芽を摘む
中国、明朝第3代皇帝・永楽帝。
〔永楽帝(成祖) 在位:1402〜24年〕
彼は甥の建文帝から帝位を簒奪し(靖難の役)、即位した。
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明といえば、日本史との関わりも深い。
室町幕府第3代将軍・足利義満の時代には、日本と明との貿易、有名な勘合貿易が始まった。
豊臣秀吉の朝鮮侵略に対して、朝鮮に援助を出したのも明である。
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甥から帝位を簒奪し、明の皇帝となった永楽帝には一つの悩みがあった。
それは甥であり前の皇帝の建文帝を殺し損ねたことである。
帝位簒奪の為の戦い、靖難の役で建文帝は行方知れずとなってしまったのだ。
国内を捜索させたが、見つからない。
帝位を簒奪された前の皇帝が生きていたとなれば、いずれ復活を目指して今の皇帝の命を狙うかもしれない。
永楽帝はこの不安の芽を摘んでおきたかった。
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永楽帝の成した事業の中に、南海諸国遠征なるものがある。
読んで字の如く南海諸国、東南アジア・インド南岸・西アジア、果てはアフリカ東岸への遠征のことである。
この遠征の目的は、南海貿易の活発化にあった。
訪れた地域で明との貿易を促すのだ。
これにより、明と南海諸国との貿易は盛んに行われることとなった。
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しかし、上記はこの遠征の副たる目的に過ぎなかった。
少なくとも永楽帝にとっては。
彼にとってこの遠征の主たる目的とは、消えた建文帝を捜すことであった。
永楽帝は国内で見つからない建文帝が、南海諸国に逃げたのだと考えていた。
故に、この南海諸国遠征を命じたのだ。
結果、建文帝が見つかることはなかったのだが。
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上に立つ者にとって、いつだって怖いのはその地位を脅やかす可能性のある存在である。
歴史に登場する数多の為政者が、その存在を消す為に手を打った。
しかし、そもそも地位を脅やかす存在というのが、為政者の幻であることもある。
目の前に存在しない者に、気を揉むのだ。
これは上に立つ者が手にする数々の益に対する代償なのかもしれない。
(終わり)
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