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なぜ書くのか? その答えのひとつは「忘れてしまうから」

なぜ書くのか? という疑問の答えのひとつに、「忘れてしまうから」があると思う。

1週間前の夜ご飯すらなかなか思い出せない私は、人間に与えられた最高の機能「忘却」を駆使して日々生きている。1週間前の夜ご飯を忘れてしまうし、1ヶ月前に話した会話も忘れてしまうし、1年前に立てたはずの目標だって、「あれ、今年は目標立てたっけ……?」と、立てたことすら忘れてしまう。

あくまでも私の場合は、と前置きをしたいけれど、でもきっとそれは、私だけではないんじゃないかなとも思う。さすがに目標ぐらいはメモしたり、書いたり、なんらかのかたちで残しているマメな方もいるかもしれない。

だけど、あの友達としたあのときの面白かった会話や、「なんか今いいこと考えたな」というふとした思いつきは、思いついた瞬間、気づけば跡形もなく消えてしまう。「そういえばさっきなんかいいことを考えた気がするな」と思ったときにはもう遅い。私はその後、なかなか思い出せないこともよくある。手を伸ばしても掴むのは空ばかりで、しまったと思う。


そういうときの思い出せないは、「消える」という言い方も間違ってないけれど、「逃げられる」という言い方のほうが近い。

自分が生んだはずの思考に、私は逃げられてしまったのだ。


さっきちょうどTwitterでこんなツイートを見かけた。

(3万いいねだから、同じのを見た人もいるかもしれない)

すごく、わかるなと思った。


最初は1点だけのスタート地点だったはずの思考も、考えれば考えるほど、どんどん分岐していく。例えば、「今日のnoteは何を書こうかな」と考えるときもそうだ。

考え始めたときは1つの点だけど、パンと音が鳴った瞬間、考え達が走り出す。走り出してしまう。

「じゃあこれを書こうかな」「いや、鮮度的にはこっちが」「これも書いてみたかった」「インスタ見てたら、これ気になってきたから書きたいな」「いや、でも」と、たちまちゴールなしの自由形マラソンになる。

で、最終的に「よし、これを書こう」と思うと、他にたくさんいたはずの考えがいなくなってしまう。自分で生み出したはずのランナーは、思考は、勝手に道を外れて、最後には逃げられる。

なんだかもったいないことをしてしまった。


だからなんか、掴まえておきたい。全部は無理だとしても、そうやって逃げてしまう毎日のランナーたちを、少しだけでも覚えておきたいなと思うのだ。

自分ひとりでぽぽぽんと生み出したから、生み出したなりの責任ーこの言い方はさすがにおもすぎるかもしれないけどーを持ちたい。

忘れてしまうから、毎日少しだけでも残していけるようにこうして書いている。

”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。