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「因果なアイドル」第6話「壁ドンに……」

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 土曜日は社長命令で休むように言われている。休まなければ学業に支障が出るうえ、仕事の効率もさがるとのことだ。そういうわけなので、霧人は土日曜日はぐっすりと眠ることにしていた。
 だが、これまでは勉強とバイトの疲れで、ベッドに入った途端眠りこんでしまったのだが、マナのことを考えてしまうと、眠れなくなってしまった。
 アイドルがマネージャー補佐を「意識」するなんておかしいだろう。人気急上昇中のエタニティにとって、下手をすると大きなスキャンダルになってしまう。
 もしも、もしもだが、マナから何かアプローチがあった場合、断ろう。こっちから言うのは何かちがう気がするので、そのときが来るまでは今までどおりにしよう。
 どんなに眠れなくても、霧人は午前九時にはベッドからおりる。だらだらとするのがあまり得意ではないのだ。
 あくびをかみ殺しながらリビングへ入ろうとしたとき、インターフォンが鳴った。母が出て、「はい、お待ちください」と言った。
「お客さん? 約束してたの?」
「ごめんなさい、霧人には話してなかったわね。立木君がうちに来ることになってたの」
 立木、立木……その言葉が頭にしみこむのに、少し時間がかかった。
「陽介兄ちゃん!?」霧人は声をあげた。
 玄関から現れたのは、スーツ姿の男性だった。背が高く、細身で、黒いネクタイがよく似合っていた。
「お久しぶりです」立木は頭をさげた。
 立木陽介は霧人が幼いころ、よくいっしょに遊んでくれた近所の男性だ。霧人とは一回り以上年がちがっており、最後に会ったのは立木が高校生のときであった。
 立派な大人になったんだなと、羨望のまなざしで立木を見ていると、立木は霧人を見て少し悲しそうな顔をした。
「おそくなって、悪かった。言いわけはしないよ」
 立木は亡くなった父のために、線香をあげにきたのだ。仕事のため実家をはなれた立木は、どこで聞いたのか、霧人の父が亡くなったことを知っていた。
 霧人はパジャマからあわてて着がえ、仏間へやってくると、母と立木が互いに頭をさげているところだった。
 母は立木をリビングへ連れていき、コーヒーを出した。霧人は立木の正面に座り、すっかり洗練された彼の姿に見入っていた。
「大変だったね。もう大丈夫?」
「はい、ひとしきり泣いたので、もう」霧人は言った。自分の知っている立木とかなりちがうため、気おくれしてしまいそうだ。
「お金のこととか、困っていることがあったら言ってくれ。力になるから」
「いえ、それは大丈夫です。もともと共働きだし、僕もバイトをはじめたので」霧人は背筋を伸ばして言った。「陽介兄ちゃんは、今何してるの?」
「はっはっ、それは秘密だ」立木は人差し指を口の前に立て、笑って見せた。こういうちょっとお茶目なところは変わっていない。
「陽介君。この子ね、芸能事務所でアルバイトしてるの」
「母さん、よけいなこと言わないでよ」
 霧人が文句を言うと、はいはい、と母は適当な返事をし、「お母さん、ちょっと買い物に行ってくるから。陽介君、ゆっくりしていってね」
「はい、お構いなく」立木は頭をさげた。
 母が出ていったあと、「芸能事務所でバイトしてるの?」と立木は訊いてきた。
「うん、シューティングスターっていう事務所で、小さなところなんだけど、父さんの親友の息子さんが社長をやってるんだ」
「へえ、シューティングスターか」立木はコーヒーに口をつけた。
「知ってるの?」
「いや、知らない。芸能関係には疎くてね」
「僕も最初は芸能界なんて興味なかったんだけど、そばで見てると面白いよ」
「へえ、たとえば?」
「ここだけの話なんだけど……」霧人は小声で言った。「シューティングスターは極道の息子さんが作った会社なんだ」
「極道の?」立木は驚いた様子であった。「それは本当か?」
「うん。でも、すっごいホワイト。時間外労働に無茶苦茶厳しくて、僕も土日はしっかり休むよう強制されてる」
「信じがたいな」
「僕もそう思う。で、エタニティっていうグループが所属してるんだけど、知ってる?」
「名前ぐらいは聞いたことがあるな」
「今度、ドラマに出るからチェックしてみてよ」霧人はドラマのタイトルを教えた。「陽介兄ちゃんが面白いと思うかはわからないけど、マナはすっごくがんばってるんだ」
「マナっていうのはエタニティの子?」
「マナとノゾミでエタニティ。自慢じゃないけど、稽古につきあうこともあるよ」霧人は胸を張った。マネージャー補佐としてだけど、ということは伏せておく。
「霧人君が手伝ってるなら、きっとうまくなるだろうね」立木は言った。「霧人君は他に何してるの?」
「稽古の様子をビデオカメラで撮影したり、タオルや飲み物を用意したり……たまに駅まで送ったり、喫茶店で働いたりかな」
「喫茶店? またちがう仕事が出てきたな」
「ビルの一階の喫茶店は、シューティングスターが営業してるんだ。小さな事務所だし所属タレントはエタニティだけだし、社長も色々考えてるみたいだよ」
「面白い社長だな」立木はコーヒーに角砂糖を入れ、スプーンでゆっくりかきまぜた。「でも大変じゃないか?」
「夜おそくはなるけど、大丈夫だよ。今のところ、勉強にさしつかえはないし」
「でも、学校の友達と遊ぶ時間がないじゃないか」
「それはそうかもしれないけど、今はマナとノゾミを見ている方が楽しい」霧人は微笑んだ。「あの二人ががんばってるのを見るのが、楽しいんだ。変かな」
「いや、全然変じゃない」立木はかぶりを振った。「いい影響を受けているんだ。同い年でがんばってる人を見て、自分もがんばらないとってな」
「そうかな」
「ごめん、霧人君。俺はそろそろ行かないと」立木は立ちあがった。「久しぶりに会えてよかったよ」
「うん、僕も嬉しかった。まさか陽介兄ちゃんが来てくれるとは思わなかったから」
「がんばれよ」
「うん、兄ちゃんもね」
 立木を玄関まで見送ったあと、霧人はふと、マナとノゾミの年齢について口にしただろうかと思った。だが、すぐに母が帰ってきたので、そのことは忘れてしまった。

 喫茶店での仕事を終え、稽古場へ向かうと、「アカンやんこれぇ!」とマナがなぜか関西弁で悶えていた。
「ご、ごめんね、私じゃ役に立てなくて」
「ちがうちがう、ノゾミが悪いんじゃないの。ノゾミじゃ雰囲気出ないのは当たり前。そこに気づかないあたしがアホなのよ!」
 だからなんで関西弁なんだろうと霧人は疑問に思ったが、「どうしたの?」とたずねた。
「今、二人で台本の読み合わせしてたんだけど、武と話すところがどうしてもしっくり来ないみたいなの。まあ、本人がいないんだからうまくいかないのは当たり前なんだけど」ノゾミが言った。「だから私がちょっと武の役をやってみたんだけど、駄目みたいで……」
「それは無理があるよね」霧人は言った。「僕でよければやってみるけど?」
 え、とかたまったのはマナだった。
 おかしな反応だ。いつも事務所で読み合わせをするときは、武……主人公が恋する少年の役は、霧人がやっているのに。
「えーっと」マナは霧人から目をそらした。「ちょっと重要なシーンだから、少しだけ演技が必要なんだけど……読むだけじゃなくて」
「いいよ」
「少しだけ、ほんとに少しでいいからね!」
 あまり念を押すので「うるさいなあ」と言いながら、霧人はノゾミから台本を受けとり、言われた箇所に目を通した。
 ……今どき、こんなことする奴いるのか?
 疑問が表情に出たのか、ノゾミが
「恋愛物はファンタジーだからこういうのもあるって脚本家の人が言ってた」とフォローを入れた。
「そういうもんかね。じゃあ、やるよ」
 霧人はマナに近づいていった。一歩近づくごとに、マナの身体が一回り小さくなっていくような気がした。
 ひどく、緊張させてしまっているようだ。そんな態度を取られたら、こっちまで緊張するじゃないか。
「えーっと、左手でやるからね」霧人はあらかじめ宣言した。
「ど、どうぞ」マナの声が裏返っている。
 霧人はマナを壁際に追いつめると、左手をドンと壁についた。俗にいう「壁ドン」である。
 台本を見ながら、
「『お前、どうしていつも俺のことにらんでるんだ? 俺が何かしたか?』」
「え、あ、う」
「『何か悪いことをしたなら言ってくれ。謝るから』」
 ドン、と重いものが腹に当たった。いや、突き刺さったように感じた。マナの右拳が霧人の腹にめりこんでいた。腰のひねりが入った、本気としか思えない一撃であった。
 一瞬、意識が遠くなり、霧人は膝から床に崩れた。そのまま顔面を床に打ちつける。
「あああ! やあああ!」
 マナが奇声を発しながら、稽古場を走りはじめたが、霧人にその姿を見る余裕などなかった。
「霧人君!」ノゾミが駆け寄り、霧人を抱き起した。
「か、壁ドンしたら腹パンされた……」
 何でだよ、という言葉が続かない。霧人は悶絶しそうになるのを必死でこらえた。
 顔を殴られたなら冷やせばいいが、腹を殴られた場合どうすればいいのだろう。服をめくると殴られたところが青くなっていたが、腹を冷やしていいものかどうかわからない。
 湿布をもらいに三階の事務所へ向かったノゾミは、湿布といっしょに、谷川まで連れてきた。
「何をやってるんだ、お前らは」谷川は完全にあきれていた。
 マナは霧人のそばで正座し、しゅんと小さくなっている。ノゾミがことの顛末を説明すると、谷川は大きなため息をついた。
「霧人君、君はもう帰れ。植田さんに送ってもらうから。そんな状態じゃあ何もできないだろう。マナ、マネージャー補佐はサンドバッグじゃないんだ。わかったな?」
「はい……」蚊の鳴くような声でマナは返事をした。
 事務所に残っていた植田が、すぐに車を出した。痛む腹をさすりながら助手席に乗る霧人を見て、植田は笑った。
「モテる男は大変ねえ。壁ドンしたら腹パンって」くっくっくっと植田は笑った。
「笑いごとじゃないですよ」いたた、とうめきながら「何ですかあのパンチは。ボクシングでもやってるんですかマナは」
「昔、空手を少しやってたそうよ」
「……絶対、暴力に訴えるのはやめよう」霧人はつぶやいた。
「文句のひとつぐらい言えばいいのに、ほれた弱みねえ。若いっていいわあ」
「は? ほれた? 僕がですか?」
「ちがうの? 私にはそう見えたけど」植田はちらりと霧人を見やり、「あなたとマナ、お似合いよ。おじさん、ちょっとうらやましいかも」
 マナが、自分のことを快く思っていることはわかっていた。しかし、自分がマナのことを快く思っているなど、霧人は考えたことがなかった。
 いや、ないわけではない、と霧人は思いなおした。マナのことを考えると眠れなくなる。これはマナを意識していることにほかならない。
「気持ちはわかるけど」植田は言った。「今は駄目よぉ。エタニティにとって大事な時期だからね。あくまで仕事と割りきってね。何しろ、アイドルに恋愛はご法度なんだから」
「はい……」霧人はうなずくしかなかった。
 家に帰ると、母がすでに帰宅していた。
 植田が「実はちょっと怪我をしまして、大事はないんですが、帰っていただくことにしました。お預かりしているお子さんに怪我をさせてしまい、大変申しわけありませんでした」と深々と頭をさげた。
 穏やかな雰囲気の中年男性に頭をさげられ、「いえいえ、息子がとんだ粗相を」と、母は見当ちがいもはなはだしいことを言った。
 植田は「所属タレントの稽古につきあっているときに怪我をした」と説明し、状態が悪化するようならすぐに救急車を呼ぶということで、話はまとまった。治療費も全額、事務所が出すことになった。
 だがさいわいにも、植田や母が心配するような事態にはならず、霧人はすぐに回復した。腹にあざが残っているが、すぐに消えるだろう。夕食を少し食べ、早めに寝ることにした。
 いつもより早い時間のため、なかなか眠れない。眠れないと、考えごとをしてしまう。真っ先に浮かんだのは、マナのことだった。
 壁ドンした結果は散々だったが、間近で見たマナは、かわいかった。アイドルなのだから容姿端麗なのは当たり前だが、あんなにかわいかったっけ、と霧人は思った。
 すなおじゃなくて、でもがんばり屋で、どんな仕事が来ても一生懸命なマナ。そんなところに、自分はひかれたのだろうか。
 やっぱり自分は、植田さんの言うように、マナのことが好きなのかもしれない。
 顔が熱くなってきた。明日から、どんな顔をしてマナに会えばいいのかわからなくなってきた。
 枕に顔を埋め、早く寝ようと何度も試みる。しかし瞼の裏に浮かぶのは、目の前に迫ったマナの顔だった。

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