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大人の成長と桜の木

大人にはわかりやすい成長がないなと思う。

というか、いつもつま先立ちをしているよう、いつもちょっとだけ背伸びしている気がするのは私だけ?

腱がきりきりと鳴きそうな音を聞く。

でも、そうでしか大人は成長できないし、成長を実感することもできないのかもしれないな、と社会人3年目の私は生意気にも思っている。

身の丈に合わない肩書や、昇進でもらうランク。大人の成長の階段は、1段目の次にちゃんと2段目があるとは限らない。


私はそれなりに勉強が得意な子どもだった。テストの点数も、「頑張って全体の平均点を目指すぞ!」というよりは、「自分の平均点を90点まで高めるぞ」と思いながら勉強していた(自慢してるよ)。

算数は土台に四則演算があって、その上に公式がある。ルートも、関数も、確率も、理解していた。ずば抜けてではなかったけれど、それなりに「ああ、こうやって解くんだろうな」とわかっていた。し、それは現にテストの点数として表れてくれた。

非常に失礼なことを言えば、「わからない!」と嘆く友達のことを私はわかってあげられなかった。「公式使えば、サササだよ」と、音だけのアドバイスをしたこともある。音だけのアドバイスとは、そう言っただけということ。言った相手は何もわかっていなかったと思う。ごめんよ。

成績表もわかりやすく、いい評価が並んでいた。1つの公式を覚えて、点数をとって。次の公式を覚えて組み合わせて、点数をとって。問題文を理解して図形を書いて、また点数をもらって。

義務教育、小中高の成長はわかりやすかった。右足を出して1段進めば、左足には次の段を踏む感覚がわかった。


でも大人の成長の階段は1段目の次は2段目じゃない。

それこそ、人生そのまま、道だ。

かつて得た経験が、回り道のようにまさか、役に立つこともあるし。順調に1歩、2歩と進んでいるかと思ったら下り坂でごろごろと転がってしまうこともある。足が空を切っている感覚で不安になるときもあるし、実はめちゃめちゃ急勾配な坂道でゆっくりだけど進んでいることもある。知らぬ間に高速道路に乗ってびゅーーんと進むこともある。


次、次と目の前にある何かと戦って、吸収して、勉強しているけれど、それは成長とイコールじゃない。

でも、だから成長するのだろうと思う。次の春に咲く桜が今から準備をしているように、私たちは桜にも自分の成長にも時期がこないと気が付かないものなのかもしれない。

”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。