見出し画像

2022.3.12『弦楽』プログラムノート

2022年3月12日に開催された三島彩コンサート『弦楽』のプログラムノートです。(執筆:三島彩)

プロコフィエフ / 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ Op.115
プロコフィエフ(1891-1953)はロシア帝国に生まれた作曲家でピアニスト。ロシア革命後、アメリカやドイツ、パリを転々としながら音楽活動をし、1936年に祖国に戻る。ソヴィエトの社会主義により制限を受けながらも勢力的に作曲を続けた。

この無伴奏ヴァイオリンソナタは1947年に作曲された。"無伴奏ヴァイオリンソナタ"というと、当然のようにひとりで弾くものを想像するが、この曲は元は多数人で同じことを弾くユニゾンのための作品である。
ロシアのボリショイ劇場で、バッハやヘンデルの無伴奏ソナタをユニゾンで演奏するコンサートを聴き、そこから着想を得て作曲した。

第1楽章は規律正しい行進曲のような雰囲気を持ちながらも、跳躍する旋律に面白みを感じる。続いてヴァリエーション形式(変奏曲)で、主題が様々なキャラクターに変化していく2楽章、3楽章は3拍子でアクロバティックな舞曲風の旋律と、緊張感のある2拍子の旋律の二面性を持ち合わせている。


ラヴェル/ヴァイオリンとチェロのためのソナタ

1920年、音楽誌「ルヴュ・ミュジカル」がドビュッシー追悼号を出す際、ラヴェルやストラヴィンスキー、バルトークなどの作曲家が小品を寄稿した。ラヴェルは「ドビュッシーへのトンボー(墓碑)」を書き、これが「ヴァイオリンとチェロのためのソナタ」の第1楽章部分となる。
その後加筆して、22年に4楽章構成で「クロード・ドビュッシーの追憶に」という献辞を添えて出版した。

異空間を感じるような魅力的な和声や旋律、対照的に激しいリズムやエネルギー、荒々しさ…。のちにラヴェル自身が「ひとつの転換点だった」と述べているように、ラヴェルだからこそ生み出せたと感じる、斬新な音楽が凝縮されている。

第1楽章冒頭に奏される7音からなる主題が、全楽章のモチーフとして用いられる。
交互に鳴らされるピチカートが段々と音楽を構築していくリズミックな第2楽章、厳かな雰囲気のなかに繊細な感情の起伏がみられる第3楽章、民俗舞曲風の旋律の最終楽章。

2つの楽器の対話がユーモアも混じえながら繰り広げられる。弦楽器同士ならではの音の溶け込み合いにも浸っていただきたい。


ウォーロック / カプリオール組曲
ピーター・ウォーロック(1894-1930)はイギリスの作曲家。
こちらは作曲家としての活動名で(warlockは"魔法使い"を意味する)、本名はフィリップ・へゼルタイン。音楽評論家でもあった。
ガス中毒により(自殺と言われている)36歳の若さで亡くなった。

作曲は主に独学で、歌曲(独唱+ピアノ)を最も多く作曲している(約100曲)。
それに比べ器楽用の作品は少ない(8曲)が、今回演奏するカプリオール組曲は彼の最もよく知られた作品の一つである。
元々は、ピアノ連弾のために書かれ、後に弦楽オーケストラ用、管弦楽用にも編曲された。

カプリオール組曲は、全6曲からなり、「オルケゾグラフィ」(1588年にフランス人僧侶のアルボという人物が出版、ダンスの踊り方を楽曲とともにまとめた指南書)をもとに1926年に作曲された。
「オルケゾグラフィ」は二人の対話形式になっていて、"一人前の法律家だが女性との付き合いが苦手"というカプリオール青年が、アルボにダンスを習うという形で話が進む。

1.Basse-danse 足を床にすべらせるように踊るダンス。
2.Pavane 王侯貴族のための踊りで、たいてい即席で踊られた。
3.Tordion "回転する、ひねる"の意味「tordre」に由来する。
4.Bransles "揺れる"の意味「branler」に由来する。16世紀の代表的な踊り。男女が輪を作って踊る「輪舞」。
5.Pieds en l'air 「ピエ・アン・レール」(pied en l'air)とは、ダンスで重心を片脚にかけた際に、残った空中にあるもう一方の脚のことを指す。
6.Mattachins - Sword Dance オルケゾグラフィには、「踊り手たちは小さな胴鎧をつけて…(中略)、彼らの兜は金色の厚紙でできていて腕はむき出し。足には鈴をつけている。右手に剣、左手には盾を構える。2拍子の独特な旋律で踊り、剣と盾のガチガチ鳴る音を伴う」と記載されている。


ピアソラ/ブエノスアイレスの四季(編曲:L.デシャトニコフ)
ピアソラの音楽は、クラシックでもジャズでもタンゴでもない、どのジャンルの型にもはまらない音楽に感じる。
どのような経緯で「ピアソラの音楽」は生まれたのか-

ピアソラ(1921-1992)はアルゼンチン出身のバンドネオン奏者で作曲家。
幼少期に約8年間ニューヨークで過ごした経験があり、「自分にはニューヨークの血が流れている」と言うほど、NYでの生活は彼にたくさんの影響を与えた。
バンドネオンを始めたのもNYだし、ピアソラの音楽の特徴的なリズム(3-3-2のまとまりでアクセントがつくリズム)もNYに住んでいた頃、近所で行われていたユダヤ移民の結婚式から聞こえてきたリズムに由来しているという。街ではジャズが流れ、その音楽に引き込まれていった。
また、彼はクラシック音楽が好きで、少年の頃はバンドネオンでしばしばバッハやモーツァルトを演奏していた。自身も「いつもバッハ、モーツァルト、シューベルトのことばかり考えていた。タンゴはほんの少しだけだ」と語っていたほどだ。

大人になりアルゼンチンで音楽活動を本格的に始めていたが、後にクラシック音楽を学ぶためパリへ留学した。
パリでは作曲や理論、教育といった幅広い分野で偉大な功績を残した女性音楽家ナディア・ブーランジェ(1887−1979)の元で学び、初めは前衛的な現代音楽を目指したが、ブーランジェから「タンゴこそがあなたの音楽の原点」とタンゴの道を歩み続けるよう諭された。

踊りのための曲であるタンゴを、「"足"ではなく、もっと"耳"に訴えかけるものにしたい」と伝統的なスタイルに留まることなく、満足せず、もっと逸脱したいと考えた。
アルゼンチンの人々から「こんな曲では踊れない、踊れないタンゴはタンゴじゃない」と批判を受けたが気にしなかった。
「過去を振り返るな。昨日成したことはゴミ」と語りながら楽譜を焼き捨てたこともあった。
様々なことに執着せず、色々な音楽や文化、人々に触れ、自分のやりたい音楽を突き詰めた結果が、「ピアソラの音楽」を作り上げた。

昨年はピアソラ生誕100年、今年は没後30年とピアソライヤーが続いている。
数年前ピアソラのドキュメンタリー映画を観て以来、より彼の音楽に興味を持つようになった。ブエノスアイレスの四季は、いつか演奏してみたい曲のひとつだった。
記念すべきこの機会に演奏できること、心から嬉しく思う。

ブエノスアイレスの四季は、元々は「四季」となる予定はなく、1965年に劇作家A.R.ムニョスから依頼され「ブエノスアイレスの夏」が単独で作曲された。
その後1969-1970年に残りの3曲を作曲した。

「夏」は緊張感や疾走感、哀愁など様々な表情が織り混ざる。夏の気だるい暑さも感じる。「秋」は熟(こな)れた、柔軟な雰囲気が漂う。「冬」は心を打たれるような美しい旋律から始まる。全体を通してこの旋律が表情を変えて現れる。「春」はタンゴのリズムを彷彿させる弾んだ旋律が特徴的。

オリジナルはピアソラ五重奏団のための作品で、バンドネオン、ヴァイオリン、ピアノ、エレキギター、ベースの編成。
ウクライナ生まれの作曲家デシャトニコフ(1955−)によって弦楽オーケストラ+ヴァイオリンソロの編成で編曲された。
偉大なヴァイオリニスト、ギドン・クレーメル(1947−)とも親交が深い。彼の編曲によって、ヴィヴァルディ(1678−1741)の「四季」のオマージュが組み込まれた。本来とは違う弦の場所を弓で擦る、独特な奏法が面白い。今回は“夏→秋→冬→春“の順に演奏する。

ご覧いただきありがとうございます。 サポートいただけたら嬉しく思います。 記事を書いたり、その他音楽活動の励みになりますm(_ _)m