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「因果なアイドル」第5話「そこまで鈍感じゃない」

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 放課後、霧人が喫茶店「エタニティ」にやってくると、「CLOSED」の看板がかかっていた。時間は午後六時前。閉めるにはまだ早い。
 事務所へ行ってみたが、鍵がかかっていた。谷川も植田も田中も、いないようだ。
 二階ではマナがひとり、ダンスの練習をしていた。
「……ノゾミは?」
 霧人がたずねると、「風邪だって。今朝、疲れてるって言ってたし」とマナは言った。「疲れじゃなくて、具合が悪かったみたい。無理してたのね」
「じゃあ、社長たちは?」
「急に出ていった。植田さんも田中さんも連れて。何かあったのかな」マナは不安そうだ。
 植田や田中だけではなく、谷川まで出ていってしまうとは、尋常ではない。トラブルが起こったのではないかと、悪い方向に考えてしまう。
 それはマナも同じだったようで、いらだたしげにタオルをほうり投げた。「今日はもうやめ! ノゾミもいないし、練習にならない」
「そんなんでいいのか?」
「たまにはね」マナは言った。「着がえるから、ちょっと待っててくれる?」
「え? 何で?」
「あたしをひとりで帰らせる気? マネージャー補佐でしょ」
 それもそうか、と霧人は思った。田中も谷川もいない以上、所属タレントの送り迎えは仕事だ。
 二人が稽古場を出るころには、街灯がつきはじめていた。二人は駅に向かって歩きはじめた。
「そういえば、あんたに送ってもらうのはじめてだっけ」
「たしかに」
 いつもは谷川や田中、植田が車を出してくれていた。
 霧人はあたりを見まわした。
「何してんの?」
「変な奴がいないかと思って」
「あっはは、真面目」マナは本当におかしそうに笑った。
「よく言われる」霧人は苦笑した。
「ねえ、霧人ってさあ」
「ちょっと待って」霧人はマナを手で制した。「僕、よく考えたらマナとノゾミの芸名しか知らないや。本名何て言うの?」
「ノゾミは、岩田望」
「じゃなくて、マナの名前」
「……言いたくない」
「何で?」
「地味だから」マナはぷいとそっぽを向いた。「私なんかに訊かなくてもネットで調べればどうせわかるでしょ」
「それもそうだけど、本人が目の前にいるのに訊かないのは変じゃないか」
「うっさい、自分で調べろ」マナはべーっと舌を出した。「だいたい、ミーハーのくせにそんなことも知らんのか」
「別にミーハーじゃないよ。芸能界のことなんて、全然興味なかった。アイドルなんてほとんど」
「え、そうなの? あたしはてっきり、アイドルが好きでバイトをはじめたのかとばっかり」
「実は、父さんと社長のお父さんが友達でね」霧人はバイトをするようになったいきさつをかいつまんで話した。
「ふうん、興味なかったんだ」マナは冷めた目で霧人を見つめた。「それはそれでどうかと思うけど」
「でも、シューティングスターに来て見る目が変わった。前にも言ったけど、アイドルって凄いんだなって」
「そ、そう?」
「クラスの友達が推しがどうのこうのって盛りあがる理由が、よくわかった。あれだけの努力をしてる人だから、TVや舞台であんなに堂々としてられるんだなって」
「まあ、それはそうだけど、TVとかに出られる人なんてほんと少ないから。運が絡む部分もあるし」マナはふっとため息をついた。「そのぶん、私たちは運がいいと思う」
「社長にスカウトされたこと?」
「そ。『これから芸能事務所を作ろうと思うから、所属タレント第一号にならないか』って。事務所ないんかーい、て感じ」
「でも、その……あれだよね、元極道だって聞いてたんだよね?」
「関係ない。ノゾミはこわがってたけど、あたしはチャンスだと思った」マナは言った。「すでにあるものじゃなくて、一からやれるなんて、ある意味大きなチャンスよ。自分の思いどおりにできるかもしれないじゃない」
「そりゃまあ、そうだけど……よくご両親が反対しなかったね」
「反対されたけど?」マナはさらりと言った。「でも、社長と植田さんが誠心誠意対応してくれたから、考え方を変えたみたい」
 谷川と植田のコンビ。
 植田はぽっちゃりとした、穏やかでおネエな人物に見えるが、谷川組解散後も残り、谷川を支えていることを考えると、相当の「修羅場」をくぐり抜けてきたのではないだろうか。そんな二人組に「説得」されたら、マナの親もうなずかざるをえないだろう。
 こわい想像をしたところで、マナが
「まあ、本当はアイドルになる気はなかったんだけどね」と言った。
「そうなの?」
「あたしたちが目指してるのは、歌手だから。アイドルは、ひとまず今だけ」マナは言った。「だって、アイドルなんてそれほど長くは続けられないから。あたしとノゾミ、二人で作詞も作曲もできるんだから、そのうちアイドルをやめて、本格的な歌手に転向しようと思ってる」
「自分で歌作ってるの!?」
「スマホで調べてみるといいよ」
 霧人はスマホで、二人が売れるきっかけになったアニメ主題歌を調べた。「作詞:マナ 作曲:ノゾミ 編曲:マナ・ノゾミ」と書いてある。
「今どき、作詞もろくにできない歌手なんて生き残れないからね」
「もともと、得意だったの?」
「まあね。でも、勉強は怠ってない。世の中の流れはどんどん変わっていくし、それにあわせてあたしたちも変わっていかないと」
「じゃあ、ドラマに出るかもしれないって話も」
「有名になるための足がかり……ってこんなこと言ったら、関係者に怒られそうだけど」マナは苦笑したが、目は真剣だった。「手抜きはしない。足がかりではあるけど、真剣にやるしできるだけのことは全部やるって決めてるの」
 霧人はあっけにとられた。マナはどこまでも貪欲だ。手に入るすべてのものを自分の糧とし、目標のための足がかりとしている。しかもその足がかりを、ただの手段とはとらえていない。ひとつひとつの仕事に対して「まわりが納得する成果を出す」ことを目指している。
「凄いな」霧人はひとりうなずいた。「うん、凄い計画性だ」
「おそれいったか」
「参りました」
 霧人が平伏するそぶりを見せると、マナはふきだした。
 駅が見えてきた。もうすぐお別れだ。今日は別れるのが、妙に名残惜しいと霧人は感じていた。会話がはずんだからだろうか。
 マナをちらりと見やる。身長差があるため見おろす形になるが、マナの表情はどこか沈んでいるように見えた。
 ひょっとして、僕と同じこと考えてる?
「あのさ」
「ねえ」
 同時に声を発した。マナのきれいな目が目の前にある。その目を見るだけで、霧人は胸がどきどきするのを感じた。
「先、どうぞ」
「霧人が先に言ってよ」
「あ、いや、別に何か話があるってわけじゃなくて」
「うん」マナは神妙な面持ちで聞いている。
「ただ、もうちょっと話しがしたいなと思っただけで」
 自分は何を言っているんだろう。霧人は混乱していた。
「実はあたしも」
 マナがそう言いかけたところで、マナのスマートフォンが音を立てた。マナはあわてて電話に出た。
「はい……あ、社長、お疲れ様です。え? ドラマの件ですか? はい、はい……いえ、ノゾミはいません。ちょっと体調を崩したみたいで。ドラマが何か……え、ええ!?」
 マナが突然大声を出したので、霧人はあわててまわりを見た。さいわい、こちらに注目している者はほとんどいなかった。
 わかりました、と言ってスマホを切ると、マナは嬉しいような困ったような表情を見せた。
「どうしよう」
「何が?」
「ドラマの主演になっちゃった。それも、ノゾミとW主演で」
「ええっ!?」霧人もマナに劣らぬ大声を出してしまった。
 マナとノゾミが出るドラマで、二人の役割は「クラスメイトA、B」という端役だったはずだ。それがいきなり主演とは、どういうことなのか。
「主演の女優さんがね、階段から落ちて大怪我したんだって。それで急遽代役を立てることになって、すぐに社長や植田さんたちがプロデューサーのところに出向いたそうなの。私とノゾミを使えって」
「無茶苦茶だな」
「あたしもそう思う。でも社長が『マナとノゾミは今売れている。話題性はばっちりだ。しかも歌も歌える。ドラマ内で歌う場面があるが、当初の予定では歌だけは口パクにするつもりだったんだろう? マナとノゾミにそんなものは必要ない』って言ったんだって。そしたら、プロデューサーが折れて、あたしたちを使うことになったんだって」
「演技なんてできるのか?」
「ある程度は……プロデューサーもオーディションであたしたちの演技を見てるから、OK出したんだと思う」どうしよう、とマナは言った。「こんな降って湧いたような話、あたしどうすればいいんだろう。受けていいのかな」
「嫌じゃなければ、受ければいいじゃないか」
「でも」
「マナ」霧人は言った。「歌手としてやっていきたいんだろ? そのためには、どんな足がかりも手を抜かない。さっきそう言ってたじゃないか」
 マナは黙って霧人を見つめている。
「これもチャンスだ。マナもノゾミも運がいいと思う。ドラマの中で歌うシーンがあるっていうのもいい」霧人はマナの肩を叩いた。「思いきりやってみても、いいんじゃないか? 結果がどうなっても」
 マナはなおも黙っていたが、やがてうなずいた。社長に電話をかけなおし、やれるだけやります、と伝えた。

 その後はとんとん拍子に話が進んだ。
 W主演ということでノゾミが加わったため、脚本には大きく手を入れることになった。原作物ではない、オリジナルドラマであったのはさいわいだ。
 ドラマの内容は、至って普通の学園恋愛ドラマだった。主人公の少女がある少年を好きになって……というお決まりの物語だ。少女は普段は明るくてコミュニケーション能力抜群、活発でクラスの人気者なのだが、好きな少年を前にするとぽんこつになってしまうところが面白い。大ヒットはしないだろうが、そこそこ人気の得られる内容なんじゃないだろうかと霧人は思った。
 マナとノゾミは演技の稽古に集中することになった。霧人は時間の都合上、撮影に同行することはできない。代わりに、二人の演技の稽古につきあうことになった。
 霧人は台本をわたされ、少年役の代わりをすることになった。
 マナの演技は、霧人から見ても可もなく不可もなくというところだった。ただ、主人公とマナに性格上の共通点が多いため、演技のしにくさ、というものはなさそうであった。
 ちなみにノゾミは、主人公の親友ポジションで、主人公の恋愛相談に乗ったり、陰から支えたりする役回りであった。W主演を謳っているが、あまり目立つキャラとはいえない。
 だがノゾミに不満はないようで、「主役なんかやったら心臓が引っくり返る」とのことだった。あれだけ大勢の前で歌っているのに、歌と演技ではまたちがうんだなあと、霧人は変なところで納得してしまった。
「じゃあ次、武(たける)が主人公を昼食に誘うシーン」マナは台本を見ながら霧人に指示を出した。
 ちなみに武というのは、主人公がほれた少年の名前で、優しくて、誰からも好かれる好青年だ。当然、女子からも好かれる。主人公は武が誰に対してもいい顔をするため、いつもひとりで悶々としているらしい。
「あー、じゃあ行くぞ」霧人はごほん、と咳ばらいをし「『なあ、みんなで昼飯食いに行くんだけど、いっしょに行かない?』」と、マナのことを笑えない、とんでもない棒読みで台本を読みあげた。
 マナは何も言わない。台本を見ているわけでもなく、明後日の方向を見ているわけでもない。霧人の足もとあたりを見ていた。
「だ、誰があんたなんかと行くもんですか!」目をさましたかのような勢いで、マナは突然言いはなった。
「マナちゃん、台本」ノゾミが指摘した。「ちゃんと読んでる?」
「あ、え、う?」マナの日本語を忘れたかのような発音に霧人はふきだしそうになった。「えっと、せ『先客ガあるカら、ミんなで言っテ』」
「マナ、それはさすがに棒読みすぎる」機械音声の方がましになっている。
「う、うっさいわね! ちょっと緊張したの!」
「緊張する要素ないじゃないか。僕と話してると思えばいいんだから」
「だから緊張するの!」そう言って、マナは口もとを押さえた。「緊張、するんだから……」
「ね、ねえ、今日はこのへんにしない?」ノゾミが言った。「撮影で疲れてるし、それにもうすぐ田中さんが来るころだから」
 今日は田中が車を出してくれることになっていた。
 マナは「そ、そうね、時間は守らないと。あたし、着がえてくるから」そう言って、そそくさと更衣室に消えていった。
「どうしたんだ。調子でも悪いのかな」
「あのね、霧人君」ノゾミが言った。「マナね、あなたのこと相当意識してる」
「意識って」その意味がわからないほど、霧人は鈍感ではなかった。「え、何で?」
「マナはね、最初、主演の話断ろうと思ってたらしいの。さすがに荷が重すぎるって。でも、霧人君に背中を押されてやる気になったって言ってた」
「僕は何も」思いあたる節がない、わけではなかった。「マナなら僕が何も言わなくても、やるって言ったと思うけどな」
「マナは肝が据わってる部分はあるしやる気も十分あるけど、ネットの批判とか凄く気にするタイプだから、やりたくなかったみたい」
 意外な一面もあるんだな、と霧人は思った。
「無茶させたかな」
「ううん、大丈夫。マナはやる気だし、それに」ノゾミは微笑んだ。「一番近くで応援してくれる人がたくさんいるから、ネットの批判なんて気にしないって。特に、霧人君、あなたがいてくれるから」
 冗談だろ、と霧人は思った。芸能人は視聴者を楽しませ、活力を与えてくれる存在だ。視聴者から力をもらうなんてあべこべだ。
「それはちがうよ」ノゾミはかぶりを振った。「見てくれる人たちがいるから、私たちがいるの。一方的に何かを与えてるんじゃないよ」
 田中の車の中で、マナは一度も霧人の顔を見なかった。霧人も、マナの方を見ることができなかった。

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