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知らないということはそれだけで罪だわ

世の中、知らないことだらけです。でも知らないから幸せということがあるんですが、むしろ、知らないということがそれだけで罪だと言われたらどうでしょうか?


例えばわたしはテレビは持ってないので見ていません。テレビを見なくなってさぞかし不自由しているだろうと思われるかもしれませんが、すこぶる順調です。


まぁ、今テレビつけても、言葉がわかんないんで、見ても意味ないんですw


世の中の情報は主にネットから仕入れるのがほとんどになりましたけど、それでも、不自由はしていません。テレビなし生活も4年くらいになると思いますが、もうテレビなくてもなんとも思わなくなりました。

むしろ、最近思うのは「テレビだけ見て情報を仕入れるのは、判断を誤る」ということです。


ネット界隈で情報仕入れいてるだけで、既存のメディアの偏向報道には「ちょっと、それいいのかよ?」って思うことが多々あります。


ただテレビを垂れ流して、ぼーっとみているだけだと、その情報で頭の中にインプットされてしまったら、その情報を信じていたかもしれません。それが「間違っている」なんて考えもしない。


ある意味、「テレビで流れていることは、絶対!」と思い込んでいる節がありましたけど、自発的にいろいろ調べてみると、どうもそうではない。真実はネットを調べると出てくることもあります(もちろん、ネットの情報が全て真実、というわけではありませんけどね)。


テレビの情報が絶対ではないんだということを肝に銘じて、見るのであれば、テレビを見るのもいいかもしれません。


でも繰り返し、繰り返し、あーだこーだ言われると、やっぱり「そうなのかな?」って信じてしまうのは人間の性です。


嘘も百回言えば真実となる」とか「曾参殺人」とかいう言葉もありますが、そういうのは嫌です。できれば真実を知った上で判断したい。


でも、テレビを見ていると、どうもそういうのを地でいく感じで、不要な煽りとか、間違った解釈とかが発信されることも少なくないとか。


そういう事実があるとなれば、やはりテレビを手放して、見なくなった方がよかったかな?って思います。


流行に遅れる、そんなことはどうでもいいです。

流行に遅れるよりも、間違った解釈・判断をしてしまうことの方を、わたしは恐れます。そして、自分の頭で考えなくなってしまうことも。


情報を自分で取りに行く。最初はそれ本当?と疑ってかかる。


そして、「知らないでは済まされない」ということを覚えておく。よく、「知らないことは、幸せだ」なんていう言い方がありますけど、それはその時はいいかもしれませんけど、結局「知らない」ことで、不利益を被るのは、未来の自分です。


知っていれば、対処、対応策を考えることもできたけど、何も知らないなら、対応は出来ませんよね。


情報が正しいか、正しくないかを見極めるのも大事。

情報を取りに行くのも大事。


これをやらないと、判断を誤りますよね。何もテレビの情報だけじゃない。例えば仕事でも、正しい情報をえないと、判断できない。情報を得るために、自分から取りに行かないと、情報は入ってこない。


これ、仕事だけじゃないですよね。


ぼーっと過ごしてたら、判断を間違う。テレビを垂れ流して見ているだけでは、情報取得ができない。そのテレビの情報が間違っていたら、正しい情報は得られない。


困った世の中になりましたよね。


まぁ、もうそういう世の中なのだからと割り切って、「何が正しいのか?」を念頭に置いて、正しい情報を積極的に仕入れていこうと思います。


むしろ「知らないということは、それだけで罪だわ」とならないように日々過ごしていきたいと思います。


それでは、また。


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