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言葉と体験型の学びにこだわる。

屋号の由来

Willing Hands Onという屋号で仕事をしています。

主に、キャッチコピー講座やワークショップ、キャッチコピーの作成のほか、関連してコンサルティングや商品のブランディングなどを行なっています。

https://www.willing-hands-on.net/

この屋号、言い慣れないと噛み噛みになる名前で、なかなか覚えてもらいづらいのも難点です。言葉を扱う仕事をしているのにそれで良いのかなと思いつつ・・この屋号に込めた想いもありますし、略すと「WHO」なのも何だか意味深(?)で気に入ってたりします。

個人名で仕事をすることも多く、案外自ら屋号を口にする機会は多くないので、講演等で屋号で紹介されると新鮮です。「私、Willing Hands Onだったわ、そういえば」という感じに。

WEBサイトの「about」ページに、

「willing hands とは、自発的な手助けのこと。hands on とは、体験から理解を深めること。体験型の学びや手法を通して、さまざまな活動をする方々を応援しています。」

と書きました。

言葉には、「意味」と「形」があります。私たちは日頃「意味」を重視しがちですが、結構その言葉の「音・響き」とか「見た目」というのに私たちは影響を受けていると思っています。

個人的に、「will」という言葉の「意味」と「音」が好きで、屋号にぜひともと思ったのが最初でした。実店舗は持たないし、屋号は必須では無かったのですが、個人名とは別に名前を持ちたいと思いました。

will だけではシンプルすぎるので、関連イディオム等を検索。たどり着いたのが willing hands でした。そして、ハンズオン展示等、元から馴染みのあった hands on という言葉と合体させるに至りました。まぁ willing hands だけでも良かったのですが、音として平坦なフレーズが、on が付くことで、「!」が付いたかのように上向きになる感じがいいなと。

はじめての屋号は、私個人のバックグラウンドが非営利組織だったり、環境教育や体験型学習だったりするで、収まるところに収まった感はあります。

非営利組織になぜそこまでこだわるのか

ロスジェネ世代の最後にあたるため、就活も難航した世代です。けれど、そもそも中学生の頃から関心事は森林や自然で、環境問題の解決ばかりに意識が向いているような10代でした(珍しい)。環境系の仕事といえば環境アセスメントくらいしかなく、それ以外の環境系ワークはもっぱらボランタリーなものとされていた時代。営利組織で働くことに関心が持てず、ずいぶん偉そうですが「就職したい会社がない」というのが本音でした(いまは何でも面白そう!と思えるようになりました)。

そのまま大学卒業とともにフリーターになってもおかしくなかったのですが、ひょんなことから公益財団法人で環境教育に携わり、その後また日本最大の自然保護団体である公益財団法人で働くという経緯を辿ります。その間に、学習塾にも勤めてサービス業としての教育にも携わります。振り返ると、いかにもビジネス的なものとは距離を置いてきたといえます。だからこそ現在、非営利組織向けのサービスを提供しているのは至極自然なことと言えそうです。とはいえ、この社会で生きるにははお金とかビジネスは不可欠で、想いとかやりがいとか熱意とか社会的意義とか、そんなものだけではダメだと薄々分かっていたせいか、ビジネスを学ばねばという考えも常に持っていました。

いまでこそ、そこまでビジネスだのソーシャルだの分けることに意味が無くなってきていますが、随分とソーシャルか否かにこだわり続けた時期があった訳です。いまは、ただボランティア的なことではなく、ビジネス的な要素も意識しながら非営利活動を行うこと、この微妙なバランスが私のもっぱらの関心事です。

「良い企画なのにお客さんが来ない」への違和感

「良いことやってるのになかなか伝わらないんだよね」「来れば分かるはず!」これは現場でよく呟かれていることです。私もかつてはそう思っていました。ぼやいていました。

けれど、お客さんが来ない時点で良い企画とは言えないのではないか?と思うようになりました。良いかどうかを決めるのはお客さん。お客様は神様ですとか、そういう意味ではありません。お客様がほしいものを提供しましょう、というだけの話でもありません。少なくとも、お客さんが集まらない、買ってもらえないサービスや商品は、まだお客さんの役には立つかも分からないし、間違いなくお客さんの役に立つならば、ちゃんと認識してもらえる目の前まで情報として届けなくては、と思います。

理想論すぎる、かもしれません。

でも、やはり理想はそうなのだと思っています。

学びへのこだわり

教育と名の付く学部を出ているものの、教育学には関わりのなかった学生時代。なのに、その後、環境教育や教育サービス業、いまでは大学講師など、教育カラーが強めです。教育にこれだけ関わるとは思ってもいませんでしたし、最初は本当にたまたまでした。でも今では、自分にとって教育的な仕事は天職とさえ思い始めています(大袈裟だけど)。

一説に、「educate」の語源は「引き出す」と言われています。諸説あり、誤った解釈という話もあるのですが・・私は、教育は「引き出す」ことという意味合いで大いに納得しています。教えること以上に、やる気や自信、時に才能を引き出せれば、あとは本人が勝手に動く、学ぶと信じています。別に子どもに限りません。老若男女、誰でもです。

たとえキャッチコピーをのノウハウを教える場面であっても、受講された方が自力で生み出すことを大切にしたいと思っています。もちろん一方向型のセミナーも頻繁に実施します。私としてはワークショップを行いたくても、時間的制約や、参加のハードルの高さを考えれば、まずはセミナーに参加される皆さんのお気持ちもよく分かります。

現状私がお教えするにあたり、セミナーやワークショップなど様々な形式がありますが、どの形でもその根っこに「引き出す」マインドがあります。

魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える

途上国支援での例え話ですが、魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える、という表現があります。食べ物をあげると食べてしまえばおしまい、魚釣りの方法を教えれば自分で釣って食べていける、という意味合いです。私も同様の考え方で研修を行っています。

キャッチコピーは外注することもできますし、プロに任せるからこそのクオリティというものもあります。第3者の視点からサービスや商品を見てもらうという意味も大いにあります。しかし、多くの非営利組織、そして中小の企業ではコピーライティングどころかデザインや、広告全般を外部に依頼することが難しい状況があります。

そもそもお金がないし、お金をかけて頼むメリットを感じにくい。それなら自分たちで考えよう、作っちゃおう。ということになります。

これについては誰も責められない。

素人っぽいデザインを鼻で笑う人もいるでしょう。けれど、現場における最良の判断だったりします。

経験上、現場の様子が分かるからこそ、「魚の釣り方」ならぬ「キャッチコピーの書き方・考え方」をお教えするスタイルになりました。

もちろん書き方・考え方を学んでいただいた上で、やはりキャッチコピーをお任せしたいと言っていただくケースもあります。ケースバイケースです。その個人、企業、団体によって、その判断はまちまちで構いません。ただ、魚もお渡しできるし、釣り方もお教えできる、そんな事業を行っているという訳です。

以上、3,000字もの長文をお読みいただきありがとうございました!

いうまでもなく、自分の書いたキャッチコピーが商品や媒体に掲載されることはとてもうれしいことです。さらに、お教えしたことを踏まえ、新たなキャッチコピーを書きました!と言っていただける時は尚うれしい。自分自身の言葉への関心やこだわりが、これからも少しでも皆さんのお役に立てばいいなと思っています。

講座やワークショップなどに、もし関心を持っていただけましたら、どうぞご連絡ください。何かのお役には立てると思います。ちらっとサイトにお越しいただければうれしいです。

セミナーの様子6

セミナーの様子4

セミナーの様子5


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