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「因果なアイドル」第1話「マナとノゾミ」

【あらすじ】
 父の友人を頼り、芸能事務所でバイトをすることになった少年・相川霧人は、人気急上昇中のアイドル・マナとノゾミのマネージャー補佐となる。
 誤解があってマナに嫌悪されつつも、霧人は仕事に打ちこむ。だが、ドラマの主演をためらうマナの背中を押したことから、霧人とマナの仲は急接近する。マナの気持ちを感じとった霧人は、アイドルであるマナとどうつきあっていくべきか懊悩する。
 そんな折、マナにスキャンダルが発覚する。対策を講じる事務所だが、霧人のうかつな発言が原因であることがわかった。霧人は責任を取るため、ある作戦を提案する。

【本文】
 ここでいいのかな、と相川霧人(あいかわ・きりひと)は、古びたビルを見あげた。四階建てのビルは、一階に「エタニティ」という喫茶店があり、三階には「シューティングスター」という事務所が入っている。霧人の行先はそこであった。
 詰襟の学生服を整えながら、霧人はスマホに映しだされた地図と目の前に建っているビルを再度確認した。
 間違いない、「芸能事務所シューティングスター」が入っているビルだ。
 高校生である霧人は、スーツなど持っていない。そのため、もっとも失礼のない学生服を着てきたわけだが……
 この恰好で本当によかったのかな。
 悩んだが、霧人は勢いよくかぶりを振った。ここまで来て悩んでどうする。服装をとがめられたのなら誠心誠意謝ればいい。それだけの話だ。言動に失礼がないようにすればいい。
 エレベーターもないビルの階段を、霧人はのぼりはじめた。二階にさしかかったとき、軽快なテンポの音楽がかすかに聴こえてきた。
 何だろう、聴いたことがあるような。
 霧人は耳をそばだてた。音楽だけではなく、ステップを踏むような足音も聞こえる。
 三階を見やる。階段は薄暗く、上に人がいるようには思えなかった。むしろ、賑やかな二階の方が芸能事務所っぽい。
 ひょっとすると、地図が間違っていたのかもしれない。芸能事務所シューティングスターは三階ではなく、二階なのではないか。何らかの理由で移動したが、看板を修正していないだけなのかもしれない。
 霧人は再度学生服を整えると、ドアを軽くノックした。こういうとき、二回叩くんだっけ、それとも三回? と悩んだが、ドアの向こうからは音楽が流れてくるだけで、誰も「どうぞ」とも「どなたですか」ともたずねてはこなかった。もう一度ノックしたが、反応はない。
 聞こえていないのかもしれない。霧人はドアノブをまわしてみた。鍵はかかっておらず、すんなりまわった。
 ドアを薄く開けると、音楽が大きくなった。
「ごめんください……」部屋をのぞきこむと、目がくらむほど明るかった。
 左手の壁は一面鏡で、床は板張りだ。鏡の前に台があり、その上にスマホが置いてある。音楽はそこから出ていた。
 スマホの前で、二人の少女が踊っていた。
 ひとりは、ショートヘアの少女で、年は霧人と同じぐらい……十六歳ぐらいだろう。音楽に合わせて全身を動かしている。動く箇所ととめる箇所、メリハリのついた踊りは、身体にしみついたものなのだろう。
 もうひとりは、長い黒髪の少女で、こちらもショートヘアの少女と同い年ぐらいだ。髪を後ろでまとめ、ショートヘアの少女についていくように身体を揺らしている。ショートヘアの少女ほどではないが、彼女も相当の稽古を積んでいるのだとわかった。
 二人の動きがとまるのと、音楽がとまるのはほぼ同時だった。黒髪の少女はスマホを手に取り、「ちょっと休憩しようか」ともうひとりの少女に言った。
「たしか鞄の中にお水があったはず」黒髪の少女はスマホの台の下に置いてあった鞄を開けたが「あ、田中さん忘れてる。タオルしか入ってない」
「じゃあ、あたしちょっと買ってくるから」
 ショートヘアの少女が部屋を出ようとしたところで、霧人と目が合った。お互い、何も言わずかたまってしまう。黒髪の少女もそれに気づいたのか、表情が見る見るうちにかたくなっていく。
「あ、あのすみま」
「の、のぞき!?」ショートヘアの少女が大声を出した。「ちょ、誰かいない!? 田中さん!? 田中さん!」
 霧人はあわててドアを閉め、階下と階上に目を向けたが、迷わず上に向かった。完全に間違えた。シューティングスターは三階で合っていたのだ。
 霧人が三階のドアを大急ぎで叩くと、「どうぞー」とのんびりとした男性の声が聞こえた。「失礼します!」と飛びこみ、後ろ手にドアを閉めた。
 シューティングスターはせまい事務所であった。机が四台、正方形に並んでいるが、使われているのは二台だけだ。ぽっちゃりとした年配の男性と、金髪のチンピラに見えなくもない男性が座っていた。
「あらどちら様?」おネエ言葉で話しかけてきたのは、ぽっちゃり男性の方だった。
「あ、あの、相川霧人といいます」霧人は頭をさげた。「谷川大輔さんとお会いすることになっていたのですが」
「あー、社長と会う予定だったのは、君か」金髪のチンピラがていねいな口調で言った。「社長はいるから、呼んでくるね」
 お願いします、と言いかけたそのとき、背後のドアが勢いよく開き、誰かが霧人にぶつかった。霧人は前のめりに倒れたが、どうにか顔を床にぶつけずにすんだ。
「いったぁ」同時に同じ言葉を吐いた。
 霧人が振り返ると、二階で踊っていたショートヘアの少女が尻餅をついていた。霧人の顔を見るや、目をつりあげ、もの凄い剣幕で「田中さん、こいつ、のぞき魔! 変態! 変質者!」とまくしたてた。
 部屋を間違えたのは自分なので言いわけのしようもないが、「変態」だの「変質者」だの言われて、黙っていられる霧人ではなかった。霧人は立ちあがると、少女を見おろし
「何だよ変態って! ちょっと部屋を間違えただけじゃないか!」
「嘘! どうせあたしたちのストーカーか、マスコミに画像売ってこづかい稼ぎしてるガキでしょ!」
「誰がストーカーだ! それにガキって何だよ、僕とそう年変わらないじゃないか!」
「うるさいこののぞき魔!」
「言葉がいちいち古いな! だいたい、お前みたいなちんちくりんが踊ってるのをのぞいて何が楽しいんだ!」
 霧人の身長は百七十八ある。対して少女は百六十にも届いていないように見えた。
 身長のことはタブーだったのか、ショートヘアの少女は顔を真っ赤にして怒りだした。
「こ、これでもね、先月二センチ伸びたんだから!」霧人を指さし「だいたい、あんた失礼よ! 人をちんちくりんだなんて! 何者よあんた!」
「変質者呼ばわりの方がよっぽど失礼だろ!」
「何だ、騒がしいな」
 男の低い声に振り返ると、ダークスーツを着こんだ若い男が、部屋の奥のドアから出てくるところだった。細身に見えるがスーツは筋肉で盛りあがっており、頬には大きな切り傷がある。目つきは鋭く、無表情でも他人を威嚇するような凄味があった。
 や、ヤクザ……?
 霧人は頭にのぼった血が一気にさがるのを感じた。
 逆に、
「あ、社長、お疲れ様です」ショートヘアの少女は気さくに、しかしていねいな口調で男に頭をさげた。
「しゃ、社長?」霧人は思わず、男と年配のぽっちゃり男性を見比べた。どちらが社長かと問われれば、自分なら間違いなく、年配の男性を指すだろう。
「どうした、何があった?」社長と呼ばれた男は鋭い眼光で事務所内を見わたした。
「さあ、私には何とも」ぽっちゃり男性が言った。
「急に喧嘩はじめたんですよこの二人」金髪チンピラが言った。
「マナ」社長が少女に目を向けた。「説明しろ」
「えっとですね、私たちがダンスレッスンをしてたら、この男がのぞいてたんです」マナと呼ばれた少女は霧人を指さした。「のぞきですよ。変態ですよ。変態は追いだすべきです」
「そうだな、変態は追いだすべきだ」社長はため息をついた。「しかしお前も、部屋の鍵をかけなかったのが悪い。いつも言っているだろう、安全のために鍵をかけろと」
 うっ、とうめき、マナは黙った。そこに金髪チンピラが割って入った。
「社長、ちがうんですよ。この子、今日来る予定だった子です」
「……ああ」社長はわずかに目を見開いた。「相川君か」
「は、はい、相川霧人です」霧人は直立不動の態勢で名乗った。
「社長のお客さん……?」マナはじろじろと霧人を見ていたが「あ、田中さん、鞄の中に飲み物何も入ってなかったですけど」
「え、ほんと? 悪い悪い」田中と呼ばれた金髪チンピラは、席を立ち「これから買ってくる。何がいい?」と言った。
「水でいい」
「疲れたときは糖分を取った方がいいんじゃないの?」
「体形維持したいから、水で」
「はいはい」そう言って田中とマナは出ていった。
「さて」社長は霧人に向きなおり「話をしようか」

 事務所の隣の部屋には、大きなデスクと革張りの立派なソファーがあった。霧人がソファーに腰かけると、ぽっちゃり男性がお茶を持ってきてくれた。
「植田博よ。よろしくね」植田は名乗り、軽くウィンクしてみせた。
 霧人はどう返せばいいかわからず、「はあ」と曖昧な笑みを浮かべることしかできなかった。
「俺はこの事務所の谷川大輔だ。一応、社長をやっている」ダークスーツの男は言った。「霧人君、だったな」
 はい、と霧人はうなずいた。
「君のお父さんのことだが、不幸な事故だったな」
 霧人はうつむいた。霧人の父親は一か月前、交通事故で亡くなった。今は母と二人で暮らしている。父の死については、谷川に電話で伝えていた。
「父からずっと言われていたんです。もし自分の身に何かあったら、谷川大一郎という人物を訪ねなさい、と。必ず力になってくれるからって」
「俺も言われていた。相川という人物が助けを求めに来たら、力になってやれとな」
 霧人の父と谷川大一郎は同じ大学に在籍していた。大学を卒業するとき、「何かあったら俺を頼れ。遠慮はするな」と父は大一郎に言われたらしい。それほど、二人は親密な仲であった。
「あいにく、親父はずいぶん前に亡くなってな」谷川は言った。「だから、俺が君を助ける。俺はいったい何をすればいい?」
「あの、ここで働かせてもらえませんか」霧人は言った。「アルバイトという形で」
「金に困ってるのか?」
「いえ、うちは共働きなので、すぐにお金に困ることはありません」ただ、と霧人は言った。「母の負担をできるだけ軽くしたいので」
 ふむ、と谷川はうなずいた。「見てのとおり、うちは小さな事務所だ。俺と植田さん、それと田中というマネージャーでまわしている。所属タレントも一組だ」谷川は霧人に顔を近づけ「正直、たいした賃金は払えんが、それでもいいか?」
「はい、かまいません」
「他のバイトを探した方がいいと思うが」
「それも考えましたが」霧人は言った。「でも、父が大一郎さんのことをとてもよい人だと話していたものですから、その人の下で働いてみたいと思いました」
「息子の下でもいいのか?」
「かまいません」
 わかった、と谷川は言った。「時給についてはおいおい話そう。君はマネージャー補佐という形で、田中の補佐をしてもらう。それ以外にもしてもらうことはあるから、放課後はバイトでつぶれると思ってくれ」
「わかりました」
「あと、急な仕事で休みがつぶれることもある」
「はい」
「くれぐれも言っておくが」谷川は霧人の顔を真正面から見た。「勉学にさしつかえるようなら、やめてもらうからな。勉強はちゃんとしろ」
 霧人は目をまるくした。「驚きました。まさか社長に学校のことまで気にかけてもらえるなんて」
「うちはホワイトな企業を目指してるんでな」谷川は言った。「がんばってはもらうが、無理は厳禁だ。社員だろうがバイトだろうがエタニティだろうがな」
「エタニティ……」霧人は顎に手をあて、考えこんだ。はっと顔をあげ、「まさかさっきの二人は」
「TVで見たことぐらいあるだろう?」谷川はにやりと笑った。「うちの看板アイドルだ」
 どうりで聴いたことのある音楽だと思った。最近はアニメやドラマの主題歌を歌い、乗りに乗っているグループだ。霧人の友達にも、エタニティのファンは大勢いる。
「細かい話は履歴書を持ってきてからにしよう。今日はもう帰りなさい」谷川はそう言ってから、思いだしたように「君、今いくつだ?」
「十六です」
「マナとノゾミと同じか」谷川はつぶやいた。「気は合うかもしれんな」
「さっき変質者あつかいされましたが」
 霧人の言葉を無視し、「ところで、接客の経験は……当然ないよな?」
「アルバイト自体、はじめてなので」
 それもそうだな、と谷川はひとりうなずいた。

 あいさつをしていけと言われ、霧人は二階へ向かった。二階は、シューティングスターの稽古場になっている。
 ドアをノックすると「はーい」とマナの声が聞こえた。ドアを開けて顔を見せると、マナと、黒髪の少女……ノゾミ、それに田中マネージャーがいた。
 マナは露骨に嫌そうな顔をし、そっぽを向いてしまった。ノゾミはていねいに頭をさげ、田中は軽く手を振った。
「マネージャー補佐をすることになりました。よろしくお願い致します」
「あ、そうなのか? よろしく。大変だと思うけど」田中が笑顔で言った。
「はあ? こいつが補佐ぁ?」マナがミネラルウォーターの蓋をねじ切らんばかりの勢いで閉めた。「田中さんの補佐なんてできんの? あたしたちとそんなに年変わらないじゃん」
「マナちゃん、いきなり『こいつ』はないんじゃないかな」ノゾミは霧人を見て「はじめまして、エタニティのノゾミです。よろしくお願いします」
「あ、いえ、こちらこそよろしくお願いします」霧人は頭をさげた。
 マナとは対照的に大人しい雰囲気のノゾミ。彼女とはうまくやっていけそうな気がした。
「色々と忙しいと思うけど、がんばれ」田中が言った。「しかし、よく芸能事務所でアルバイトなんてする気になったな」
「色々あって」
「いい加減な気持ちでやられても困るんですけど」マナが言った。「他に割のいいバイトなんていくらでもあるでしょ」
「マナちゃん!」
 ノゾミが声をあららげると、マナはふんと鼻を鳴らした。だいぶん、嫌われたようだ。
 帰るとき、ビルの前に出たところで「待って」と声をかけられた。ノゾミが階段をおりてきた。
「マナちゃんのこと、悪く思わないであげて」ノゾミは言った。「本当は謝りたいのよ。自分のかんちがいでひどいこと言っちゃったから」
「大丈夫ですよ」俺は笑顔を見せた。「仲よくしてみせますから」

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