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毎日noteはゆるりと考える、ゆるく考える時間

さて、昨日に引き続き、ちょっと毎日noteについて今日も書かせてください。


毎日noteを書くことで得られるいいことの1つに、いろんなことをいろんなタイミングで何度も考える、というのがある。

例えば、「共感ってどういうことだと思う?」と聞かれたとして。私はそれに対する自分の言葉の、自分なりの答えがある。それは「共感ってどういうことだろう?」って、毎日noteを書く中で何度か考えたことがあるから。他にも「“ 賢い人 ” ってどういう人かな」という話題になったとしても、私はそれに対する自分なりの答えがある。

どういったジャンルでも、毎日noteを書いている私は日々、いろんなことを考える。しかも、時間経過も見られるのだ。1年前の私の「共感とはどういうことか?」と、今の私の「共感とはどういうことか?」の答えはきっと違う。でも、違っていることが目に見えてわかる。「一度考えたことがあって、今はこうだな」と。


友人と話していると、雑談のなかで「〇〇に対して、どういう解釈をしている?」という話になることがある。「エモいってどういうことかな」「恋人に優しさを求めるのはどうしてだろう」「何に対して美しいって思う?」とかとか。

そんなとき、私はそのどれもに「私はこう思う」という回答がある。もちろん、友人と話したことで変わるかもしれないけれど、会話の苗として「私はこう思う」を提示できる。それってけっこうすごいことかもしれないと私は思う。

実際、友人とそういう話をしたときに「私はね~」と話したら、「すごい」と言われたことがある。「思いつきで言ったのに、なんで答えられるの?」と。


毎日noteを書くってことは、毎日何かを考えていて、そのときどきでのゆるりとした答えを書くことなのかもしれない。

もちろん、正確に「こう思うんです!」という答えじゃなかったとしても、答えになりそうな破片が、ここにはたくさんある。

ゆるりと考える。ゆるく考える。毎日noteはその時間をくれている。

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