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企画メシ2022を今日終えて。次の私に渡すバトンを今、自分の前に出した瞬間

今日の私が受け取ったバトンは、いつの私からもらったバトンだったのだろう。


社会人になって3年目。今日にまでいろんなことがありすぎた。

それまでなかなかにうまく生きてきたはずだったのに、社会人になった途端、うまくいかなくなった。

自問自答の日々が続いて、どんどん落ち込む時間が長くなった。気づけば真っ暗なトンネルの中に迷い込んで、ぐるぐるぐるぐる自分がいる位置を見失った。

最終的には自分一人じゃどうにもならなくて実家に戻り、暖かい布団と美味しいご飯を用意してもらった。自分の管理すらうまくできない時期があった。


だけど、そんな私が今、ここにいる。

後ろを振り返ると道は凸凹していたかもしれない。でもその道の先の分岐点には、「企画メシ」が待っていた。企画生が待っていた。


今日12月11日、6月からスタートした企画メシが最終講義を迎えた。

この日書いたnoteは、「今書くべきだ」と思った興奮と衝動をそのままnoteにした。だから今も、「今書くべきだ」と思った興奮と衝動のまま、残しておこうと思う。


コピーライター、阿部広太郎さんが主催する「企画で飯を食っていく」という連続講座。オンラインの講座で、毎月「○○の企画」と称して課題がある。

企画メシ2022では全6回、以下の課題と向き合ってきた。

「自分の広告」を考えてください。
第1回目の課題「広告の企画」
新しいドッキリを考えましょう
第2回目の課題「放送の企画」
自分のことで、もしくは身の回り(社会、世界を含め)のことで、なんとかしたいと思うことはありますか?

「なんとかしたい」を起点に、それをどう変えていけるか企画を考え、企画書にまとめてみましょう。
第3回目の課題「なんとかしたいの企画」
今の自分が、誰と出会い、どうやってここまで来たのか?
その大事な人物を、自分を中心とした『自分相関図』にまとめてください。

その上で「自分にとって忘れたくないこと」をメッセージにしてまとめてください。
第4回目の課題「音楽の企画」
チームで企画をしてください。
第5回目の課題「チームの企画」
「障害者」という言葉に代わる、次の表記や呼称を考えてください。

そして、それを実現していくための企画やアクションも考えてください。
第6回目の課題「文化の企画」

「企画メシ」で出す答えは、斬新なアイデアでも、画期的なアイデアでもない。「企画」だ。

それは時に泥臭く、自分の中を探しに行かなければならなかった。時には自分の周りにある社会を言語化する必要があった。そして時には、自分以外の誰かのことを思いながら、企画にしなければならなかった。

そしてその作業はときどき、痛みも伴っていた。

「一般的に正解だと思われる答え」が邪魔をしてがんじがらめになったし、言いたいことが掴まえられなくて、もどかしいときもあった。見ないフリをしていた想いに向き合い、申し訳なさに潰されそうになったこともあった。

今思えば、自分が何を「企画」するかを自分が一番厳しい目で見ていたような気がする。

うんうんと唸った夜があって、「何がいいの……」と頭を抱えた日々があった。半年間、ずっとそんな感じだった。

でも、だからこそ出せた答えが何個もあった。

「自分はそんなことを考えていたのか」に気づかされて、「こんなふうに答えを出したかったんだ」と自分に思わされた。


そして最終日の今日。最後に出された課題は「自分の企画」だった。

あなたはどんな企画をする人になりますか。
第7回目の課題「自分の企画」

ずるい。そんなのずるい。最後の最後で、「自分の企画」を出すなんてそんな。

それこそ、ぽっと出のアイデアなんか答えにならない。したくない。

1週間悩んで悩んで出した答えは、不思議とすっぽり私の中に落ちてきていた。

無意識のうちに空いていたピースがぴたりとはまって「やっぱり自分はこうありたいんだな」と思わされた。

そしてそれは、この半年間の中で見つけた私と、これまで生きてきた私が交わった瞬間のようでもあった。

うまく生きてきたこれまでの私と、凸凹道を生き抜いてきたこれまでの私から「それでいいよ」と言われたような気がした。


そうして出した答えを今日、みなとみらいのBUKATSUDOに集合した企画生の前で発表させてもらった。

私だけじゃなくて、他の企画生の発表もあったあの時間は、強く、柔らかな意思にあふれた時間だった。

「こうありたい」と言葉にする。それを、声にする。聞きとめる。受けとめる。

阿部さんはそれを「約束エネルギー」と言っていて、この空間の中に自分がいられることに両手を合わせて「ありがとう」と言いたくなった。


私が出した答えもそうだけど、「親の心子知らず」とはうまい諺だなと思った。

この世は、年齢を重ねたり同じ立場になってようやく気づくことが多すぎる。

多くの先人たちが気づいて、「これは大切だよ!」と鼻息荒く言葉をかけてくれるけれど、その立場じゃない私たちは「はあ……そうですか」と言葉が空を滑っていく。

人は、経験したことない知恵の言葉に鈍感だ。

ちゃんと自分で失敗して、経験して、自分で見つけないと実感できない。多くの先人たちがとっくに言っている普遍的な言葉だとしても、自分で見つけたことでようやく染み渡る。じわじわと体に流れていく。

大切なのは、「ほんとうにそうだ」「そういうことだったのか」と自分が気づくことなのかもしれない。

経験したことで、自分の心に芽が出てくるんだなあと企画生の言葉を受け取らせてもらった。

どの決意も、発表も、未来への約束も、ぴかぴかと光っていた。あの空間と時間は、未来への愛がこぼれていた。


今日の私がもらったバトンはきっと、これまでのすべての私が運んできてくれたんだと思う。

落ち込んで、立ち上がって、靴紐を結んで、手を後ろに出して、ようやくバトンを受け取った。そうして走り出した私は今、そのバトンを次の私の前に出している。

運ばれるバトンは、私を生かしてくれた人、関わってくれた人、もらった言葉、もらった想いで編まれた、私だけのバトンだ。



最後にもうふたつ。

これを見てる誰かにも、そして未来の私に対しても残しておきたいことをここに。


ひとつ目。正解のない問いに、ひとつじゃない正解の答えを知りに行こう。

受験勉強や、学校の期末試験。これまでの問いはテストとして、そこには確かな答えがあった。「1+1」は、2だったし、「1192年に鎌倉幕府を作った人物」は、源頼朝だった。「主人公の気持ち」は、選択制で選ぶか、文章の中に紛れ込んでいた。

ところが、社会人になって出される問いには答えがない。答えがないかわりに、すべてが答えになる。「あなたがドッキリを企画したら?」も、「“障がい者”に代わる言葉を作るなら」も、果てしない問いで、答えには人が色濃く出る。

これまで触れてきたもの、取り入れてきたもの、考えてきたことで、答えを出していく。それってなんだった? と自分に問いかけて、私はどう思った? どうありたい? を、自分の中に探しに行く。

同じ問いに対して、みんながそんなふうに自分の中を探して、言葉にして、答えを出していく。

だから面白い。私じゃない人が出した答えは、ほんとうに面白い。

どうしてこうしたんだろう? を考えて、咀嚼すると、新しい私の答えが出せるようになる。同じ問いから出る違う答えを知りに行こう。


ふたつ目。社会に出ると、学びたい大人も多いし、学んでる大人も多い。

これは、ほんとうにびっくりした。企画メシに限らず他の講座や勉強の場、コミュニティにいても、自分より年齢が上の人が、私と同じ場所にいる。同じ年齢でくくられた学生時代にはない、学ぶ大人の姿。

教えられるだけじゃない。私が教えることもあって、「すごいよ」と声をかけられる。そういう姿は言わずもがな、ばっちばちにかっこいい。

それにね、そういう場所に赴いている大人はすっごくチャーミングでめっちゃめちゃ面白いんだよ。面白い話も、面白い核も、みーんなが持ってる。

社会人って下手したら会社とか、自分がいるコミュニティにいる大人だけしか先輩にならないことが多いと思うんだけど、そこから一歩足を延ばしてみると、もっと面白い先輩が、人が、たくさんいる。

同じように向き合って、苦しんで、悩んで、それでも一緒に前を向く。ぐっと足を踏み込んで、「さあ、行こう」と声をかけてくれる。私の隣でリアルにその姿を見せてくれる、かっちょいい大人がたくさんいるんだよ。

このふたつ、覚えておいてね。


では改めて、企画メシ2022ありがとうございました。

これまで全然違う道を進んで、企画メシという分岐点で集合した私たち。

これから、それぞれがまた違う道に進んでいく。みなさん、行ってらっしゃい、行ってきます。また、いつか道が交わる日まで。もし、私にできることがあれば、お声がけくださいませ。

半年間、お疲れ様でした!

”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。