・ドーロ」(金箔の川)と名付けました。

これらの岸辺の発見により、ボジャドール岬周辺が地の果てではなく、まだまだアフリカ大陸が南方にずっと続いており、きっとこのまま南へと進めば、サハラ砂漠を迂回できるルートがあるに違いない、という確信へと至ったのでした。


さてちょうどその頃、ポルトガル王国の国政に大きく影響を及ぼす議論が沸き起こります。

事の発端は、新国王ドゥアルテや、第二王子ペドロ、第三王子エンリケらの末弟にあたる、第六王子のフェルナンドからの提言でした。

第六王子フェルナンドは、父である前王ジョアン1世も就任していた地位であるアヴィス騎士団長の座に就いている王子で、彼もなかなか優秀な人物でした。

このフェルナンド王子が、

「これからのポルトガルの経済を磐石にするためには、タンジェへ遠征して支配するべきだ!」

と主張をし始めたのです。

タンジェとは、現在のモロッコの北方にある都市で、ジブラルタル海峡のアフリカ側の西の入口にあたります。

すでにジブラルタル海峡の東の入口にあるセウタは攻略してエンリケ王子が防衛責任者となっていますが、海峡の西側の入口であるタンジェも押さえて、ジブラルタル海峡を完全に把握してしまおうという戦略です。


この主張の背景には、隣国カスティーリャ王国の動きがありました。

カスティーリャ王国は規模的にポルトガルよりもはるかに大国ですが、ポルトガルに「アルジュバロータの戦い」で大敗した後、王族同士の内紛など国内の諸問題に忙殺されていました。

ところが、その国内問題が次第に落ち着いてきたので、ポルトガルのように海外進出を積極化してきており、ポルトガルのカナリア諸島領有問題を非難するなど、ポルトガルの経済発展の前に立ちはだかり始めたのです。

そんなカスティーリャ王国が北アフリカへの制圧に乗り出し、手始めにモロッコの北端のタンジェを支配してしまうと、ポルトガルが支配しているセウタは完全に孤立してしまい、さらにはアフリカへの領土拡大の可能性も失います。

今なら、ポルトガル海軍とセウタの防衛軍とでタンジェへの挟撃が可能ですから、タンジェを征服してジブラルタル海峡を完全に押さえてしまうことで、カスティーリャ王国の勢力膨張を阻止しよう、とフェルナンド王子は考えたのでした。


セウタを攻略した際にポルトガルの経済は活気付いたので、今度のタンジェ攻略も「きっと、さらに経済が活発化するぞ!」と大賛成をする貴族や領主たちが続々と出てきました。

末弟フェルナンドからの大胆な提言に、新国王ドゥアルテは困り果ててしまいます。

確かにセウタ攻略の成功は経済の刺激となったのですが、あの時は相手の油断によって1日で勝負は決したものの、準備期間や渡海時にはかなり大きな負担や損失もありました。

弟のエンリケが故郷ポルトで大きな支持を得たことでポルトガル全体がようやく遠征支持に動き始めたものの、エンリケのその初動がなければ、セウタ遠征は恐らく国内の支持をまとめるのは非常に困難だったでしょう。

さらには近年のポルトガルは、王太子アフォンソの誕生や前王ジョアン1世の葬儀、新国王就任式など、たった数年の間で多くの祭典が集中したために莫大な出費が発生して国家財政はかなり苦しくなっており、遠征の費用はかなり重い負担となります。

そのようなことを危惧する慎重派と、そんな危惧は成功すれば全て取り戻せるという積極派、国内の貴族や領主たちの意見も真っ二つに分かれたのです。


ドゥアルテがまず意見を聞いたのは、長年諸外国を旅して回って他国の情勢にとても詳しい補佐役である弟、第二王子のペドロでした。

ペドロはたくさんの国の情勢を見てきたので、一国が他国に侵略するとどれだけのコストがかかり、またどれだけのリスクがあるかをよく知っています。

心情的なことや感情的なことは一切無視しして、ペドロは完全にリアリストとしてその計画を吟味し、…

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