見出し画像

【歴史小話】「シチリアの晩鐘」【超短編】

現在、我々がイタリアと呼ぶ国家の成立は遅い。

※参照
【映画で楽しむ歴史】ゴッドファーザー
※参照
【歴史小話】見返りと代償【超短編】

イタリア共和国の前身たるイタリア王国が成立したのが1861年のこと。

それ以前のイタリアは、北部・中部・南部でわかれていた。

北部には有力な都市共和国が存在した。
有名なところで言えば、ヴェネチィア・ジェノヴァ・ミラノ。

中部にはローマ教皇の支配する教皇領が長らく存在した。
時代とともに領土は縮小されたが、今尚ヴァチカン市国という形で残っている。

南部には両シチリア王国が存在した。
全盛期にはシチリア島とイタリア半島南半を支配した王国である。

〔シチリア島の位置、「つま先」のすぐ先にある〕

この両シチリア王国の変遷は複雑である。

王家は次々と移り変わり、支配領域も分離したり再統一されたりと忙しい。

13世紀末、シチリアはフランス系貴族・アンジュー家の支配下にあった。

島民はフランス人の支配に反感を抱いており、またアンジュー家が島民に課税したこともそれに拍車をかけていた。

そんな折、1282年に事件は起きた。

シチリア島の中心都市・パレルモで、アンジュー家の家来であるフランス人たちがシチリアの女性を襲ったのだ。

駆けつけた女性の父親は、夕陽に照らされる無残な姿の娘を抱きながら叫んだ。

Morte alla Francia Italia anela!」
(フランスに死を、これはイタリアの叫びだ!)

怒りの頂点に達した島民は「フランスに死を!」と叫びながら、次々とフランス人に襲いかかった。

丁度その時、教会の鐘が鳴った。

島民は鐘の音とともにフランス人たちを殺していったのだ。

この事件を「シチリアの晩鐘」という。

この後、アンジュー家はシチリアの支配を手放すこととなった。

この事件の際、島民が叫んだ「Morte alla Francia Italia anela」の頭文字が、「mafia」(マフィア)の語源となったとする説がある。

この説は、後の創作ではないかとも言われているが、マフィアの起源がシチリアであることは間違いない。

シチリア島民の気質は、「シチリアの晩鐘」以降も脈々と受け継がれているようである。

(終わり)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?