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【リレー短編】スズランの彼

「トモミせんせ~、手とまってますよ~」

リサがそう声をかけると、トモミ先生は、「すみません」とちょっと苦笑いして再びカルテを書き始めた。

小児科のナースたちは、保育園のように下の名前で呼び合うのが基本になっている。先生たちが下の名前で呼び合うことで心理的ハードルを避け、なんでも話しやすくするように、という思惑があるという。

その思惑は割と成功していて、子どもたちは「リサ先生あのね……」と小さな心の中でそっとそっと守ってきた小さな想いを零してくれることがある。そのほとんどは、「早く退院したい」「もっとお母さんお父さんに会いたい」「学校に行って友達を作りたい」と言った、今の現状に対する希望が多い。リサはその話を聞くたびに医療の限界を感じ、少しでも病院が楽しくなるようにしたい、という想いが募る。

先ほど注意した新人のトモミ先生は、考え事をしてしまうことが多く、たまに空中の1点を見つめてぼーっとしてしまう。それゆえにトモミ先生のカルテには書き間違いを消した跡がたくさん残っている。けれどその若さと柔らかな頭を活かした声かけや、小児学級の縁日など、子供たちからは人気の先生だ。

リサはカルテを書き始めたトモミ先生を確認すると、自身も担当患者のカルテを見つめた。すると、「リサ先生~……」と自分の名前を呼ぶ声が少し低い位置から聞こえてきた。

振り向くと、患者である男の子たち3人がナースステーションを覗いている。

「あら、どうしたの?」

今は、お昼前の自由な時間。腰をかがめて近づくと、3人はもじもじし始めた。

「えっとお……」

ほら、ほら、とお互いに肘をこずきあって、何か企んでいる。

「ふふふ、どうしたの? 何を隠してるのかな?」

真ん中の男の子の背中に隠された手には、1輪のたんぽぽが握られていた。

「えっと、リサ先生にいつもお世話になっているので、お花を持ってきて、その、えっと……」

「あのね、いつもありがとうって気持ちを伝えたいなと思ってとってきたんだ」

「そうそう! リサ先生いつも優しくしてくれてありがとう!」

そう言って、触発されるように両端の2人の背中からもたんぽぽが出てきた。
つやつやのはちみつを垂らしたような明るい黄色。太陽を吸い込んだ匂いがリサの鼻をくすぐる。

「リサ、これ」

ふいに聞こえた声は、リサの心臓からした。
こんなふうに、背中から恥ずかしそうに花を渡された経験が昔にある。そのときの彼の声が心臓からした。目の前の男の子たち3人のように、もじもじとして、ちょっとだけ唇を尖らせて、目を合わせらない。この人、どきどきしてるんだな、というのが彼の全身から伝わってくる。

もう、ここにはいない彼のことを思い出した。

リサは、じわっと暖かくなる目頭を懐かしく思いながら、3人から差し出されたたんぽぽを受け取った。

「え~! 先生すっごく嬉しい! このたんぽぽとっても綺麗だね~、先生もらっちゃっていいの?」

3輪のたんぽぽの花束が完成した。

「う、うん!! これ先生にあげたくて」「いいよいいよ!!」「おれ、すげー緊張したー!!」

口々にそう言うと、空いた手のひらで頭を触ったり、パジャマの裾を掴んだり、手持無沙汰になったのかふわふわと動く。

早く、この子達に会えなくなる日が来てほしい。リサはそう思った。

ここは病院だ。いなくなって、会いに来てくれなくなるのが元気の証。ほんとうは早くここを出て、学校に行って、運動をして、恋をして、太陽の光を当たり前に浴びる生活をしてほしい。そんな日が早くこの子達にきてほしい。

「3人ともありがとうね、先生すごく嬉しい! これ、飾らせてもらうね! ほら、もうすぐお昼だから病室戻りなさい!」

はーい、と3人の声が重なり、よかったなーと話しながら病室に戻っていく。

小さな後ろ姿が廊下の角に消えていく。手に握られたたんぽぽから、青い草の匂いもしてきた。昔、彼からもらったのはスズランだった。しゃらしゃらと揺れる花が可愛くて、それをくれた彼が可愛くて、リサの好きな花はそのときからスズランになった。

「リサ先生、もらったんですか?」

一部始終を見ていたトモミ先生から声をかけられる。

「そうそう、くれたの。やっぱり、こういうのがあると小児科のナースって嬉しいのよね~」

わかります、私も似顔絵捨てられませんもん、とトモミ先生は言い、思い出しているのかくくくっと笑った。

「さ、午後も頑張りましょ!」

リサは、いなくなってしまったスズランの彼を心の中に存在させたまま、書き途中だったカルテに戻る。

”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。