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【リレー短編】一つずつ捨てては、一つずつ拾っていくこと

「ミチといると楽しいけど、落ち着かないんだよ……なんていうか、ミチは一人でも生きていけるだろ」
目の前で彼は私にそう言った。
まるでピーマンを初めて食べて、それから嫌いになってしまった子どものような顔をして、そう言った。それだけ言って、私の部屋を出ていった。


はあ? 楽しいけど、落ち着かない?
その2つは相反する要素なんだから、当たり前だろ。

心強くそう思って、無理やり毒づいた。


だけど、それから数秒後に、楽しいだけじゃだめなの? 落ち着かないって何? 私たち無理に話さなくても、ただしんとした時間を一緒に楽しむこともできていたじゃない? なんで?

心の中の小さな私が駄々をこねた。

そのすべてはもう彼には届かない。


「ミチは強すぎる」「一人で生きていけそう」その2つは、今までの人生で私に浴びせられた常套句だった。

間違いを間違いだと指摘して、正論で相手をだだ殴りした。
いいところを良いとでかい声で言って、頭をぐしゃぐしゃと撫でたり、肩を組んだりした。

止まっているよりも動いている方が好きだったし、悩むくらいなら、解決方法を片っ端から試す方が好きだった。


ただ、それだけだった。

当たり前のことを当たり前のようにして、自分の好きなことをしているだけだった。

「強い」ってなんだ。
そんな言葉で私をまとめないでよ。
「一人で生きていけそう」ってなんだ。
……そんなわけないじゃんか。

だから、あなたと一緒にいたのに。

その言葉は、あなたの背中に向けてなら言えた。いや、背中に向けてしか言えなかった。

捨て台詞だけを残した彼に納得がいかなくて、部屋を飛び出した。エレベータを待つのがもどかしくて、階段をだだだだっと駆け下りた。
マンションのエントランスに着いたけど、もう彼の姿はなかった。

……部屋に戻ろう。

そう思ったのに、自分のマンションのエントランスから動くことができなかった。
さっきまで、彼と一緒にいた暖かい部屋に戻るのは、どうにも心が虚しすぎた。冬本番の12月。あと1週間でクリスマスだった。

エントランスとはいえ、暖房は効いていない。
宅配のお兄さんが入ってくるたびにマンションの扉が開き、12月の風が私を包む。お兄さんはたちは、私をちらっとだけ見ると、何も見なかったかのようにエレベーターをあがっていく。きしきしと骨身に染みる、針のような冷たさが容赦ない。

それでも、部屋には戻りたくなかった。


鼻が赤いのは、寒いから。
目がじんわり痛いのは、寒いから。
寒いから。寒いから。寒いから。

「……ぅぅう……」

好きなことをしているだけなのに、好きな人はいつも私の一番言われたくないことを言って離れていく。「強そう」とか「一人で生きてけそう」とか。

私は勝手に孤独になる。自分が、好きな自分でいることが、いつも私を孤独にさせる。
自分ではすっごく弱くて、誰かによりかかって生きているような気持ちでいるのに、人にはそれがまったく反対に映る。

可愛い女の子、守りたい女の子がよかったならもっと他にいたはずだ。

それでも、みんな私を選んでくれたんじゃないの?
好きという気持ちは、毎日毎日相手に対して「ミチのことが好きだ」という選択をさせ続けることだと思う。
それは、好奇心を抑えることに似ているのかもしれない。
こっちはどうかな、あっちはどんなだろう、そういう気持ちを上回る速度で、毎日毎時間毎分毎秒、相手に自分を選択させ続ける。

途方もないギャンブルだ。
そして、私には一生勝てそうもないギャンブルだ。

冷たくなった鼻と耳、反対に熱を増していく目とため息。それらを両手で覆って、私は俯いた。

すると、

「あ、あの〜……」

と私の後ろから声がした。

自分のことじゃないと思って、指の隙間からチラッと周囲を見ても、自分以外の人影はない。

「お姉さん?」

ぽんと、肩を叩かれ、思わず体をぎゅっと硬直させた。
今、こんな顔で振り返ったら、明らかに何かあったし、失恋だと思われる可能性は高い。

だけど、しかし、そんなことで怯むなんて、それこそ私らしくない。
「…えぇ?…」なんて甘ったるい声を出して、指の隙間からチラッと熱っぽく見るなんて、絶対に自分はしない。

「はい、なんでしょう?」

どんなにみっともない顔だったとしても、鼻が赤くても、目が涙っぽくても、私は堂々と振り向いた。

「ぅお! どうしたんスか! めっちゃくちゃ泣いてるじゃん!」

振り向き、ぎょっとした目でミチを見たのは四角い大きなリュックを背負って、ヘルメットを被った20代ぐらいの男の子だった。
ヘルメットから少しだけ覗く茶色の髪の毛は毛先がくるん、と丸まっている。


「そうよ、泣いてるわ。だけど、それがなに? あなたが話しかけてきたんでしょ? なんか用?」

「あ、そうだった。というかそれならすごいちょうどいいかも。これ、あげる」

そして、目の前に持っているビニール袋をミチに向かって差し出した。
不審な顔をしても目の前の彼はにこにこ笑っている。動物が撫でられたときみたいにほっそい目をした笑い方だった。
その柔らかい顔にやられて袋を受け取る。中に入っていたのは、ラーメンだった。

「え? なにこれ? ラーメン?」

「そ! このマンションの住人に届けにきたんだけど、なんか頼んでないって突き返されちゃって。
どうしようかな〜と思ってたら、同じマンションに住んでるっぽい人がいたからさ。お姉さんのことね。
ほら、自分で食べるより同じマンションの人が食べた方が罪悪感少ないでしょ」


そう言って彼はまた、目を細くした。

「悲しいことがあったときは、お腹が空いてるから。だから食べてよ」

「ねえ、その笑い方すごくいいね」

不意に言葉にしてしまった。言いたいことは言う、がミチのモットーだ。
だけど今は、会話の脈絡がまったくなかったな、と言ってしまってから気づいた。


「え、突然だなあ。……でも、ほんとに? 俺、自分の笑い方すっげー嫌いなんだよね。
昔っから、この笑い方で、動物みたいとか、可愛いとか、そういうことしか言われたことなくて。そういう言葉を、あんまり褒め言葉として受け取れてなくってさ」


嬉しいけどね、なんだろう、自分的にはそう思っちゃう、みたいな? と曖昧に逃げたような表現を使って彼はそう言った。


「ふふ、でも、私は素敵だと思うよ、あなたの笑い方。その、すごくぬくぬくしてそう。季節の春っぽくて」

「春っぽい? そんなの初めて言われた。
でも、春っぽい、か。……うん、それはなんか褒め言葉として受け取れる。うん、ありがとうお姉さん。」


「ふふ、どういたしまして。私の方こそ、これ、ラーメン有難う。えーと……なにくん?」

ミチの目はだんだんと冷たくなっていた。
体はもう悲鳴をあげるほど冷え切っている。足なんかもう感覚もない。


「ハル。俺、ハルっていうの。だから、春っぽいって言われるの嬉しい」


蓋がずれていたのか、ラーメンの香ばしい匂いが冷たい風に混じってミチのお腹を刺激した。




”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。